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キンバリー |
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午後5時から7時まで、キンバリーを見学した。キンバリーは、ノーザンケープ州の州都で、ダイヤモンドの町として世界中に知られる。 |
南アフリカのダイヤモンドの歴史は1870年にさかのぼる。乾燥した大地が広がるキンバリー近辺に住んでいた農夫のエイドリアン・ヴァン・ウィックが、彼の農場で自分の子どもがダイヤモンドを手に遊んでいるのを発見したのがきっかけで、この地にダイヤモンドラッシュが起こった。 |
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ダイヤモンド鉱で栄えたキンバリーの街 |
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ビッグ・ホール |
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1871年にはコレスベルグ・コピエという小さな丘にダイヤモンドを含むキンバーライト層が発見され、大規模な露天掘りが行われた。ここが現在のビッグ・ホールで、全盛期には1万人の鉱夫たちのテントが立ち並んだという。 |
ビッグ・ホールは、深さ393m、周囲1.6kmの巨大な穴で、人力で掘られたものとしては世界最大だという。1914年の閉山まで2,250万トンの土が掘り出され、2,722kgのダイヤモンドが採掘された。有名なデ・ビアス社の本社はキンバリーにあり、その建物は、国の文化財に指定されているという。 |
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露天掘りの後にできたビッグ・ホール |
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第二次世界大戦の勃発により「ユニオン・リミテッド」の運行は一時中断するが、1946年頃再開された。このとき運輸大臣を勤めていたF.C.スタロックにより、ヨーロッパの王室が好む色とされたロイヤルブルーにちなんで「ブルートレイン」の名がつけられたという。 |
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ブルートレインのダイニングカー |
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アパルトヘイト(人種隔離政策)が廃止される1991年までは、白人以外はブルートレインに乗車することができなかったが、日本人は「名誉白人」とされていたため、乗車が許された。またアパルトヘイト廃止後、4〜5あったブルートレインの等級数が減らされ、現在はラグジュアリーとデラックスの2等級編成となっている。 |
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ドレスアップしてディナーへ |
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午後7時半からダイニング・カーでディナー・タイム。男性はスーツ、女性はイブニング・ドレスに身を包んだ。埃だらけのサファリーを楽しんだあとは、優雅なスタイル。スーツケースが重量オーバーする筈である。 |
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お洒落な旅友 |
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フルコースの食事を堪能 |
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ブルートレインの機関車 |
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南アフリカのワインは安くて美味しいと評判。フランスへの輸出量が年々増大していることからも、 その品質は折り紙つきといえる。去年、フランスのボルドーで過剰生産からワインを廃棄する騒ぎがあったが、チリやカリフォルニア、ニュージーランドなど、安くて美味いワインが生産されれば、高いワインは売れなくなるのは道理である。 |
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延々と続くブドウ畑 |
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サービスの行き届いた豪華なブルトレの旅は快適で、大満足だった。翌日12時のケープタウン到着予定がトラブルの発生で7時間遅れとなったが、みんなラッキーと喜び、ブルトレの長旅を楽しんだ。 |
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貧富の差が激しい南アフリカ |
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