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では、ここから、アジャンタ遺跡の画像に入りますが、その前に、アジャンタ遺跡の概要をご説明しておきます。
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アジャンタ遺跡は、インド西部、アウランガーバードの北東約100キロにある仏教石窟で、その豊富な壁画のゆえに、インドで最も有名な遺跡の一つです。ワゴラー川の浸食によって大きく湾曲する断崖の南壁に、未完窟も含めて大小30の石窟があり、下流の東端から順次番号が付けられています。造営は前1世紀に始まり、2世紀からしばらく中断された後、5世紀末期に再開され、7世紀まで続いたそうです。 |
遺跡は、主に2つの時代にかけて掘られていますので、第1期窟、第2期窟と、時代を分けて解説されています。アジャンタ遺跡が発見されたのは1819年ですが、さきほどご紹介したような地形ですので、発掘が進むにつれ、全貌を徐々に現していったものと思われます。もっとも最近の発見が1958年で、第29窟が、崖のさらに上の部分で発見されています。 |
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アジャンタ遺跡のマップ |
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資料 |
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第1期窟は、紀元前2世紀から紀元後1世紀にかけて開窟されています。第8窟、第9窟、第10窟、第12窟、第13窟、第15A窟の計6窟です。(なかでも、第9窟が一番古く、紀元前100年頃といわれています) |
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第2期窟は、紀元後5世紀から7世紀初めにかけて開窟されています。 第1〜7窟、第11窟、第14〜29窟の計24窟です。(第6窟、第7窟、第14〜20窟が、紀元後5世紀のグプタ王朝時代のもの、また、残りの第1〜5窟、第11窟、第21〜29窟が、紀元後6〜7世紀のものと言われています。)
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石窟のタイプでは、次のような分け方がなされています。 |
仏塔を祀った祠堂窟(チャイティヤ)・・・第9窟、第10窟、第19窟、第26窟、第29窟
僧が集団生活を営む僧院窟(ビハーラ)・・・第1〜8窟、第11〜18窟、第20〜25窟、第27〜28窟 |
アジャンタ壁画は、まとまった形で現存するインド唯一の壁画であり、しかも、インド古典文化の絶頂期に、描かれたものです。仏教絵画の源流として、きわめて貴重なもので、1983年に世界文化遺産に登録されました。 |
1819年に発見されるまで1300年以上に亘って全く放棄されていたことが、この遺跡が当時の姿を後世に伝える偶然性を生んでいます。では、以下、各窟のご紹介に入りたいと思います。 |
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右から第1窟です。画像のさらに少し右に、入場ゲートがあります。アジャンタ遺跡で、最も有名な第1窟から、見学することになります。 |
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第2期窟。朝は、観光客も多く、行列になって入場を待ちます。が、午前中の混雑を過ぎると、午後はもうそうでもなく、これはたぶん、インド人の観光客が、午前、アジャンタ遺跡、午後、エローラ遺跡の順で、一日に2つの世界遺産を回ってしまうからだと思われます。これは、第1窟を夕方に撮影しています。 |
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第1窟の入り口の柱には、釈迦にまつわる法話の浮き彫りが施されています。当時から仏教では象がモチーフになっていたことがわかります。 |
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朝の混雑時の入り口は、こんな感じで、入場を待ちます。第1窟は、入窟も40名ごとに分けられ、制限時間は15分とされていますが、私は、一時間居らせて貰いました。 |
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第1窟の内部はこんな感じです。広間は約19m四方あります。壁、天井、至るところに、仏教の法話が、描かれています。これは、閉園前の夕方に再度入り、観光客が減った洞窟の広間を、撮影しています。 |
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第1窟の一番奥には、仏陀の坐像があります。仏陀坐像の手前の左右の壁には、アジャンタ遺跡の至宝といわれる蓮華手菩薩(左壁)と金剛手菩薩(右壁)が描かれています。華やかな彩色と優れた技法によるこの壁画は、アジャンター壁画の頂点に立つものです。 |
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これを見るために、アジャンタ遺跡に来ました。蓮華手菩薩と呼ばれている壁画で、菩薩の大きさは、人の身体の大きさくらいあります。右手には、蓮華(蓮ハスの花)が一輪。日本では、大正初期に紹介されています。昭和24年に失火で破損してしまった法隆寺金堂壁画の源流といわれ、研究されて来ました。インド、中国、そして、日本の3ヵ国の、当時の文化の高さと、各国の文化の交流を教えてくれます。 |
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強い光は壁画に悪影響 を与えるため、蓮華手菩薩の壁画をフラッシュ撮影することは禁止されています。このレベルが壁画に対する最高の照明ですので、第1窟から、手ぶれに悩みながら、撮影を開始しました。 |
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壁画が豊富に残っているのは第1、2、16、17窟で、5世紀末期から6世紀に描かれたと考えられています。これらの壁画は、荒削りした岩面に泥土を塗った上に石灰で下地を整え、それが乾いてから、膠(にかわ)や樹脂を接着剤として描いたテンペラ画といわれるものです。 |
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フォトショップで原色を再現した蓮華手菩薩 |
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昭和24年(1949)に、惜しくも焼損した法隆寺金堂の壁画は、7世紀末に描かれたと推定されていますが、アジャンタ遺跡の仏画に酷似し、まるで手本が、ダイレクトに、日本に伝達されたかのようだといわれています。 |
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金堂の外陣(げじん)周囲四方の、大壁に描かれた四つの浄土の中でも、中央に阿弥陀如来、その右側に勢至(せいし)菩薩、左側に観音菩薩が描かれている阿弥陀浄土図(六号壁全図)は、白眉(はくび)で、特に、観音菩薩の表情や身なりは、アジャンタ遺跡の蓮華手菩薩にそっくりです。 |
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諸像の顔や、衣文(えもん)には、立体感を表す、濃い隈取り(くまどり)が、施されています。ふっくらとした身体の表現など、インドの図様と陰影法が、シルクロード経由で伝えられ、唐で完成された画法で、当時最新の表現だったといわれています。 |
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アジャンタ遺跡の仏画に酷似した阿弥陀浄土図 |
↓観音菩薩 |
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ペルシャ使節の接見の画 |
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これは、入り口を入ったすぐ右の壁の画で、ペルシャ使節の接見の画と呼ばれています。剥がれ落ちた箇所が、モルタルで補修され、灰色に写っています。紀元後5世紀のものですから、インド政府も、保存に苦慮している模様です。 |
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第1窟の天井画 |
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これはペルシャ文様に影響を受けたと思われる第1窟の天井画です。草、花、人、動物、眺めていて、ついぞ、飽きることがありませんでした。遺跡保存のために、窟内の光量が絞られていますが、撮影の脚立も禁止されていますので、手ぶれ覚悟で、何枚も写しました。 |
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画像右上は、ペルシャ人の飲酒と解説されていて、ペルシャからの使節団か、あるいは、来印したペルシャ商人かが、酒杯を右手に、回りの5人と語り合っている図です。 |
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一枚一枚すべて撮影して帰りたかったのですが、光量が全く足りず、大きく写した絵は、ほとんど手ぶれで、とうとう諦めて一時間で第1窟を出ました。 |
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