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 特集!旅紀行

2005年5月7日改訂

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♪Song of India (Rimsky-Korsakov) Flute MIDI by Kasuga

                   

2004年3月12日制作

インドの子供たち

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インドの子供たち

第 24 集

2005年5月7日(土)  
インドの動詞シリーズ「せ・ん・た・く・す・る」

皆さん、たっぷりと良いGWをお過ごしになられましたか?しかし、10連休とは、海外勤務者並みですよね。海外勤務の極楽度を少しは、感じて頂けたのではないかと思います。海外も仕事さえなければ、ほんと極楽浄土なんですが・・・。

しかし、日本も、丁度、よい時期に、休みが来るというか、私たち海外勤務者の4ヶ月休暇と、日本のGW,盆、正月は、ペース的には、似てますよね。こうしたまとまった休みで、溜まって来た疲れも一挙に取れ、丁度、よいインターバルが、この間隔なのかもしれません。

ナンバンサイカチ ベンガルでは、今年もまた、ナンバンサイカチ(英名、Golden Shower)が、咲き始めました。これは、下ダム、標高230mぐらいの地点での、小木の開花です。このレモンイエローの清々しさ。ナンバンサイカチは、高さ10mぐらいの樹に成長しますが、花の房は大きなものでは、1mぐらいにもなり、日本の藤の花にも、負けず劣らずの見事な花の房を、梢から垂らします。

丁度、中央で黒褐色に写っているのが、ナンバンサイカチの実で、レモン色の花とはアンマッチですが、ベンガルでは、バンドル・ラティ(サルの棒)、モンキースティックと呼ばれているようです。鞘の中にある甘いパルプを目当てに、猿が集まって来るので、こ名前・・との説もあるようです。このパルプは、タバコの香り付けにも、インドでは使われるそうです。(西岡直樹さん著 定本インド花綴り 木犀社より)

ナンバンサイカチの木陰に立ち、レモンイエローの光の洪水を浴びて、流れる風の中に立ちますと、外気は40℃越えですが、乾いたインドの極楽感覚を味わえます。
ナンバンサイカチ

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上ダムの取水口 うちの現場のほうも、着々と工事が進行しており、GW中も、こうして作業が続いていましたんですよ!ということで、この一枚です。これは、上ダムの取水口(パワーインテーク)の辺りです。7月には、湛水(たんすい)が、開始されますので、この撮影地点も、湖底になります。2本の筒は、ゲートシャフトと言い、三菱重工さんの水門が、ここで水を止めてくれます。湛水開始後は、ゲートが閉められ、水を溜めつつ、地下では、発電所の工事が進んでいきます。2007年3月の送電開始に向け、全体が着々と進んでいますので、不思議と疲労感はありません。ナンバンサイカチの花の清々しさ同様、インドマジックの一種でしょう。
上ダムの取水口

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では、動詞編、今回は、カルカッタの、『せ・ん・た・く・す・る』で、構成してみました。 以前、洗う編がありましたが、今回は、きれい好きのベンガル人を象徴して、洗濯する編で、4枚のインド画像を、お楽しみ下さい。
1)人力車 夕方に近い、午後の一枚。路上の井戸周りは、仕事終わりのカルカッタの庶民の、銭湯のようなものです。一日の汗を流して、皆、ほんと、楽しそうです。確かに、インドでは、行水すると、リフレッシュできると思います。人力車も引いてもらうと、重い私は、なんか申し訳ない気になるのですが、座席のせいで目線が高くなりますので、私はカルカッタでよく利用しています。

人力車

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2) 足洗い 左揉み洗いも、足のほうが、もちろん、強力です。洗濯のカーストは、インドでは、ドービーと呼ばれています。女性の洗い手ももちろん多いのですが、カルカッタでは、男性も数多く見受けられます。ちなみに、私は、今、単身赴任ですが、ハンカチの洗濯が、得意です。ハンカチ以外の洗濯は、したことがありません。

足洗い

3)ぬいぐるみ ものを大事にするベンガル人ということで、この一枚。彼女は、職業の洗濯屋さんというより、家で、自分の服や家族の服を、洗ってるのだと思います。ぬいぐるみは、くまと犬。たぶん、この子の子供や孫へと、このぬいぐるみは、引き継がれていくのだと思います。最近、やっと余裕が出来てきて、ベンガルにも、美人が多いじゃん・・と思い始めた私です。

足洗い

4)母子 井戸近くで、洗濯している母&子。ほのぼのとした雰囲気に惹かれ、この一枚。母と共に過ごせる時間は、子供にとって貴重ですよね。 5月8日は、母の日だなと思いながら、松山の両(本、 義理)オフクロに電話でもせんとな・・と思いつつ、またも断線中の我がキャンプです。繋がるもんだと思うと、期待しますので、電話は繋がらない・・と思うのが、インドで快適に仕事を進めるコツです。

母子

以上、カルカッタでの先週の撮影4枚で、「洗濯する」を構成してみました。

カルカッタの裏通りを歩けば、至るところで、こうした日常の生活の光景を目にすることが出来ます。私は、カルカッタの街が大好きで、今回も、日曜日の午後の空き時間、湿度70%越えで、流れ出す汗も止まらない状態で、約3時間、カメラ片手に歩いて来ました。街の名前は、今は、コルカタに変わっても、いつまでも、変わって欲しくない街が、このカルカッタです。

インドで初めてウイルス罹患 この号の最後に、インドで初めて、ウイルス罹患しましたので、そのご報告です。

実は、先月の23日には、日本でも話題になったウイルスバスターで、私も、見事に、やられました。退治するはずのバスターに、逆にやられていては、しゃれにもなりませんが、パソコンがウイルスの危険に晒されていますの表示で、クリックすると、あっという間に、画面が止まりました。

昨年秋に、このIBM R32を修理して、マザーボードなどを換えたばかりでしたので、今回も、また、中がやられたのかと、電池を入れ替えたりしつつ、それでも直りませんので、これは、おかしいと、60キロ先のプルリアの街のパソコンショップにまで走りました。

この店で、CPU(中央演算装置)が100%になっており、何かのプログラムが影響していることがわかり、インド人のシステムエンジニアに調べて貰いましたら、なんとウイルスバスターが影響していることが判明。で、早速、これをプログラム除去し、CPUが2%程度に落ちたのを確認して、また、ウイルスを貰うといけませんので、別のアンチウイルスソフト(マイクロトレンド)を投入しました。電話回線で注射したため、約2時間かかって、やっと復旧。この時点で、12時間経過し、サイトに辿り着いたら、もう夜の8時で、計14時間のトラブルでした。

26日のマイクロトレンド社のエバ・チェン社長(中国系女性か?)の会見では、不具合ソフトの「594」を最終検査をしないで、送りだした、そのお詫びと反省で、自身の月給を、594円に今後減給するとのこと。期間は、障害を起こしたコンピューターの最後の一台が復旧するまでとのことで、これまでにない反省の仕方ですが、アメリカの経営者というのは、即、誤りを認め、その対応を取る姿勢は、立派だと思いました。でも、私の14時間は、どうして呉れる?・・・またパソコンに少し強くなれたから、これも、授業料ということで、まあ、いいかあ〜(笑)。

では、GWでリフレッシュした身体で、次の盆休みまで、ひた走りましょう。 こちらは、7月1日の湛水目掛けて、怒涛の走りを見せますからね。我々にも、大きな区切りがやって来ます。  (あらら、もう2ヶ月ない・・・)。
2005年4月23日(土)  
インドの動詞シリーズ「お・ち・ゃ・す・る」

 先週は、日本に飛んでおりましたので、間に一週挟みました。今後は、このぐらいの、隔週のペースも、良いかなと思いながら、また、考えて見ましょう。文章を打つのは、そうでもないのですが、インド画像を撮り貯めるのが追いつかないのですね。まとめて撮影の時間を持つということがなかなか出来ず、移動の途中とか、休日の散歩での撮影とかで撮り貯めていますが、インドの風景、光景がそんなに変わるわけもなく、マンネリ化しないような工夫も必要だなと最近思っています。でも、週刊で、2年と3ヶ月、この号で136本目ですから、皆さん、そろそろインドに飽きて来られたのでは?・・・(笑)

 先週の会議は、世界26ヶ国から、社員約40名が集まっての会議で、なかなか壮観でした。世界五大陸に大成マンがこうしてわんさか散らばって建設事業を展開しているのかと思うと、皆が逞しく、また、若手が特にふてぶてしく、圧倒されて来ました。私も、後輩たちに、そろそろインドバトンを譲る時期が、来ているのかも・・と、日焼けして精悍な顔の若者たちと、会議後の懇親会で、一杯やりながら思いました。

南果 さて、このプルリアも、連日、40℃を越える日が続いています(今日は41℃)。5月になれば、もっと暑くなりますが、この時期、インドの樹々も、太陽熱を一杯吸収して、実をたわわに実らせますので、休日のとぼとぼ歩きも、つい、頭の上の果実を探してしまいます。

 これは、何か?・・・・・・ 南果(なんか)・・・・・・・・ちょっと、冷えましたか? 先のシリーズ、『インドの樹』でも、これは、何か?で、ご紹介しておりますが、この南果、英名ジャックフルーツといいまして、日本では、パラミツ(波羅密)とも、呼ばれているようです。ベンガルでは、カンタールと呼ばれています。でかいものは、子供の身体ぐらいの実(60cm、30kg)を、幹につけます。この果実は、中に、黄色の果肉があり、香りもよく、歯ごたえもよいので、東南アジアでは、夏の果物として路上でよく売られていますが、インドでは、まだ熟れる前の状態で、カレーの具として使われることが多いようです。 私の好きなアジアの果物の一つです。

南果の樹

南果の樹

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 この南果の樹は、ジャルカンド州で撮影して来ましたが、相当でかい部類に入ります。この緑の広がりとベンガルの大地。 40℃を越える外気の中での撮影ですが、乾燥していますので、風が吹いて来ると、とても気持ちが良いのです。相当暑いけど、実はそうでもない、不思議なインド感覚です。 樹の枝の下に入ると、突然の雨にも十分に雨宿りが出来るぐらい葉の層が厚く、樹の傘の下の空間が、甘酸っぱい、寛ぐような、とてもよい香りが立ち込めています。撮影の実は、いずれも、成長途中ですが、ラグビーボールのちょっと小型ぐらいのサイズです。インドでは、すぐ食べられてしまうのか、東南アジアでよく見た巨大南果には、まだ出会ったことがありません。

南果の実

南果の実

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 では、動詞編、今回は、インドの、『お・ち・ゃ・す・る』で、構成してみました。 京都で紅茶専門店を展開されている方から頂いたリクエストにお応えする形で、何軒か、喫茶店(屋台?)を撮影して来ました。
1)お茶友達 ジャムシェドプールの屋台にて。手前の釜の上には、チャイ(ミルクティー)。外にももちろん席があるのですが、昼間は、外は暑いので、やはり、こうした日陰で、皆さんお茶菓子を食べながら、寛がれるようです。

お茶友達

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2) 修行者 インドでは、サドゥーと呼ばれる修業者です。路上のチャイ屋で、誰かから貰ったお茶を、祈りながら飲んでいます。ヨガとかも、こうした修行者がやるんだそうです。この茶店の樹は、インド菩提樹です。インド菩提樹の周りに、お寺が出来たり、人の集まる場所が出来たりするようです。葉っぱが、合掌しているような優しい樹ですから、人も集まるのでしょう。

修行者

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3)土器 カルカッタのハウラー駅前の、乗降客用の茶店での一枚です。私も、チャイは、この小型の土器のカップで飲むことが多いですが、土の香りがして、お茶の味が全然違います。美味いです。なぜ、日本のスタバで流行らないのでしょうか? 右に、マリーゴールドとジャスミンの花輪を掛けられているのが、リンガ(男根・ペニス)というヒンドゥー教徒の宗教モチーフです。リンガの後ろの幹は、これもインド菩提樹のようです。
この土器は、チャイを呑み終わると、地面に投げられ割られます。2度使いはしません。人の唾液は、非常に汚いものと、捉えてられているようです。

土器

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4)茶商看板 カルカッタのニューマーケットにあるお茶屋さん(Tosh)の入り口の看板です。昔は、こうしてお茶を象で運んでいたんだなあと、この看板デザインに惹かれながら、撮影しました。ここ西ベンガル州には、北に、ダージリンというお茶の産地がありますので、カルカッタでは、歴史のある茶商が代々ティービジネスを仕切っているようです。今は、ファーストフラッシュ(春摘み茶)の季節ですね。

茶商看板

以上、ベンガルの『お茶する』で、4葉でした。珈琲が日本では大人気ですが、お茶も、どっこい、お奨めですよ。

 最近のニュースでは、中国の反日運動の活発化が非常に気になります。中国へは、今後は世界の工場だ!ということで、日系の各企業の進出が続いていましたので、皆、今後の日中関係の動向に非常に神経を尖らせているのではないでしょうか。

 今回の反日運動の根っこは、近代史では、日清、日露戦争の辺りまで、遡ることになるのではと思いますが、2つの世界大戦に揺さぶられながら、欧米列強諸国が、アジアの植民地から引き上げて行った歴史の中で、日本が果たした役割も決して少なくはないわけで、日本の今の考えを、相手の考え、価値観も尊重しつつ、毅然とした態度で繰り返し示すことが、今後の国際社会の中での日本の地位を確立することに繋がるでしょう。

 戦後60年経っても、これだけの騒動になるわけですから、日本の両大戦での進出国における我々日本人への評価は、決して好転しているわけではなく、また、その反日感情の根強さは、我らの思考の枠をはるかに越えて、突然爆発する、歴史を忘れては貰えない、これが、国際社会(日本語の外の世界)なんだ・・という認識を、日本の側は持ち、今後の状況に臨むべきでしょう。世界史の中で、国家の置かれた状況は刻々と変化しますので、世界での声に耳を傾けながら、変に媚びた妥結を、相手とする必要はないと思います。

 では、インドは? ベンガルでは、独立の英雄、チャンドラボース将軍が、インド国民軍を組織し、インパール戦を共に闘っていますので、親日的と言えると思います。この将軍の人気は今もベンガルでは絶大で、第2次大戦時に、ドイツから、Uボートで出航し、マダガスカル沖で、日本の伊号潜水艦に乗り移り、シンガポールまでたどり着いて、そこで、インド独立のために、国民軍を組織していますから、その行動力に、今も憧れを持つベンガル人が非常に多いようで、街や村の至るところに、胸像が立っています。しかし、ここでは、親日的と言っても、そんなに、べたべたしたものではなく、単に、対等な関係、日本人=カーストの外の人間、と思ってるだけかもしれません(笑)。

 お茶の話題が、最後は、堅くなりました。 では、ベンガルより、ごきげんよう!

プロフィール

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撮影・原作 : 
 

丹下誠司たんげせいじ

 

職業:大成建設(株)勤務

住居:インド共和国西ベンガル州プルリア地区バグムンディ村
趣味:インドの神像収集
  (前任地のインドネシアの絣(イカット)も100枚ほどのコレクションがあります)
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