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 特集!旅紀行

2004年9月26日改訂

今 日

昨 日

♪Song of India (Rimsky-Korsakov) Flute MIDI by Kasuga

                   田植え

2004年3月12日制作

田植え

                         拡大写真(1200x900)270KB

インド西ベンガル州プルリア

第 14 集

2004年9月26日(日)  
インドの

極彩色ごくさいしき

初めての日本出張 海外勤務歴10年目にして、初めて日本出張の機会があり、先週、今週と移動してましたので、まだ、身体がふわらふわらしています。6000キロ以上の移動をたった一日でしてしまうわけですから、身体がこの移動について来ません。唐天竺時代なら何年も掛かって移動していたんでしょうから、飛行機という文明の利器で、移動だけは確かに便利になったとは言え、生身の人間の身体には、体内時計のモードの切り替えが上手く行かないのだと思います。パソコンを打つこの指が、へらへらと、まだ踊っています。

お隣さん点描
 さて、今回は、タイ航空で、バンコク経由で、移動しましたので、以下、お隣さん点描です。

往路のバンコクまでは、カルカッタのマザーテレサのハウスで、3ヶ月間のボランティアを終えて、丁度日本に帰られるところの20歳代の女性が隣でした。額には赤のビンディが1個。ビンディは、インド女性のおしゃれで、色々な色があります。色粉を塗ることもあります。彼女は、マザーハウスでのボランティアで、また来年もカルカッタに来られると言われてました。(えらいわ〜!)

バンコクから成田までは、パキスタン人の20歳代の男性で、カラチの出身。就労ビザを持っているとのことで(ほんとけ?)、横浜で、中古車の輸出の手伝いをするのだと言ってました。カラチに輸出すれば、飛ぶように売れるんだそうです。足を大股で開いて眠るので、こちらも、さらに押し合うように、大股開きで寝てやりました。パキスタン人に負けていては、インドでは仕事が出来ません。(あんた、しっかり日本で稼ぐのよ!)

成田エキスプレスでは、ロスアンゼルスから5年ぶりに日本に戻って来たという、竹中平蔵さん似の20歳代の男性でした。米国のソフト系企業に勤めていて、太陽神戸銀行の通帳はまだ使えますか?・・と聞かれて、うっ!と詰まり、答えられなかったインド勤務4年目の私でした。アメリカでは変なしがらみがなくて、日本よりはるかに働き易いとのことで、もう丸5年。今回、初めての帰国とのことでした。大成は、ロスでも看板を見かけますよとのことでした。(嬉しいわ!)

しかし、20歳代の勢いというか、彼らからは、雄飛の匂いがぷんぷんして、インドでへたっているおっさんには、彼らが実に輝かしく、羨ましく思えました。

復路は、成田からバンコクまでは、半導体のサンプルを抱えたビジネスおじさんが隣でした。毎月最低一度は、日本からバンコクに飛んでるとのこと。おじさん、東南アジアが完全にビジネスエリアなんですね。

バンコクからカルカッタまでは、インド人バイヤー。タイで仕入れた衣料品が、インドでがんがん売れるのだそうです。託送で、大袋で、大量に持ち込みますので、タイ人がインド人を嫌うのがよくわかります。また、手荷物も凄い量です。インド人、絶対に自分を譲りませんから、この辺も、温和なタイ人に嫌われるのでしょう。

カルカッタからジャムシェドプールまでは、私が列車のドアを開け、身を乗り出して外の景色を撮影してましたら、背後からインド人に声を掛けられ、貴方は、ブータン人か?と聞かれました。ま、悪い気はしなかったです。たんげのたんって、ブータンのタンなのかも?

私も若い頃は、飛行機に乗ると、スチュワーデスさんのほうに気が取られる時期も、確かにありましたが、今では、老成してしまい、隣り合わせになった方と、話も弾み、お互いのくぐって来た人生を語り合う心の余裕が、出来て来たということでしょう。飛行機で席が隣り合うだけのご縁ですが、落ちる時は、たぶん、隣の方と手を繋ぎり合ってとなるでしょうから、案外、前世では濃いい関係だったのかもしれません。

カワ通も、これで110本目ですので、今回は、豪華にいきたいと思います。色のチャンポン、インドの極彩色をお届けします。
1) 子供7人 バグムンディ村にて撮影。7人が、揃ってカメラ目線の画像もあったのですが、この3人の眼が飛んでるのが、この村の子供たちらしいと思い、あえて、これを採用しました。柱の絵は、ヒンドゥー教の宗教画、ラドハ女神から、言い寄られているクリシュナ神です。インドではクリシュナ神は大変に人気があります。クリシュナのように、死ぬまでに、一度は持ててみたいものです。

子供7人

2) 夜の雑貨店 ジャムシェドプールの商店街での一枚。黒シークのターバンが、おしゃれです。このターバンから、変なものを想像しないで下さいね。インドは、たそがれ時のこういう光景にも、素敵な色が多いと思います。商品の並べ方も雑多ですが、素敵です。

夜の雑貨店

3) 腕輪屋 インドの女性のおしゃれは、ビンディだけでなく、腕輪でも。インドの女性は、輝く色の腕輪が、特にお好みのようです。これは、オールドデリーの腕輪屋さんですが、女性は、モスレム(イスラム教徒)のため、撮影の時には、顔を隠されてしまいました。凄い美人でした。

腕輪屋

4) 移動射的屋 カルカッタのニューマーケット裏で。おやじさんは、この風船板を持ちながら、人の集まる場所で、営業を展開。風船が見事割れると・・・う〜ん、何をもらえるのかを尋ね忘れました。ほんとに撃たれるかと思った・・・。

移動射的屋

5) ディーゼル機関車 こうした色使いは、日本ではなかなかしないでしょう。タタナガール駅ですが、インドでは、まだ電化されていない路線も多く、こうしたディーゼル機関車が大活躍です。蒸気機関車も、パンジャブ州で見たことがありますが、西ベンガル州では、流石に、蒸気はもう走ってないようです。

ディーゼル機関車

6) 極彩色の夢 おやっさんは、今晩のタリー(定食)のカレー、犬は、ゴミ捨て場の肉のついた骨・・・一人と一匹・・・見ている夢は、たぶん、極彩色。カルカッタの路上にて。時間が、ゆったりと流れています。

極彩色の夢

インドの極彩カラーで、以上6点。日本の方は、これらインドの原色系の色使いに、何やら、背中やお尻が、むずむずして来ませんか?

日本では、わずか2日半でしたが、東京は、気温が35℃近くもあって、ネクタイ&背広では、きつかったです。慣れぬ革靴で、しっかりマメが出来ました。雨季の時期のインド勤務のほうが、気温も低く、楽やな〜と、思った今回の出張でした。

中1の息子には、今回、内緒で帰りましたので、テレビの前で寝転がっている息子に、夜、突然、しょぼくれて現れてやり、父ちゃんは、お前が余りにだらしないので、もう会社を辞めてインドから帰って来た、これからは毎日一緒だぜ・・・と、役者して言ってやりましたら、本気にして、心底、ビビってました。ざまあみろ!です。

今週は、アラブ首長国連邦(UAE)に事務修業で行っていた3名の若手が、研修終了の帰路で、インドに寄って呉れ、うちの現場にも訪問して呉れましたので、賑やかな週になりました。箸が転がるだけで喜べるその若さに、羨ましいものを感じました。この海外作業所事務研修も、2年で4期まで終了し、卒業生も、UAEとインドで、すでに14名となりました。残念ながら、外人女性と結婚出来たという話はまだ聞きません。若者の今後の奮戦に期待したいものです。

出張報告のようになったインドの色、第十号でした。では、ごきげんよう。
2004年9月17日(金
インドの空の色
空を見上げれば うちの所員が、小雨の中、寒い、寒いと、現場から上がってくるので、何℃かと思って、温度計を見ましたら、午後4時で、24℃、これでは、身体が冷えるはずです。雨季もあと一ヶ月ぐらいで上がると思いますが、この時期は、ベンガルの秋でもありますので、温度も、どんどん下がっていきます。
最近は、ろくでもない事件が世界中で頻発していて、気持ちも沈んでしまいがちですが、そういう時には、空を見上げれば、人間にも元気が戻って来ようというものです。従い、今回のカワ通は、空色の特集です。
空色。そらいろ。英語で、ずばり、Sky Blueです。あるいは、天空の青という意味で、Celestial Blueとか、Firmament Blueとかも、使われているようです。どれも、とても良い響きですね。では、今回は、インドの空を6葉、お届けしてみましょう。

1) ジャムー&カシミール州の空 どうですか、この青空。パキスタンとの国境紛争地帯のカシミールは、日本の皆さんには、カシミア羊毛の産地として、名前が知られていると思います。どうです、この紫外線(見えませんが・・・)。日本の美しい女性は、インドで、3倍早く、お歳を召されると言われていますが、きっと、このウルトラバイオレット光線にやられるからだと思います。

ジャムー&カシミール州の空

2) ジャムーの上空からの大地と、ヒマラヤの空 エアバス320から、ジャムー市郊外を眺めています。インドでは、このようなヒマラヤ山脈近くの河でもこのように蛇行し、泥を含んだ茶色です。左手方向は、もうパキスタンとの国境近くになります。こうして、上から見ると、人間が自然界の中で、なんとか住ませて貰っているのがよくわかります。

ジャムーの上空からの大地と、ヒマラヤの空

3) ヒマーチャルプラデッシュ州の山間部での空 ヒマラヤの青空とこの白雲。なんか、気持ちがすっきりしてきます。空気も最高に美味いです。100歳まで楽々生きられそうな感じです。

ヒマーチャルプラデッシュ州の山間部での空

4) カルカッタのハウラー駅の空 地獄へようこそ!この駅からの列車で、うちの所員は、うつむいて、肩を落として、現場に戻って来ます。ハウラー駅には、20数本のホームがあり、この駅を拠点に、インド全土に、鉄道が伸びています。堂々とした駅舎で、さすが、インド帝国の旧帝都です。

カルカッタのハウラー駅の空

5) ジャムシェドプールの空 ハウラー駅から約4時間、250キロ離れたタタナガールの駅です。この空の先に、アラビア海に面したムンバイがあります。が、あと、28時間掛かります。ここまで来ると、所員は、逆に開き直って、もうやるか、やられるか、だったら、やるしかないという気になって、待ち構えたうちの車に、捕獲され、2時間で、現場に投入されています。これまで、誰も逃げれ切れた所員はいません。

ジャムシェドプールの空

6) 西ベンガル州の空 うちの現場辺りのごくごく普通の光景です。のどかな田園風景です。人間まで、のんびりして来ます。が、ダム現場では、毎日、工程に追われた、激しい闘いが続いています。

西ベンガル州の空

以上、インドの空色でした。日本と、余り変わりなかったですか?
一日じゅう空を見ていた・・・私の大好きな作家、片岡義男さんの小説の題名です。日本では、人間世界での刺激が多すぎて、なかなか、ゆったりした気分で、のんびりと空を見上げることが、ないのではないでしょうか?季節の切り替えの時期に、日がな空を眺めて、のんびりしてみたいものです。と、いつも心掛けるのですが、そんな余裕心が、なかなか出来ないのが、情けないです。
では、最後に、一句、ご紹介します。
 秋風や高井のていれぎ三津の鯛
 あきかぜや たかいのていれぎ みつのたい
故郷松山の俳人、正岡子規の明治28年の句ですが、砥部(とべ)の近く、山の麓の高井の清流で育つていれぎと言う水草と、瀬戸内海の島々が見渡せる三津の魚市場の鯛を見事に掛けて、四国松山の秋を表現しています。
句集では、この句の前に、たぶん、子規のこの句の創作メモだったのでしょうが、「故郷の蓴(じゅんさい)、鱸(すずき)、喰いたしと、言ひし人もありとか・・」とあります。日本の鱸は刺身が美味いのですが、ベンガル湾の鱸は、カルカッタでは、蒸して食されます。
秋は、夏に痛んだ体力も回復して来て、食欲も湧いて来ますよね。では、日本の皆さん、深まりゆく今年の秋を満喫して下さい。ごきげんよう。

プロフィール

拡大写真(800x600)99KB

 
 
撮影 ・原作 : 
 

丹下誠司たんげせいじ

 

職業:大成建設(株)勤務

住居:インド共和国西ベンガル州プルリア地区バグムンディ村
趣味:インドの神像収集
  (前任地のインドネシアの絣(イカット)も100枚ほどのコレクションがあります)
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