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インドで一番印象に残った土地はどこですか?カルカッタに駐在している各企業の日本人仲間が帰任する際の送別会ごとに尋ねるのが私の習慣のようになっていましたが、必ずインドで一番訪れておくべき場所として皆から出されたのが、アジャンタ遺跡とエローラ遺跡でした。 |
私も帰任の内示が出た2005年8月に、これまで休みもなくインド勤務に励んでいましたので、ちょいとインド放浪の旅に出て来るぜ!とうちのスタッフ達に告げ、デジ一眼の愛機イオスキスを愛用の青色の腰袋に詰め、また、現場乗り込み時から愛用している橙色のリュックには着替えを詰め込み、デカン高原を目指して6日間の旅に出ました。以下、道中記も兼ねて、インドが世界に誇るワールドヘリテージの一つとして、今回は、アジャンタ遺跡をご紹介したいと思います。 |
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ボーイング社のB737機から眺めたデカン高原です。アウランガバード辺りで、標高が約580mです。 |
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空から見たデカン高原 |
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アウランガバードの宿『ホテル クラシック』と、2日間チャーターしたアンバサダー。アウランガバード空港のホテルの客引きに案内され、これも、シーズン中の3分の1の価格で、良いということで、一泊480ルピー(1200円)で、見つけました。車は、インドの国民車アンバサダー。いすゞ製のディーゼルエンジンを搭載しています。2日間のアジャンタ・エローラの両遺跡ツアーの私一人だけの借り切りで、燃料代(運転手代も)込みで、1800ルピー(4500円)で決めました。インド人もびっくりのリーゾナブルプライスです(うちのインド人スタッフも確かに驚いてくれました)。 |
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ホテル・クラシックと国民車アンバサダー |
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8月は、州都ムンバイは、雨季の真っ只中で連日の雨でしたが、2005年8月21日、デカン高原は、ご覧通りからりと晴れ上がった天候で、流れる風がとても気持ち良かったです。アウランガバードから、アジャンタ遺跡に向かう約100キロ(2時間半)の道路上で、何回か、車を停めて、この高原の空気をたっぷり吸ってから、デカン高原を撮りました。この辺りで、標高は、600m程度と思われます。 |
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白い帽子なので、てっきりイスラム教徒かと思いましたが、ヒンドゥ教徒でした。マラティ人の農民の普段の服装だそうです。マハラシュトラ州のマラティ人の使うマラティ語は、18ある公用語の一つです。
(インドは言語的には、260以上あるといわれていますが、ヒンディ語や英語も含めて、公用語は18です。) |
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羊飼いの位置から車で約10分で、展望台に辿り着きました。 |
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アジャンタ遺跡の発見は、1819年4月28日のことです。虎狩りに来ていたイギリス人士官のジョン・スミスが、この高台から、馬蹄形の切り立った崖に開いた穴の中に虎が隠れるように逃げ込むのを見て、このアジャンタ遺跡を発見したそうです。 |
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私も、この英国人士官の発見時のルートをイメージしながら、この展望台から遺跡に近づくことにしました。彼の発見までは、ここに、こんな素晴らしい遺跡が残されているということは、インドでも全く知られていなかったのだそうです。これは8月の雨季の撮影ですが、年中、このような緑に覆われているわけではなく、乾季には、葉も落ちて、玄武岩の岩肌が露わな禿げ山になるようです。 |
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この子供の向こうに、馬蹄形型の渓谷に沿って遺跡群が広がっています。雨季ではありましたが、このような青空で、気温も35度ほどでした。遺跡に近づく気持ちの高まりで、暑さを全く忘れていました。 |
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子供に案内され、アジャンタの7段の滝を、対岸から眺めました。この滝は、遺跡群のすぐ上流側に位置し、崖に沿って馬蹄形に並ぶ遺跡群の西南部にあります。 |
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アジャンタ辺りの猿は西ベンガル州に多い日本猿に似た猿とは違い、白い長い毛で覆われていました。孫悟空の原型でしょうか? 観光客には全く慣れて居らず、私が近づくと、あっという間に群れで逃げ去っていきました。 |
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右から第7窟で、第10窟までを正面に眺めながら、期待に胸をときめかせて、橋を渡りました。 |
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一番左の半円ドームで写っている窟が第10窟で、発見者のジョン・スミスの落書き(彼の自筆のサイン)が残されているそうです。彼も、このアングルで、虎を探しながら、岩壁を目指したのでしょう。 |
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遺跡のある崖は、高さ80mぐらいで、遺跡は中腹に掘られています。すぐ下がこのような川で、ワゴラー川と呼ばれています。私の訪れた時の水量は、こんなもので、歩いて渡れるような浅さですし、インド人の見学客は、川遊びもしていました。崖は切り立っていますし、雨季の増水の時期には、とても歩いては渡れないでしょう。 |
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8月は、私の現場のある西ベンガル州と同様、マハラシュトラ州も雨季真っ只中で、州都ムンバイは連日の雨でしたが、内陸部のアジャンタ遺跡では、高原ということもあってか、天候も一転して、青空で、また、緑もたっぷりあって、今回の撮影旅行の幸運を感じました。 |
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