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 感動写真集

2007年8月22日改訂

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♪パッラヴィ/オリッシィ(ヒンドゥーの神々への讃歌)

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2007年8月22日制作

遺跡の入口・第1窟

                     遺跡の入口・第1窟(エレファンタ島石窟/インド)

エレファンタ島石窟

踊るシヴァ神

まえがき

 もう2年前となりますが、インドから帰任するひと月前の平成17年(2005)8月19日に訪れて来ました世界遺産のエレファンタ島の画像を、この盆休みにまとめてみました。

 インドではインド東部のプルリア(西ベンガル州の西部)を拠点にダム工事に従事しておりましたので、勤務中はインド各地をなかなか旅行も出来ず、帰任の良い思い出になればと、インド西部のマハラシュトラ州のムンバイ、エレファンタ島、そして、アジャンタ遺跡とエローラ遺跡を、リュックを背にキャノンのイオスキスデジタル630万画素(2004年春モデル)を片手に回って来ましたが、この旅の最初の撮影テーマが、エレファンタ島でした。

 エレファンタ島は、紀元6世紀から8世紀の間に開窟されたヒンドゥー教の石窟遺跡で、1987年に世界遺産に認定されており、英語表記では、Elephanta Caves(エレファンタ島の洞窟群)と呼ばれています。インド人にも、ムンバイから船で簡単に行ける世界遺産として人気が高く、休日には3〜4千人の観光客がインド各地から訪れているようです。

 天候は生憎の曇り。しかし、8月は雨季の真っ只中で、ムンバイではつい一週間前に大洪水があった直後の旅行でしたので、この時期のこの地方で土砂降りでないだけまだましと言わなければならなかった撮影旅行でした。

 アラビア海に面したマハラシュトラ州の州都ムンバイは、人口約1200万人、インド最大の都市です。昔は、ボンベイと呼ばれていましたが、1995年に、イギリス統治前の呼称のムンバイに戻されました。昔から商都の色合いが強く、デリーが行政を司っていることと対照的です。インドの経済成長も近年著しく、この9月1日から、全日空が、36席のすべての座席がビジネスクラスというビジネス便(ボーイング737型)を週6回も就航させますので、インドファンの小生としては嬉しい限りです。インドと日本の線がまた一本太くなったということを記念して今回のエレファンタ島を皆さんにお送りしたいと思います。

ムンバイの位置(矢印)

ムンバイの位置(矢印)

インド門とホテル・タージマハール
 右手は、ゲートオブインディア(Gate of India)。1911年のキングジョージ5世とクイーンメリーのインド訪問を記念して建てられています。インドサラセン建築の至宝とも呼ばれています。
 左手は、インドの5つ星ホテルの代表格、ホテルタージマハール(Taj Mahal)。製鉄、自動車産業に秀でたタタ財閥の経営で、一泊400ドル以上します。インド門の裏に見える高層ビルは、タージマハールの新館(タワー棟)です。インドでは、タージホテルを借りて会社の事務所を出しておりましたので(カルカッタではタージベンガル、デリーではタージパレス)、タージマハールでの宿泊を冥土の土産にとも思ったのですが、自称安宿派のプライドもあり、タージマハールのすぐ裏の一泊20ドル(約2400円)のカールトンホテルに荷を解き、ムンバイを動きました。

インド門とホテル・タージマハール

拡大写真(1600x970)215KB

エレファンタ島への遊覧船
 
 インド門のすぐ横のアポロバンダからエレファンタ島への船が出ています。私は、朝の9時の始発船を選びましたが、予約も無しでその場で往復券を買えました。記録メモを無くしておりますが、往復で、100ルピー前後(約250円)だったと思います。インドに多い外国人用の特別料金制度はここではありませんでした。乗船は定刻でしたが、インド的に30分遅れて、9時半に出発。エレファンタ島までの約10キロを、一時間をかけての航海でした。

エレファンタ島への遊覧船

拡大写真(2000x1054)167KB

 これは、船の1階です。板張りのベンチシートです。エレファンタ島へは半島内の内海の航海だったのですが、外洋の波の影響で結構揺れました。

板張りのベンチシート

板張りのベンチシート

エレファンタ島
 約一時間で、エレファンタ島が近づいて来ます。島の周囲は7キロしかなく、山頂も200mぐらいの高さでしょう。人口は1600人程度だそうです。

エレファンタ島

拡大写真(1800x765)130KB

この桟橋から上陸します。右手の山の中腹にエレファンタ島遺跡があります。

エレファンタ島の上陸地点

エレファンタ島の上陸地点

拡大写真(1600x850)154KB

 桟橋からこの列車で遺跡へ。蒸気機関車の形はしていますが、形だけの張子の機関車で、薄い鉄板張りで、エンジンも小型ディーゼルが搭載されています。乗車料金で10ルピー(25円)を払いましたが、500mほどですので、歩いて遺跡に向かうインド人旅行者も沢山おりました。

この列車で遺跡へ

この列車で遺跡へ

拡大写真(1600x1024)257KB

 列車も3分ほどで遺跡の登り口へ到着。登り口には、食堂が並んであり、冷えたビールが大瓶75ルピー(約200円)の看板が見えました。市場なら40ルピーですので、観光地ですと良心的な価格でした。

エレファンタ遺跡の入口

エレファンタ遺跡の入口

 幅広の石の階段は100段余ありますが、軽く汗を掻く程度で登ることが出来ます。足腰の弱い人用には、駕籠も準備されておりましたが、料金は聞き忘れました。雨季でしたので、階段両脇の露天には、雨避けのビニールシートが張られてあり、この階段を上がりきったところで、入場料を払い(外国人は250ルピー(約650円)、インド人なら10ルピー(約25円))、遺跡公園内へ入ります。

遺跡への階段

エレファンタ遺跡の入口

遺跡の入口・第1窟
 エレファンタ島の遺跡の入口です。第1窟と呼ばれています。北側から遺跡入口を眺めていますが、ご覧のように観光見学用に、入り口部分は、柱も含め相当に修復されています。この正面から、左右そして奥へ、約40mの洞窟が広がっています。第1窟と呼ばれています。シヴァ神を祀った洞窟ですので、シヴァの神話に基づいた数々の浮き彫りをこの入口から楽しむことになります。
 第1窟に貴重な浮き彫りが集中しており、観光客はここには時間をかけますが、すぐ近くの第2〜7窟は造りも簡素で残っている浮き彫りも破損が激しく、さっと流して見ていくようです。

遺跡の入口・第1窟

拡大写真(1600x1000)290KB

ナトラジ・シヴァ
 入り口のすぐ右手にある、踊るシヴァ神(ナトラジ・シヴァ)の浮き彫りです。観光客はまずこの踊るシヴァの浮き彫りからインドが誇るエレファンタ島の世界遺産に圧倒されることになります。

ナトラジ・シヴァ

 シヴァ神は、破壊と再生の神としてインド人に崇められていますが、舞踏の神としても人々から愛されています。シヴァの舞踏は、宇宙の舞踏と呼ばれ、その踊りの数も108種類あると言われ、ナトラジという大型の舞踏解説本が、インドでは出版されているくらいです。
 踊るシヴァ神の左右には、飛天、ガネーシャなどが舞っています。この浮き彫りは、相当に破壊されてしまっていますが、逆に想像心をかきたてて呉れます。壊される前は、全体が飛び出してくるような見事な構成であったことでしょう。

踊るシヴァ神

踊るシヴァ神

拡大写真(1800x1200)356KB

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