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フィレンツェ全景 / ミケランジェロ広場 |
ヴェッキオ橋 |
ヴェッキオ宮殿 |
花の聖母マリア大聖堂 |
サンタ・クローチェ教会 |
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▲▼ フィレンツェは、イタリアのトスカーナ州フィレンツェ県に属する人口36万人の都市で、トスカーナ州の州都、フィレンツェ県の県庁所在地であり、近郊の人口は約20万人。1986年に欧州文化首都に選ばれた。かつて、ルネサンスの花開いた都市として知られ、その歴史地区は、世界文化遺産に登録されている。 |
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アルノ川に架かるヴェッキオ橋 |
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ルネサンス Rrinascimento / Renaissance (仏)
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ルネサンス(直訳すると「再生」、イタリア語:リナシメント rinascimento フランス語: Renaissance)は、フィレンツェを初め地中海貿易で繁栄したトスカーナ地方の諸都市を中心に、教会やイスラム世界、東ローマ帝国の保有する古典文化の影響を受けて14世紀頃に始まった古代の文化を復興しようとする歴史的文化革命で、広くヨーロッパに伝搬していった。 |
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橋上家屋で有名なポンテ・ヴェッキオ(ヴェッキオ橋) |
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ヴェッキオ宮殿とサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂(花の聖母マリア大聖堂) |
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日本では長らく文芸復興と訳されてきたが、文芸のみでなく広義に使われるため、現在では余り使われない。ルネッサンスとも表記され、通俗的に「復興」「再生」を指す言葉として用いられている場合、例えばコスメティック・ルネッサンス、あるいはカルロス・ゴーン著『ルネッサンス』などは、ルネッサンスと表記されることが多い。現在の歴史学、美術史等ではルネサンスという表記が一般的である。 |
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フィレンツェの顔サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂(花の聖母マリア大聖堂) |
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その先駆者とされるのは、フィレンツェ出身の詩人ダンテ(1265 - 1321年)である。フィレンツェがルネサンス発祥の地といわれているのはそのためである。ダンテは、政敵によってフィレンツェを追放され、流浪の生活の中で代表作「神曲」を完成させた。 |
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ミケランジェロ広場に立つダヴィデ像(コピー) |
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▲▼ ダンテの神曲は、古代ローマの詩人・ウェルギリウスが地獄・煉獄巡りの案内人として登場し、主人公が地獄
・煉獄から魂の浄化を経て天国へ昇ってゆくという内容であり、ローマの古典文学とキリスト教による救済との調和を図った一大叙事詩である。 |
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ミケランジェロのダヴィデ像(オリジナル) / アカデミア美術館 |
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撮影:和田義男 |
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巨大な大聖堂 |
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そうしゅんの てんにそびゆる だいせいどう |
Early spring, Duomo rising high to the sky. |
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ギベルティ作「天国の門」 / 大聖堂 |
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▲▼ 続いてペトラルカ(1304 - 1374年)は、古典古代の時代こそが人間性が肯定されていた理想の時代であり、中世(キリスト教公認以降のローマ帝国が衰退した時代)を暗黒時代と考えた。 |
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大聖堂のファサード(正面玄関) |
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ペトラルカは、古代の文献を収集し、ラテン語による詩作、著述を行ったが、このように古典の教養を持ち、人間の生き方について思索する知識人を人文主義者(Umanista ウマニスタ)と呼ぶようになった。 |
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ジョットの鐘楼 |
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1453年のコンスタンティノープルの陥落(東ローマ帝国滅亡)の前後には、東ローマから多数の知識人がイタリアへ亡命してきた。末期の東ローマ帝国では古代ギリシャ文化の研究が盛んになっており(パレオロゴス朝ルネサンス)、彼等が携えてきた古代ギリシャ・ローマの書物や知識は、古代文化の研究を活発化させた。人文主義者の一人、フィチーノ(1433 - 1499年)は、メディチ家のプラトン・アカデミーの中心人物で、プラトンの著作を翻訳した。 |
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大聖堂の内部 |
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イタリアは古代ローマ帝国の文化が栄えた土地で、古代の遺物も多く、彫刻家、建築家らはこれらから多くを学ぶことができた。建築の分野ではブルネレスキがルネサンスの建築家の始めとされる。ブルネレスキは当時困難とされていた、フィレンツェ大聖堂(サンタ・マリア・デル・フィオーレ)に大ドームをかけるという課題に合理的な解決をもたらし、世の賞賛を浴びた。中世の職人とは異なる、高い教養と科学的知識を持つ建築家の誕生である。 |
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奥の巨大な丸屋根の内側の絵 |
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「人間はあらゆるものになる可能性を持っている」と説いた人文主義者アルベルティは、建築論と実作、絵画論など多くの分野で業績を残しており、ルネサンスの理想である「万能の天才」の一典型とされる。また、ミケランジェロ、レオナルド・ダ・ヴィンチ、ラファエロは、建築、彫刻、絵画など多方面で多彩な才能を発揮した。 |
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ヴェッキオ宮殿とシニョリーア広場の彫像群 |
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▲▼ 芸術表現の特徴としては、キリスト教の洗脳による先入観から解放するために、キリスト教が罪と定義する裸、すなわちカナンが奴隷となった原因である「裸を見る」行為を奨励し、裸図や裸像を作った。また、ドナテッロやミケランジェロは、ユダヤ王ダビデの像のペニスを割礼のない様相を強調して彫り、ダビデがユダヤ人ではなくパレスチナ人であったことを主張した。 |
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ミケランジェロの「ダヴィデ像(コピー)」 |
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バンディネーリの「ヘラクレスとカクス像」 |
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イタリアでルネサンス文化が開花したのは、フィレンツェ、ミラノ、ローマ、ベネチアなどの都市である。学芸を愛好し、芸術家たちを育てたパトロンとして、フィレンツェのメディチ家、ミラノのスフォルツァ家などが知られている。 |
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15世紀末にはサヴォナローラの改革により、フィレンツェの芸術は衰退し、フランスとの抗争でミラノのスフォルツァ家も1515年に追放されたが、ローマでは教皇によるサン・ピエトロ大聖堂などの建設が行われ、多くの芸術家が集められた。1527年のローマ略奪により、ローマは一時荒廃したが、ベネチア共和国やトスカーナ大公国(フィレンツェ)で美術の隆盛が見られた。 |
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屋外彫刻ギャラリー「ランツィのロッジア」 |
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ルネサンスの時代は、明るい時代だったというわけではなく、ペストの流行や、マキャヴェッリが『君主論』を著したことで知られるように、政争、戦乱の続く波乱の時代であった。文化を享受していたのも宮廷や教皇庁など一部の人々に過ぎず、魔術や迷信もまだ強く信じられていた。 |
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ジャン・ボローニャの「サビーネの女達の強奪」 |
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チェッリーニの「ペルセウス像」 |
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帰れソレントへ Torna a Surriento
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BGMに流れる「帰れソレントへ」は、ソレントに捧げられた代表的なナポリ民謡(カンツォーネ)。1902年9月15日にソレントを訪れた時の首相ジュゼッペ・ザナルデッリのために、市長の要請を受けたジャンバッティスタ・デ・クルティス(作詞)エルネスト・デ・クルティス(作曲)兄弟が創った。1961年、エルビス・プレスリーが「サレンダー」というタイトルで英詩で歌い、アメリカでもNo.1を獲得するヒットとなった。 |
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ソレントが面するアマルフィ海岸 Costiera Amarfitana は、イタリア・カンパニア州サレルノ県、ソレント半島南岸の海岸で、ティレニア海・サレルノ湾に面する。ヴィエトリ・スル・マーレからアマルフィを抜け、ポジターノへ到るまでの一帯で、世界一美しい海岸といわれ、1997年にユネスコの世界文化遺産に登録された。 |
Vide ‘o mare quant’e bello,
Spira tantu sentimento,
Comme tu a chi tiene mente,
Ca scetato ‘o faie sunna.
Guarda, gua’, chistu ciardino;
Siente, sie’ sti sciure arance:
Nu profumo accussi fino
Dinto ‘o core se ne va…
E tu dice: "I’ parto, addio!"
T’alluntane da stu core…
Da sta terra de l’ammore…
Tiene ‘o core ‘e nun turna?
Ma nun me lassa,
Nun darme stu turmiento!
Torna a Surriento,
famme campa! |
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美しい海
感傷をさそう
君の優しき囁き
夢の中へいざなう
軽やかな風は
オレンジの香りを運び
その芳しさは
恋心に沁みる
「私は行くわ、さようなら」
君は言った
僕の恋心を見捨て
僕の気持ちを置き去りにして
行かないでくれ
これ以上僕を苦しめないでくれ
ソレントへ
帰って来ておくれ (歌詞抜粋 意訳) |
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ふぃれんつぇの らぞうをめぐる はるのゆう |
Spring evening, looking around the naked statues of Firenze. |
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夕暮れのヴェッキオ宮殿とシニョリーア広場 |
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