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Wa☆Daフォトギャラリー

 特集!旅紀行

2005年9月4日改訂

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♪Song of India (Rimsky-Korsakov) Flute MIDI by Kasuga

                   

2004年3月12日制作

エローラ第16窟(正面)

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世界遺産・エローラ第16窟

インド通信

第 28 集

2005年9月4日(日)  
 路上にて編 「ムンバイ」
先号は、アジャンタ・エローラ遺跡でしたので、やはり、仏教徒の多い日本の読者に受けたのか、なかなか喜んで貰えたようで、こちらも、苔岩に2回も、転倒しながらも、撮影した甲斐があったというものです。

ムンバイを経由して、アジャンタ・エローラ遺跡のアウランガバードに飛びましたが、ムンバイにも、2つの世界遺産があり、エレファンタ島と、ビクトリア駅、これらも撮影して来ていますので、また、ワダ☆フォトギャラリーで、インドの世界遺産として、いつかご紹介させて頂きたいと思います。

では、今回は、アラビア海に面するムンバイの街を、路上にて編の第5号として、ご紹介させて頂きたいと思います。ムンバイは、インドの都市で最大の人口1300万人を誇る商都です。以前の名の、ボンベイと言ったほうが、馴染み易い日本人が多いかもしれません。ボンベイは、ポルトガル語の、良い(ボン)湾(ベイア)から、来ているんだそうです。アラビア海に面していますが、ボンベイ港は、小さな半島の内海側にあり、アラビア海の高波を防いだ位置にあります。1534年から、まずポルトガルが所有し、次に、1661年からはイギリスの所有地として、発展して来た港町です。

ムンバイで有名なのは、ボリウッドと称されるヒンディームービーで、ボンベイ郊外にあるフィルムシティーという映画村で量産されています。7月の休暇で、西新宿のうちの会社の裏で、たぶん、電車男のカット撮影中の、サトエリを見て、女優ツキのある小生、このムンバイでも、路上で、インド女優をと思ってましたら、やはり、このツキは活きており、タージマハールホテル前で、ハーレーの上で、ポーズを取っているきれいな女優さんの撮影現場に出くわしまして、やはり、大都会は違うなあと思わされました。インド女優のほうが、サトエリより、スタイルが良かったと言うと、サトエリファンに怒られますよね。

では、以下、ムンバイの撮りたて画像12枚を、お楽しみ下さい。

1)タージマハールホテル タタ財閥のフラッグシップのホテルで、1903年竣工。インドの最高級ホテルと言えると思います。税込一泊300ドル程度からだそうです。これは、海側からの撮影ですが、建物的には背面でしょう。が、正面玄関は、この背面側にあり、インド的に前後を間違えたのでは・・?と思いながら、撮影しました。ちなみに、私は、裏のカールトンホテルに、14ドルで泊まって来ました。

タージマハールホテル

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2) 2階建バス ムンバイの街の特徴は、この2階建のバスです。元英領の雰囲気が、ぷんぷんします。バスやタクシーが沢山走っており、移動には不自由しませんでしたが、渋滞も、ムンバイは、場所によっては、物凄いようです。カルカッタで私が愛用している人力車やオートリキシャは、全く見当たらず、市内の走行規制があるのかもしれません。

2階建バス

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3)昼寝 貧と富、都会と田舎、この混在も、ムンバイの特徴でしょう。身分の差、カーストの存在もさることながら、富の極端な偏りが、インドの大きな特徴だと思います。街の喧騒が、画像から、伝わると嬉しいですが・・

昼寝

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4)絨毯屋 どうです、こんなカーペット屋さんで、値引き交渉をしながら、自分の欲しいペルシャ絨毯を、自分の言い値で、ゲット出来るようになれば、貴方は、インドの旅の達人、交渉の達人と言われることでしょう。店の奥にどっしりと座っているのは、店主・・・・・の人形です。

絨毯屋

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5)オリンピア 地球の歩き方という優れた旅の情報本があり、利用されている皆さんも、多いと思います。私たち建設業者も、見知らぬ土地の乗り込みでは、この本に書かれた情報を、多いに活用させて貰っています。このイスラム喫茶店も、地球の歩き方に出ていて、厚い柔らかなパンがお奨め・・との投稿でした。パンは柔らかではなかったですが、マンゴ生ジュースで流し込み、私も、この店を、2回も楽しんで来ました。

オリンピア

6)魚の行商 ムンバイ駅のローカル線のプラットホームにて。 朝7時頃ですが、ムンバイの外からの列車で、こうした魚行商のおばちゃんたちが、続々と、ムンバイの駅に乗り込んで来て、頭に、この魚がたっぷり入った篭を載せ、四方八方に散って行ってました。
 

魚の行商

7) かごの中 マナガツオと、名前不明の白身系の魚。下の海老は、ちょっと、小ぶりですが、このサイズが一番美味いのです。このように、朝獲りの新鮮な魚類が、続々と運ばれて来ていますので、ムンバイの海鮮料理は、インドで一番美味いのではないかと思います。ムンバイ沖には、規模は小さいですが、油田、ガス田があり、海老が多く獲れる海には、油田がある・・を、証明しています。

かごの中

8)ムンバイ駅 東京では、線路を、跨いで、隣のプラットホームへということは、まずないでしょうが、インドでは、ごくごく自然に見られる光景です。私も、カルカッタのハウラー駅で、よく、ホームとホームを歩いて渡っています。まあ、プラットホームに這い上がるのが、ちょっとやっかいですが、列車が来ていなければ、なんということはありません。別に注意もされませんし。

ムンバイ駅

9)通勤列車 日本の通勤列車と違うのは、座席の配置です。日本の都会の電車みたいに、立ったまま、ぎゅうぎゅう詰めとはならないようです。インドが混まないのは、次の列車が来るのを待ってしまうから?あるいは、電車がどでかいから?あるいは、汗で、ぎとぎとの身体を押し付け合いたくないからな? つり革も、形も、素材も、日本とは、ちょっと、違いますよね。当たると痛そう(笑)。

通勤列車

10)ポスト 3つのポストの機能の区別が、私の勉強不足でわかりませんが、左から水色=メトロ(4大都市?)、緑色=ローカル(ムンバイ?)、赤色=その他の一般都市?。 ムンバイの路上のさりげない、街のおしゃれです。

ポスト

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11)旅の朝食 カールトンホテルの裏のジュース屋にて。私のブレックファストです。焼きサンドに、ざくろ生ジュース。ざくろジュースは、そのままでも、淡い甘さで、もちろん良かったのですが、インド的に、砂糖がどかんと入れられて、あとで、胸焼けしてしまいました。焼きサンドは、トマトとキュウリに、マサラ胡椒ソースがこってり。 これで、40Rs(100円)の、贅沢です。

旅の朝食

12)新規参入 インドに、最近、このキングフィッシャーエアーというビール会社経営の航空会社が出来、ムンバイ〜デリー間の就航を始めています。『カワセミ航空』というわけです。デカンエアーというのも出来ましたし、私が乗り込んだ時には、3社でしたが、今、その倍ぐらいになっていて、インドは、航空市場の民間への開放と、各社の熾烈な競争が進んでいます。

新規参入

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以上、ムンバイの路上にてで、12枚でした。さて、今週は、パキスタンに飛びますので、一週間ほど、インドを離れます。パキスタンは、独立前は、同じインド帝国だったのですが、分かれて、もう58年、今回は、イスラム探訪ということで、うちの会社の施工作品を主な訪問先とし、イスラマバード、ペシャワール、ラホールなどを回って来ます。面白い画像が拾えれば、また、ご紹介したいと思います。

そうそう、大事なことを、一つ。

懲りもせず、2年8ヶ月に亘り、長らく、おつきあい頂きましたインド通信も、残すところ、あと1本で、終了です。4年2ヶ月となりました私のインド勤務も、今月末で、私のインド任務が終了しますので、インド通信も、あと1本で、終わりとしたいと思います。プルリアの工事は、もちろん、まだまだ続いていますので、私もお役御免とはならず、私のインドとのつきあいも、まだまだ続きますが、今後は、拠点を日本に移し、仕事も日本モードに切り替えて、今度は、日本から、インドを見てみたいと思っています。

さて、さて、インド通信、最後の路上は、どこからにしましょうか? ご期待下さい。
丹下誠司拝   於 バグムンディ
2005年9月4日(日)
http://wadaphoto.jp/kikou/indiamokuji.htm
Taisei Corporation
Purulia Pumped Storage Project
West Bengal, India
2005年8月27日(土  
路上にて編 「ムンバイ」
皆さん、お盆は、ゆっくり過ごされましたか? 久しぶりのインド通信となりました。

ブータン松茸 今年も、ブータン松茸が、丸紅カルカッタさんのご手配で、届きました。私は、これで、5回目のブータン松茸ですが、毎年、香りも、味も、食感も、よくなって来ているように思います。インド勤務で、カレーと、松茸だけは、舌が驕ってしまったような気がしています。インドで、贅沢ばかりしていて、すみません。インド通信の読者の方で、松茸大好きの主婦の方が居て、このブー松掲載の時にだけ、メールの返事を下さるので、今年も、敢えて掲載してみました(笑)。
ブータン松茸

デカン高原、アジャンタ・エローラ遺跡の旅 私は、現場で、お盆休みを独自に(勝手に)作り、念願の、『デカン高原、アジャンタ・エローラ遺跡の旅』に、出て参りました。インドの西、ムンバイを経由し、デカン高原の街、アウランガバードに、飛びました。時期的には、この8月は、雨季ですので、アウランガバードのホテルも、ガラガラで、長い交渉もせず、簡単にハイシーズンの3分の1の価格で、泊まることが出来ました。

ただ、リュックを背負ったおじさんバックパッカーは、弱った足腰で、濡れた岩山の苔に滑り、あちら、こちらで、2回も、転倒してしまい、歳を感じてしまいました。崖とか、斜面とか、また、高いところも苦手なんで、平常心で居られないんだと思います。

今回の旅の目的は、岩窟の壁画や彫像の撮影でしたが、イオスキスデジタルですら、オートでピントが合わせられないほど暗かったり、また、暗すぎてシャッターが下りずブレたりと、腕の無さに泣きましたが、アジャンタでは、9時間半、エローラでは、5時間半と、ぶっ続けで撮影し、感動すると時の経つのも忘れると言いますが、多数のピンボケ、ブレ画像を抱えながらも、それでも、これで、インドでの長年の個人的な願望が叶いましたので、もう完全に満足しています。それほど、アジャンタ・エローラ遺跡は、凄い!の一語でした。

 では、撮りたての画像、8枚で、路上にて編、『デカン高原』を、お楽しみ下さい。
1)デカン高原 アウランガバード空港では、標高570mの表示板を見かけましたので、この辺りで、標高は600m前後でしょうか。青空ですが、気温も35℃ぐらいで、風も涼しく、とても、快適でした。

デカン高原

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2) ひまわり畑 緑、緑、緑・・のデカン高原に、黄色いひまわりの畑が、見事に映えていました。インド人が料理で使う油、サンフラワーオイル用の畑です。

ひまわり畑

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3)羊飼い こハラシュトラ州となると、ちょっと、服の感じが違います。ムスリム(イスラム教徒)かと思いましたら、これが、こちらの標準的なヒンドゥー教徒の格好なんだそうです。マハラシュトラ州は、言葉は、マラティ語で、文字も、独特のマラティ文字を持っています。

羊飼い

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4)アジャンタ遺跡全景 私が撮影しているこの高台から、虎狩り中のイギリス騎兵隊のジョン・スミス軍人が、一頭の虎が、画像中央の台地を駆け抜け、対岸の馬蹄形の渓谷の洞窟に逃げ込むのを見て、このアジャンタ遺跡は、発見されたのだそうです。1819年4月28日のことだそうです。紀元前2世紀と、紀元5世紀頃の、2つの時期に、掘られた仏教遺跡群です。

アジャンタ遺跡全景

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5)アジャンタ第26窟入り口 アジャンタは、すべて仏教遺跡で、未完成窟も入れて全部で30窟あり、全景の左から、順番に1〜28窟の番号がつけられています(29、30窟は、後発見で、後番)。これは、全景では、左側、すなわち、西の側になる、26窟塔院の入り口です。紀元5世紀頃の遺跡です。

アジャンタ第26窟入り口

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6)蓮華手菩薩(アジャンタ第1窟) 法隆寺金堂の菩薩の原型になっていると言われている、アジャンタ遺跡の最高傑作壁画です。菩薩のサイズは、丁度、人間の大人のサイズぐらいです。壁画の一部に、小照明を効かせて呉れているので、なんとか、撮影出来ました。これも、紀元5世紀頃の作品です。

蓮華手菩薩(アジャンタ第1窟)

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7)エローラ第16窟(背面) アジャンタ遺跡と同様に、世界遺産であるエローラ遺跡は、全部で、34の石窟寺院があり、南から、第1〜12窟が仏教石窟、第13〜29窟がヒンドゥー教石窟、第30〜34窟がジャイナ教石窟となっています。これは、第16窟で、カイラーサナータ寺院と呼ばれており、ヒンドゥー教の神、シヴァを祀っています。紀元8世紀の建造だそうです。

エローラ第16窟(背面)

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8)エローラ第16窟(正面) カイラーサナータ寺院を正面から撮影しています。奥行き81m、幅47m、高さ33mのサイズで、まさに、小山の一刀彫りです。 しかし、1200年も前に、どうやって、山から、見事な寺院を彫り出したのでしょうか?100年以上かかって彫られたと言われているようです。

エローラ第16窟(正面)

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今回は、遺跡内の暗さで、ピンボケも多いながらも、2日で、約1200枚ほど、アジャンタ・エローラ遺跡を、撮影しましたので、これからまた文献を読み、画像も整理して、インドの世界遺産シリーズとして、Wa☆Daフォトギャラリーで、ご紹介させて頂く予定ですので、遺跡ファンの方は、楽しみにして、お待ち下さい。

今回のマハラシュトラ州への旅では、結構、英語も通じましたが、やはり、マラティー語が主流の世界で、また、ヒンディー語も、使いこなす人たちも多く、3言語を自由に操るインド人って、これらの遺跡建造もさることながら、やっぱり、大したものだな〜と、思いました。

また、アジャンタ・エローラは、うちのプルリア揚水発電所と同じく、JBICさん(日本国際協力銀行)のローンで、遺跡の保護が推進されており、これも、日本人として、とても誇らしく思えました。日本でも、旧跡で、相合傘などのの落書きを見かけることがありますが、アジャンタ・エローラ遺跡でも、ペンキなどでの落書きが、各所で見られ、インド人の一部にも、日本人の一部と共通の、落書きの習性があるのだなと思いました。 しかし、紀元前2世紀からの遺跡に、落書きする度胸は、私にはありませんので、やはり、当時はインドで仏教が隆盛を誇ったとは言え、今では少数派となった異教徒の遺跡だからでしょうか。 顔が破壊された仏像も多かったですね。

すっかり、お釈迦様の掌に乗れたような、穏やかな気持ちで、6日間の旅を終えて戻って来たのに、うちの現場は、相変わらずの戦場で、静かな気持ちも即吹っ飛び、やはり、破壊と創生の神=シヴァ神をもっとも崇拝するヒンドゥー教徒の国だなと思いながら、また、仕事を再開しています。

では、失礼します。日本は、台風のシーズンに入っているようですが、お気をつけて!!
丹下誠司拝   於 バグムンディ
2005年8月27日(土)
http://wadaphoto.jp/kikou/indiamokuji.htm
Taisei Corporation
Purulia Pumped Storage Project
West Bengal, India

プロフィール

拡大写真(800x600)99KB

 
 
撮影・原作 : 
 

丹下誠司たんげせいじ

 

職業:大成建設(株)勤務

住居:インド共和国西ベンガル州プルリア地区バグムンディ村
趣味:インドの神像収集
  (前任地のインドネシアの絣(イカット)も100枚ほどのコレクションがあります)
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