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▼ バリの女性の儀式での正装。髪を束ね、胸を強調し胴をきゅっと締めた服が、儀式用のスタイルです。 |
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お供え物を整える女性たち |
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女性たちの手で祭壇に供えられる供物 |
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祭壇は、沢山のお供え物で一杯になっています。ブンガカンボジア(プルメリア)が華やかさを演出しています。 |
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沢山のお供え物で一杯の祭壇 |
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お供え物の子豚の丸焼きです。このお肉をご飯にのせて、スパイシーなタレのかかった料理がバビグリンと呼ばれているもので、町のレストランには、BABI
GURING と書かれています。村人から、バビグリンは15人ほどの大人数で1匹注文して、みんなで食べるといいよ、と云われました。 |
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バビグリンとして食べられる豚の丸焼き |
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▼ お供え物の中に赤犬の子犬がありました。日本人にとってはカルチャー・ショックですが、バリ人にとっては、「子豚があれば子犬もあるさ」ということなのでしょう。 |
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お供え物の中に子犬が・・・ |
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バリスタイルの住まい。イタリア人が住んでいました。門構えは小さいのですが、中はゆったりしています。空間の使い方が、暑気を逃すように作られていて、バリらしい設計です。 |
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イタリア人が住む家 |
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▼ 庭の置き鉢。花は、白と黄のブンガカンボジア(プルメリア)と、紫色の蘭アングレック
Anggrek 。万字のデザインになっているのがわかりますか?
右万字(卐)ですので、バリでは「力」を表します。左万字(卍)は「和」です。アート感覚が素晴らしいですね!! |
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バリ人の美意識 |
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竹は、バリ語でもバンブー。とんとんとん・・・という乾いた音は、水田の鳥追い用です。バリの田園に、風音と同じように、気持ちよく響き渡ります。バリの棚田で響くこの竹音を、極楽で聞く音楽に例えた旅行者がいました。 |
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竹で出来た風鈴 |
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米の島バリでは、年に三回お米がとれます。いつ田植えをするのかは、農家でバラバラ。ウブドのホテルの二階から見える水田で、田植えをしている姿をとらえました。
日本では、田植機が使われますが、バリでは昔ながらの手植えですので、腰が痛くなることでしょうね。 |
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ウブドの田植え |
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▼ この水田は、既に稲穂をつけています。向こうの方には鳥を追い払う仕掛けが張られています。日本のようにカカシもあるということです。手前は、田の神を祀る祠(ほこら)です。屋根をつけた供物台まであるのは、さすがバリですね。 |
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たのかみを まつるほこらや たれいなほ |
A small
shrine for the guardian deity of rice fields, the ears of rice
bowing. |
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田の神を祀る祠 |
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バリのヒンドゥー寺院。島には1万以上の寺があるそうです。これらの寺院を中心に、宗教を生活の中心に置いたバリ人の暮らしが回っています。 |
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バリのヒンドゥー寺院 |
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▼ バリの教育制度は、日本と同じ6・3・3制。小、中、高で制服が統一されています。彼女は、小学生。兄弟で、代々着れますから、合理的です。デンパサール北東約3kmにある石彫りの村、バトゥブラン
Desa Batubulanで。 |
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バリの小学生 /
ウブド村 |
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▼ 割れ門の左右の石の門番に、ホテルマンの笑顔もそっくり。石像の耳の花は、ハイビスカスです。年中咲いている花ですが、こうした花を使ったちょっとした美学が、バリの特徴です。 |
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ウブドのホテル従業員 |
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▼ 黄色の花は、マリーゴールド。インドでも聖花でしたが、バリでもお供え物で使います。豪華な感じがする花です。デンパサールの市場での一コマ。 |
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鮮やかなマリーゴールド |
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▼ クタのマデズワルン(マデさんの食堂の意味)。私の仕事していた頃は、店はここだけでしたが、今は、ウブドにも支店を出したそうです。ここの蟹肉カレースープと、アボガドサラダと、ビンタンビールが、飛行場建設時代の私の休日定番食でした(当時で総額500円ぐらい、今回は1000円ほど取られました)。 |
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バリにも仮面舞踊があります。日本の能面に似ていますが、眼がぱっちりしているのが、バリの特徴です。 |
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マデズワルンレストランの壁のお面 / クタ |
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バリの焼き物。ほんわりとした笑顔で、旅行者を和ませます。バリの田んぼの土を使って焼かれています。 |
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バリスタイルの焼き物 |
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友人経営のイカット(絣)販売店スルヤジャヤの店先で。おやつの売り子さんが商い(休憩)中です。ピーナッツあり、果物のカット物あり。インドもそうでしたが、ここインドネシアも頭に乗せます。 |
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おやつの行商 |
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これも、同じく友人経営の民芸品屋アレックスの店先で。アテという植物繊維で作った皿や籠などです。百年は使えると、店主が言いますので、私も今も何個か使っていますが、15年以上経ちますが全く問題ありません。 |
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アテ(植物繊維)の籠 / クタ |
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これは、2002年10月12日に、イスラム教のテロ組織により、202名が爆死したサリクラブというディスコの跡地です。記念地として更地で維持されています。アレックスから、30mほど南の地点にあります。外人客がほとんどだったサリクラブには、ビールを飲みに私も通っていただけに、こうしたテロがあの平和なバリで起こるとは・・と当時の勤務地のインドで思ったことが思い出されます。 |
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202名が爆死したディスコ・サリクラブの跡地 / クタ・レギャン地区 |
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道路を隔てた対面に建てられているモニュメント。亡くなられた方202名の名前が刻まれています。日本人は2名。観光旅行の若いご夫婦が巻き込まれて亡くなっています。 |
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しかし、この撮影の1週間後の2005年10月1日に、またもクタとジンバランで同時爆弾テロがあり、20余名が死亡して、観光客がさらに遠のく事態に。空港建設当時は、ほんと、安全で落ち着いた土地だったのですが、爆弾テロがこうも連続しておこると、治安面の不安から、バリ島には気軽に観光で行けなくなる・・との印象を与えてしまいますよね。 |
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2002年10月12日に起きたクタのテロ事件の犠牲者たちを祀る慰霊碑 |
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バリ空港建設時代からの友人、私のイカット(絣)収集の協力者、華僑のティエンさんの民芸店スルヤ・ジャヤの店内でパチリ。一切値引きはしませんの貼り紙あり(ほんとにそうです!)。夫婦で、福建省から渡って来た客家(ハッカ)だそうです。若い頃は美人でした。旦那のアレックスは、先年、糖尿病で亡くなり、私がバリ島を訪ねる楽しみが一つ減ってしまいました。さきほどのデンパサールの家は、彼女の家です。 |
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スルヤジャヤ店内 |
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職業:大成建設(株)勤務
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住居:東京都国分寺市
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趣味:インドの神像収集
(前任地のインドネシアの絣(イカット)も100枚ほどのコレクションがあります) |
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撮影後記 |
私は、一人旅が大好きです。集団で動くのは、どうも苦手な私です。自分のペースを乱されたくないという気持ちがここでも一番にあると思います。また、旅する先に、訪ねて行ける人がいる・・・その意味は大きいです。旅の目的にもなるからで、あてども無く旅するのが苦手なのも、私の貧乏性の性格を表していると思います。
さて、バリ空港の建設工事で、当時一緒に乗り込んだ所長は、その後、ジャカルタで倒れて、苦しむこともなく、そのまま天国に召されてしまいました。インドネシア駐在歴25年以上の猛者で、59歳でした。
翌年の4月には、その所長の墓参りで、ジャカルタから2名のインドネシア人(ゴザリさん、パアラントさん)が日本を訪ねて来てくれました。横浜市青葉区の徳恩寺のお墓には、彼らがジャカルタから持って来た、故人の大好きだったマンゴスチンとイチを供えてくれました。
いつまで経っても、懐かしい思い出として、心に残る海外勤務。実際に仕事を担当しているときは、苦しく大変な思いばかりで嫌なのですが、工事が終わって何年か経ってみると、心に残って思い出せるのは、楽しかったことばかりです。これが、海外勤務の醍醐味だと思います。
今回も、和田さんのご好意で、我が心の故郷インドネシア、そのバリ島の画像発表の機会を頂けたことに感謝しています。ぜひ、皆さんの、旅の目的地の一つとして、神々の宿る島=バリ島を考えて頂けたらと思います。テリマカシ バニャック (ご一読、大変にありがとうございました)。 〈 合掌 〉 |
★☆★彡 |
参考図書 |
バリ島の心地よいホテル 坪田三千代、増島実 平凡社
インドネシア全二十七州の旅 小松邦康 めこん
バリの魂、バリの夢 大竹昭子 講談社文庫
バリ島楽園紀行 とんぼの本 佐藤由美他 新潮社
好きになっちゃったバリ 下川裕治編 双葉社
地球の歩き方 バリ島 2005〜2006 ダイヤモンド社
定本インド花綴り 西岡直樹 木犀社 (順不同) |
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感動写真集〈 第164集 〉「バリ島再訪!」 |
撮影・原作 : 丹下誠司 監修:和田義男 |
平成23年(2011)10月20日 作品:第29作 画像:(大41+小2) 頁数:2 ファイル数:92 ファイル容量:34MB
平成12年(2000)〜平成23年(2011)
作品数:417 頁数:1,641 ファイル数:69,760 ファイル容量:11,501MB |
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【編集子が選ぶ名作】 |
ウブドの田植え |
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10月16日(日)に発表した「バリ島は招く!」に続き、本日10月20日(木)丹下誠司さんの第11作「バリ島再訪!」が完成した。実は、この作品は、4年ほど前に丹下さんからお送りいただいていたものだが、バリ島の名所旧跡をはじめ、風光明媚なリゾート・ビーチや華やかな海洋レジャーなどには全く触れておらず、丹下さんの個性溢れる作品ではあるものの、正直なところ面白くないので、お蔵入りにしていたのである。 |
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といっても、私が観光客としてバリ島を訪れ、世界に知られる観光地としての晴れ姿を紹介した後で、普段着のバリ人を描いたこの作品を発表しようとの構想があった。バリへの旅立ちが今年になってしまい、丹下作品の発表が大きく遅延してしまったことについては、お詫び申し上げる。 |
私の「バリ島は招く!」をご覧になった後で、この作品を見て頂ければ、観光客の表面的な観察ではとても描けない、素顔のバリ人を見事に活写した丹下ワールドに魅了されることだろう。 |
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行きずりの観光客に過ぎない我々夫婦ですらリピーターになろうかというバリ島であってみれば、若いときにデンバサール空港の建設に携わり、家族とともにバリで暮らした丹下さんにしてみれば、バリ島を愛する気持ちは、人一倍強いのは当然であり、インドに単身赴任していたとき以上に地元住民との交流が広く深く行われたことは、この作品を見ればとてもよく分かる。 |
また、人によっては関心が薄い日常生活も、かなり深いところまでカメラを持ち込んで活写しているのは、さすが人間愛に燃える丹下さんだと感心する。そこに住んでいた人が久しぶりに再訪したときの懐かしさや感激が原動力になっているに違いない。素晴らしい作品をお送りいただいた丹下さんには、心から感謝申し上げたい。〈 完 〉
2011.10.20 監修 和田義男 |
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