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 特集!旅紀行

2004年5月26日改訂

今 日

昨 日

ガンジス川の朝 Music Palette

2004年3月12日制作

第 6 集

2004年5月22日(土
首相の選出が足踏み状態 下院総選挙は、大方の予想に反してコングレスの勝利でしたが、首相の選出が足踏み状態となり、18日夜の時点で党首(総裁)のソニア・ガンジー(57歳)が首相には就任しないコメントを出しています。傀儡首相(マンモハンシン元蔵相)を立て、上手く操れれば良いのですが、過去にも例のある傀儡が独自に突っ走るインド政治曼陀羅が展開される可能性もあり、しばらく政治から眼が離せない面白い状況です。
マンモハンシン元蔵相は、インド政界でも、比類なき誠実な人と評されており、1991年の新経済政策の実質的な推進者として、インドで今も高い評価を得ています。BJPのバジパイ首相が79歳だったことを考えると、政権を握る党はコングレスに変わっても、71歳の元蔵相の手腕に期待する経済人も多いようです。
インドの投開票システム 日本から届いた新聞によりますと、今回のインド下院選挙は、有権者数6億7千万人、投票者は3億7千万人とのことで、約55%の方が投票したことになります。投票は、4月20日に、お隣のジャルカンド州などから始まり、西ベンガル州などの5月10日が最終。開票は、一斉に13日でしたが、通常3日ほどかかっていた開票行為が、24時間前後で済んだのだそうです。このインドの投開票システムの稼動は、世界各国からも注目されていたようで、インドでいけるとなると、日本でも・・と、近々ならんでしょうか?

バガボンド うちのキャンプで、今、「バガボンド」という漫画が滅茶人気なんですが、このたけぞうこと、吉川英治の宮本武蔵を題材にしたマンガの主人公が、あれっれっ、「スラムダンク」の湘北高校一年の、桜木花道と、同じ作者(井上雄彦(いのうえたけひこ)さん)の筆から生み出されたとは・・・、いくらなんでも、それはないだろう・・と、うちのゲストハウスの文庫棚の両漫画を前にして、しばし固まってしまった私でした。
海外も都市部だと、インターネットでの検索とか検証も、日本並みなんでしょうが、こうした疑問は、通信環境の悪いこの山だと、解決の方法もなく、日本帰国時の謎解きの楽しみにとって置くしかありません。まあ、バガボンドも、スラムダンクも、共に、日本を代表する優れた漫画であることには変わりないので、単なる海外ボケ中年の、変なこだわりだけなんですが。

1 バラブン駅前の屋台と火焔樹

1 バラブン駅前の屋台と火焔樹

マツリカ捜索中 さて、この号は、マツリカ(アラビアンジャスミン)で行く予定だったのですが、うちのスタッフたちとマツリカを探し出し、その画像も撮って来たのですが、文章も書き始めたら、あるスタッフから、花が少し小さいとのことで、西岡さんの「インドの樹、ベンガルの大地」にも、軟毛のある広卵形の葉とあり、よ〜く見ると、葉に毛がなくて、どうも、これは、マツリカの亜種ではないかいな?ということで、今回は、掲載を見送りました。で、そのスタッフが、これが、ほんまのマツリカだとプルリアの街から鉢で探して来てくれたマツリカも、いざ咲いてみると、花の形が西岡さんの図版と全然違い、匂いは確かにジャスミン系なんですが、マツリカの掲載をどうすべえと、今も迷っています。
いつも、インド人相手に、はったりをかまして仕事をしていますので、このインド通信ぐらいは、ガチンコまっとう路線で行きたいと考えていますが、それでも、インドで、聞く人、聞く人で、もう答えが違うのが、この国では、それでも間違えたら、訂正&お詫びを重ねていくしかないかなとも思っています。

2 力車と火焔樹

2 力車と火焔樹

インドの火炎樹

では、このシリーズも中盤に入りましたので、今回は、インドの火炎樹をご紹介したいと思います。西岡直樹さんの文庫には、この樹の図版がありませんでしたので、カルカッタで買ったオックスフォード出版の「Some Beautiful Indian Trees」を参考にさせて頂きました。
和名:カエンジュ〈火炎樹〉
学名:Delonix regia
英名:Fire tree, Flame tree
※高さ15mぐらいの落葉木。葉も60cmぐらいになり、5月の中旬頃までに、スカーレット(緋色・深紅色)のビビッドで(鮮やかで)ブリリアントな(さんらん燦爛たる)花を咲かせる。
ベンガル名: Krishna chura (クリシュナ チュナ)
※ベンガル地方の人気者ベビークリシュナ神の髪結びの飾りでこの花が使われるので、チュナという髪飾りの名で、ここベンガルでは呼ばれているそうです。

バラブン駅前の力車 1と2は、バラランプールでの、4月の満開時期での撮影です。この村から一番近い駅(26km先)があるのがバラランプールで、そのバラブン駅前での撮影です。裸足の子供たちも出て来て呉れて、なにやら、記念撮影のようになってしまいましたが、これらのリキシャが、庶民の足です。日本の人力車の先に、自転車をつけたものをイメージして下さい。運転手さんに、5ルピー(12円)ぐらい渡すと、自転車をこいで、目的地に運んで呉れます。金持ちは、モーター付きのオートリキシャ(スクーターをリキシャに組み込み、3輪にしたもの)ですが、減量中の私は、もちろん、運転手さんの背に悲哀を感じれるリキシャの愛好者です。画面も乾いてますが、この日差しで、日陰でも気温は43℃でした。

3 バグ村のトラックと火焔樹

3 バグ村のトラックと火焔樹

バグムンディ村の銀座通り 3は、うちの現場のあるバグムンディ村のメイン道路で、日本的に言えば、バグ銀座通りです。右手は鋼材屋さんなんですが、火炎樹が、庭木として植えられています。これは、もう花が散りかけた5月中旬の撮影です。変哲もない写真ですが、うちらのごくごく日常的な光景だな〜と思い、掲載してみました。この日は、気温は、日陰で40℃程度でした。気温も下がって来て、この村にも、だんだん雨季が近づいて来ているのがわかります。

4 バグムンディ警察署の火炎樹

4 バグムンディ警察署の火炎樹

拡大写真(1200X800)177KB

バグムンディ警察署の火炎樹 4は、望遠で撮りました。バグムンディ警察署の庭木の火炎樹です。顔を覚えて貰っているので(単車のノーヘル運転で)、すんなり撮影させて貰えました。この燃えるような赤、緋色というのでしょうか、デジタル画像ならではの赤色で、生目では、もう少し、落ち着いた優しい赤に見えます。

火炎樹は、インドネシアでは、フランボヤンと呼んでいました。フランス語で、炎の意味のようです。街道の並木で、ごくごく普通に使われており、日本軍が進出していた時に、兵隊さんたちが、南洋桜と呼んでいたと、誰かから教わった記憶があります。
オックスフォード出版のこの本には、火炎樹は、マダガスカル島が原産で、アラブ人によって広められたとありますが、ジャワ島でも、ボルネオ島でも、バリ島でも見たことがありますので、インド洋に面した熱帯を、転々と伝わり、そして、ジャワからその東のヌサテンガラ諸島の辺りまで、時間を掛けて、何千kmにも渡って拡がっていったことを考えると、やはり、この火炎樹の花の緋色に、数多くの人が魅了されたからでしょうか。
乾ききった暑い大地を、ヘタリそうになりながら歩いていても、この火炎樹の花が咲いているのを見ると、こちらもぐっと燃えて来て、更にもう100m歩けてしまう、そんな不思議な、湘北高校一年、赤髪の桜木花道のような樹です。ヘタクソな落ちでした。すいません、来週は頑張ります。

5 火焔樹の葉

5 火焔樹の葉

2004年5月16日(日
下院総選挙 10日(月)の下院総選挙も、この村では大きな混乱もなく終了しました。私もエセインド人になり、近くの小学校に投票を見に行って来ました。投票所の中までは入れてくれなかったのですが、投票の方式は、まず窓口で本人確認をして投票場所へ進み、立候補している政党マークをボタンで選ぶ電子方式なんだそうです。
このバグムンディ村の選挙では、投票済みの確認で、左手の人差し指の爪に、刷毛で幅1cmほどの黒マニキュアをしてくれます。私も、投票所に行った記念で、選挙管理委員の方に、黒マニキュアして貰い、戻ったうちの事務所で、今、BJP(インドの現政権)に投票して来た!と自慢しましたら、スタッフたちから冷たい目をされました。西ベンガル州では、やはり州政権を握るインド共産党マルキスト派(CPIM)を支持しなければいけないようです。選挙からもう7日目ですが、爪のインクは、まだ消えません。
今回のインド下院総選挙では、インド全州で、初めて電子投開票システムが導入されたようで、従来、数日かかっていた開票が24時間程度に短縮されたそうです。
印パ関係 先週は、お隣のパキスタンから、K工事長が、現場に来て下さいました。イスラマバード〜ラホール〜デリー〜ランチと飛び、そこから陸路でプルリアという大陸の西から東への横っ飛びルートでした。印パ危機も去り、パキスタンの旧首都のラホールと、インドの首都デリーが、今、フライトで結ばれているのが、とても新鮮で有り難く感じられます。乗り込み当時は、印パ関係が超緊張中(核戦争寸前)で、イスラマバードからなんとバンコクを経由し、カルカッタに入るというルートしかありませんでしたので、現在のBJP政権のパキスタンとの外交安定度は、特筆に値します。
BJPが大敗北 と、書き溜めておいたら、選挙翌々々日の13日(木)の開票では、なんと、BJPが大敗北。現政権が転覆することになりました。元与党のコングレス(国民会議派)が、返り咲きで、ネルー首相の孫(ラジブガンジー:91年に暗殺)の嫁(イタリア人)のソニア・ガンジーが、BJPのバジパイ首相に代わり、初めて政権を担うことになります。
え〜、うそ〜、コングレスが勝ち?、もう、ほんとかよ〜・・という感じで、自分の読みがここまで外れると、仕事への自信もなくなってしまうくらい、今回のコングレスの勝利は、私にとって、意外でした。色々な解釈が、選挙速報と同時になされていますが、小選挙区制であることに加え、現在の経済発展にBJPは確かに成果を上げているが、その恩恵に浴さない農村部に住む7割の人口(7億人)が反乱して、コングレスが返り咲いた・・というふうな解説をしているメディアもあるようです。
ほんと、選挙はわかりません。遠い親戚が、大昔、田舎の市長選に出て、一騎打ちで破れた、40年ぐらい昔の記憶が、モノクロームで浮かんで来ました。
しかし、インドも、イタリアンに首相をやらせるぐらいなら、旧宗主国のブリティッシュから、マーガレットサッチャーさんとかを呼んだらどうでい、なんでもかんでもノープロブレムでも、首相ばっかりはそうもいかねえだろう・・の冗談も、うちの事務所では、飛び交っています。
でも、CPIMを含む左派連合は、コングレスと連立政権を組みますので、今回の現政権転覆は、わが西ベンガル州には、ベターな選挙結果なんだそうです(ほんとかしら?せっかく伸びようとしていた州経済が、ただ混乱するばかりではないかしら?)。

裏のたんぼのサイカチ

裏のたんぼのサイカチ

パルレンガ さて、パルレンガも完成し、家具や家電もカルカッタから到着し、日本からのご家族を待つだけの状態になっています。天竺=Heavenly Abode(天空の住所)でのこの一家の新生活に幸多かれと祈るばかりです。
雨季の雨漏り(乾季で雨降ってないので不明)、突風での屋根飛び(先月、明かり採り屋根がすでに飛んだ実績あり)・・心配しだしたらきりがないんで、もし漏ったり、飛んだりしたら、その時は、エセ現場監督、またうちのスタッフたちと知恵を絞って、対策を考えたいと思います。
パルレンガのすぐ裏は、田んぼになんですが、そこに、一本の立派な、ナンバンサイカチがあります。樹の高さは、15mはあります。
パルレンガの周辺 パルレンガの3階テラスからは、北に、とうちゃんたちの働くダム現場、東に、たんぼ、南に、川と林、西に、バグムンディの村落が眺められます。日本的に言うとほんと何もない、ど僻地ですが、野鳥(カワセミやオウム、ハチドリ、サギなど)もそこかしこを飛んでいて、ホタルもほぼ年中見られますし、このナンバンサイカチや、ハナモツヤクノキなど、家のまわりの木々も豊富で、天竺生活は、もう飽きることがないと思います。

サイカチの枝

サイカチの枝

ナンバンサイカチ

さてさて、前置きが、長くなりました。今回は、この裏の田んぼの、ナンバンサイカチのご紹介です。
和名:ナンバンサイカチ〈マメ科〉
学名:Cassia fistula
英名:Golden shower, Indian laburnum
ベンガル名: Amal Talash (アマール タラシュ)
※高さ7〜9mの小高木。葉は、4〜8対の羽状複葉で各小葉は先のとがった卵形または広楕円形。花は長さ40〜80cmの総状花序につき、明るい黄色で香りがよい。原産はインド、東南アジア。(「インドの樹、ベンガルの大地」の作者:西岡直樹さんの注釈から)

花弁

花弁
裏の田んぼのあぜは、各種の樹が生えていますが、サイカチは、この一本だけです。これは、4月中旬に撮影していますが、花の時期は、約1ヶ月で、今は、もう葉っぱだけになっています。
以下の3枚は、5月2日に、カルカッタのビクトリア記念堂で撮影して来ました。このナンバンサイカチは、丁度、満開の状態と言えるでしょう。

花房

花房

ゴールデンシャワーの英名の通り、鈴なりの金の花は、黄金の七夕飾りの下に居るような感じにしてくれます。花もとても上品な5つ花弁で、サッポロビールさんの☆のマークの形です。
この樹の下にいると、日陰で涼しい風が流れて来ますし、かつ、黄色の光線の下で、とても豪華な気持ちになれます。極楽、極楽です。西岡さんの注釈では、香りが良いとありましたが、嗅ぐのを忘れてしまいました。来年の楽しみにとっておきます。

カルカッタのサイカチ

カルカッタのサイカチ

ビクトリアメモリアル 最後の一枚は、ナンバンサイカチの樹の下から撮ったカルカッタのビクトリアメモリアルです。当時、インド皇帝を兼ねていたビクトリア女王を敬い、16年間(1905〜1921)かけて、建設された記念堂です。インド西部の砂漠地帯ラジャスターン州のジョドプールから運んで来た純白の大理石で築かれていて、タージマハールをモデルにして建てられたと言われています。1911年の、カルカッタからデリーへの遷都の歴史を見た建物でもあります。

サイカチとビクトリア宮殿

サイカチとビクトリア宮殿

拡大写真(1200X800)205KB

うちのキャンプのパルレンガも、ビクトリアメモリアルを参考にして、建てました!と、今後来る奥さんには言いましょう。
来週のご赴任ですが、まずは、体温以上の外気(日陰で42〜44℃)が、ご家族を、大歓迎してくれると思います。でも、3階のテラスからは、来春にはまた、風に揺れるゴールデンシャワーを、ご家族で、楽しんでいただけますし、空気は最高、牛やヤギも沢山で、まるで、サファリパークでの生活で、これで、また、2人(奥さん&日本男児2歳)、インドファンが増えることになると思います。

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