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花の都フィレンツェ |
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イタリアのツアーなら必ず立ち寄るハイライト的な観光名所であるフィレンツェ。 しかし、あまりに歴史が凝縮され、素晴らしい美術品が数多く見られるこの町を観光するには、やはりある程度の予備知識があった方が良い。 |
★☆★彡 |
フィレンツェは、イタリアのトスカーナ州フィレンツェ県に属する人口36万人の都市。トスカーナ州の州都、フィレンツェ県の県庁所在地であり、近郊の人口は約20万人。フィレンツェは、花の都の意味。英語名はフローレンス。かつてルネッサンス文化の中心であり、今日でも旧市街は〈都市博物館〉といわれるほど多くの記念物がある。 |
第二次世界大戦中、フィレンツェの記念建築物の大部分は被害を免れたが、1944年にベッキオ橋を除く橋のすべてが破壊された。また、1966年の大洪水で多くの芸術財産が被害をうけたが、その多くは精巧な修復技術で数年をかけて復元された。 |
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【凡例】 ▲:上の画像の説明文 ▼:下の画像の説明文 〈画像の左クリック〉:別窓に拡大写真を表示 |
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フィレンツェの位置 |
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資料画像 |
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フィレンツェとメディチ家 |
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海洋貿易で栄えたイタリア北部とローマを結ぶ中継地として、9世紀に入ってから交易都市として形成され、12世紀には繊維業と金融業が発達、トスカーナ最大の都市として成長。13世紀には貴族が追放され市民(商人)が実権を握り、自由な発想が定着。これによって近代的な思想が広がり、やがてルネッサンスの開花へとつながった。 |
このルネッサンスを先導したのが、フィレンツェ共和国の支配者として君臨メしていたメディチ家である。フィレンツェには多くの芸術家が集まっているが、そのメンバーはあまりに豪華であり、ドナテッロ、ボッティチェリ、ブルネレスキ、レオナルド・ダ・ビンチ、ラファエロにミケランジェロといった最高の芸術家たちが名を連ね、華やかな黄金時代を迎えるにふさわしい舞台が用意されていた。 |
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橋上家屋で有名なヴェッキオ橋 |
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撮影:和田義男 |
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▼ サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂は、フィレンツェにあるキリスト教・カトリックの教会である。フィレンツェの大司教座聖堂であり、ドゥオーモ(大聖堂)、サン・ジョヴァンニ洗礼堂、ジョットの鐘楼の三つの建築物で構成される。教会の名は「花の(聖母)マリア」の意。 |
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フィレンツェのシンボル・サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂 |
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▼ フィレンツェのシンボルであるドゥオモ(大聖堂)は、イタリア・ルネッサンスを代表する建造物で、石積み建築のドームとしては現在でも世界最大。1296年に着工し、140年以上の歳月をかけて建設されたため、ゴシック・初期ルネサンス・ネオ・ゴシックの各様式が混在し、見事に調和している。 |
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ドゥオモ(大聖堂)の内部 |
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写真:ウィキペディア・フリー百科事典 |
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▼ ドゥオモのファサード(正面)の建設が始まったのは1876年、完成したのは1887年である。ピンクや緑、白といった大理石が見事。特に、夕日の時間帯は黄金に染まり、大変美しい。ちなみに大聖堂が完成したのは1461年。なんと完成から400年以上もの間、ファサードだけが未完成のままだった。こういった事例は当時のイタリアとしては珍しいことではなく、その理由は、資金難であったり、技術的な問題、政治的な問題であることが多い。 |
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ドゥオモのファサード(正面) |
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▼ 左からサン・ジョヴァンニ洗礼堂、ドゥオモ(大聖堂)、ジョットの鐘楼。それぞれを別々に建てる建築は当時としては珍しい。伝統よりも美を追求していたことが伺える。三つの建築物とも世界文化遺産フィレンツェ歴史地区の一部として指定されている。 |
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左から洗礼堂、ドゥオモ、ジョットの鐘楼 |
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▼ サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂の夜景も素晴らしい。巨大なドゥオモは、全長153m、最大幅90m、高さ107m。八角形の大クーポラの内径は43m。聖堂の大きさとしては世界で4番目に大きい。 |
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ドゥオモの夜景 |
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▼ こちらは同じ場所から日中に撮影した写真。ちなみに、町の条例により、この建物よりも大きな建物は建ててはいけないことになっている。イタリア人の景観を大事にする国民性が伺われる。 |
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▼ フィレンツェといえば、骨付きのキアーナ牛を炭火で焼いたビステッカ・フィオレンティーナ(フィレンツェ風Tボーンステーキ)が有名。キアーナ牛を使った伝統の味は最高で、トスカーナの赤ワインとの相性も抜群! |
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キアーナ牛を使った伝統のステーキ
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▼ フィレンツェはステーキ以外にも美味しいアンティパスト(前菜)が豊富なことでも知られる。食前酒と同様に食欲を高める料理で、トスカーナではパテやトマト、生ハムを使ったものが一般的で、これがまたワインと合う!私の場合、このアンティパストとワインがあれば数時間は会話が弾む。 |
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美味しいアンティパスト |
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▼ 地元では知れたステーキが最高のお店。ヨーロッパではお店に列が出来ることはめったにないが、この店は地元の人も並ぶほどの人気店。ちなみに右側のおじさんがオーナーで、何度か行っているがいつもサービスしてくれる。こういう店はツアーでは絶対に使わないので、個人で行くしかない。 |
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▼ フィレンツェのアカデミア美術館には、ミケランジェロのダヴィデ像がある。日本もそうだが、コピーはあちこちにある。このアカデミア美術館のダヴィデ像こそ、ミケランジェロが作成したもの。フラッシュはたけなかったが、撮影が許可されていたので上手く撮影できた。本物の素晴らしさに、誰もが感動する。 |
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ミケランジェロのダヴィデ像/アカデミア美術館 |
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撮影:和田義男 |
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はつはるや らぞうダヴィデを みあげおり |
Early spring, looking up at the naked statue of David. |
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▼ 旗のある建物がヴェッキオ宮殿、その隣がウフィツィ美術館。ヴェッキオ宮殿は建設当時から現在まで市庁舎として機能し、ウフィツィ美術館は当時は事務所だった。ウフィツィ(イタリア語)=オフィス(英語)=事務所である。 |
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シニョーリア広場
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▼ シニョーリア広場に面する野外で柵も無く、誰でも触れることができる場所に、これだけの美術作品が置かれているのには驚くばかり。いかにフィレンツェの街中に芸術が溶け込み、芸術が日常であるのかが伺えると同時に、「町全体が美術館」といわれる由縁である。 |
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町全体が美術館のフィレンツェ |
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最後の写真の中央の作品はメドゥーサの首をかかげたペルセウス像です。ギリシャ神話から題材を取ったもので、髪の毛が蛇で目を見ると石にされてしまうというメドゥーサをペルセウスが後ろから忍び寄って退治した瞬間をとらえた作品です。
ちなみに、ヴェッキオ宮殿の前にこの像が置かれている真意は、「メディチ家に歯向かうものは、このメドゥーサと同じ運命をたどることになる」ということです。ヴェッキオ宮殿はメディチ家が政治を行う本丸であり、その宮殿前にこの作品が置かれているのは、コジモ1世が政敵に対し、その運命を警告するものでした。
また、ペルセウスはギリシア神話に登場する英雄であり、それに対してメドゥーサは怪物であり、メディチ家は怪物を倒す英雄であるという大義名分ともなります。このような当時の事情や歴史、神話などを知った上でフィレンツェを散策すると、非常に奥深い町であることがわかります。 〈 完 〉
2010.1.3 |
★☆★彡 |
感動写真集/ 第131集 「フィレンツェ散策」 |
撮影・原作: Y. Hashiba
監修: 和田義男 |
平成22年(2010)1月3日 作品:第1作 画像:(大11+小2) 頁数:1 ファイル数:33 ファイル容量:6.4MB
平成12年(2000)〜平成22年(2010) 作品数:349 頁数:1,312 ファイル数:54,757 ファイル容量:7,656MB
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ごかかいや こていのあきの えめらるど |
Early spring, looking up at the naked statue of David. |
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【編集子が選ぶ名作】 |
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38人目の感動写真集の作者になられたY. Hashiba さんは、海外経験やカメラマンとしての経験が豊富で、趣味と云うよりもプロである。現在、本格的な旅と写真のサイト
トラベラーズ・カフェ ワールドギャラリー を主宰されておられる。昨年12月22日に突然「感動写真集作者としての投稿について」と題するメールを受け取ったことからお付き合いがはじまった。
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「以前、相互リンクにてメールをさせて頂いたHashibaです。ご無沙汰しております。まずは、1200万アクセス、おめでとうございます。この数字、凄いですね! 私のサイトと桁が違いますが、私も1000万目指して頑張ります。ちなみに、来月、社会科教師向けの雑誌『社会科教育』2010年2月号にて、私のサイトを活用した授業例掲載が決定したので、アクセス向上を期待しているところです。 |
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さて、この度お尋ねしたいことがあり、メールさせて頂きました。実は、先ほどから和田様のサイトをじっくりと拝見させていただき、「私も感動写真集作者として作品を寄せたい!」と、写真魂と旅魂に火がついてしまい、その概要をお伺いさせて頂きたくメールをした次第です。
現在考えているのは、イタリア・フィレンツェの大聖堂のベストショットがあるので、この写真を使いたいと考えています。写真に対する文章、感動写真集作者一覧用の人物写真もすぐに用意できる状態になっています。
年の暮れ、何かとお忙しいと存じますが、よろしくお願いします。」 |
私は直ちに返事を出した。「こんにちは。お便り有り難うございました。このたびは、和田フォト・感動写真集の仲間にお入りいただけるとのこと、願ってもない光栄なことです。既に素晴らしいホームページを主宰され、私と趣味を同じくされる方ですので、大歓迎です。・・・」
既に、写真や原稿が用意されていたので、和田フォトのコンセプトをお伝えし、年末にそれに沿った写真をお送り頂き、本日、この「フィレンツェ散策」が完成し、新春第一弾として発表させて頂いた。わずか1頁の短編であるが、海外経験豊かで博識の Hashiba さんの魅力が随所ににじみ出ている作品をお寄せ頂いたことに、心から感謝したい。 平成22年(2010)1月3日 監修 和田義男 |
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