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はじめに |
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2010年5月28日(金)〜6月4日(金)の間、オーストリアを西から東に巡るルックJTB の「音楽と自然のハーモニー オーストリア8」の旅(申込者5名)に参加した。以下、ハイライトを中心に、この旅の醍醐味を紹介したい。 |
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■ 旅の概要 ■
1日目 2010年05月28日(金) 成田国際空港〜ウィーン国際空港〜インスブルック空港(泊)
2日目 2010年05月29日(土) インスブルック〜アルプバッハ〜ザルツブルク(泊)
3日目 2010年05月30日(日) ザルツブルク終日観光(泊)
4日目 2010年05月31日(月) ザルツブルク〜ザルツカンマーグート〜ハルシュタット(泊)
5日目 2010年06月01日(火) ハルシュタット〜メルク〜ドナウ川下り〜ウィーン(泊)
6日目 2010年06月02日(水) ウィーン終日観光(泊)
7日目 2010年06月03日(木) ウィーン〜ウィーン国際空港(機中泊)
8日目 2010年06月04日(金) 〜成田国際空港(解散) |
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【凡例】 ▲:上の画像の説明文 ▼:下の画像の説明文 〈画像の左クリック〉:別窓に拡大写真を表示 |
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オーストリアの旅マップ |
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資料画像 |
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オーストリア Republik Österreich |
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北海道とほぼ同じ広さに840万人が暮らすオーストリア共和国(標準ドイツ語: Republik Österreich)、通称オーストリアは、ヨーロッパの連邦共和制国家で、首都はウィーン。ドイツの南方、中部ヨーロッパ(中欧)の内陸に位置し、西側はリヒテンシュタインとスイス、南はイタリアとスロベニア、東はハンガリーとスロバキア、北はドイツとチェコに隣接する。 |
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650年間、ハプスブルク家の帝国として中欧に君臨し、第一次世界大戦まではイギリス、ドイツ、フランス、ロシアとならぶ欧州五大国(列強)の一角を占めていた。1918年、第一次世界大戦の敗戦と革命により1867年から続いていたオーストリア=ハンガリー帝国が解体し、共和制となった。 |
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ウィーン国際空港 2010.05.28 |
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■ 二日目/5月29日(土):インスブルック・アルプバッハ観光〜ザルツブルク(泊) |
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▲▼ ツアー初日は、成田国際空港を出発し、ウィーン国際空港を経由してインスブルックに入り、一泊。二日目は、インスブルックとアルプバッハを観光後、ザルツブルクに入って2連泊した。 |
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旧市街入口の凱旋門/インスブルック 2010.05.29 |
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インスブルック Insbruck |
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▲▼ 標高2000mを越えるアルプスの山々に囲まれた古都インスブルックは、チロル州の州都で、「イン川にかかる橋」という意味を持ち、12世紀にイン川の橋のたもとの集落から始まり、15世紀末、皇帝マクシミリアン I 世の統治下で発展した。ブレンナー峠を越えてつながるイタリアの影響が強く残り、ウィーンなどの他の都市と比べると、南欧の香りがする街である。 |
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凱旋門内側の旧市街メインストリート |
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▲▼ 当時の古い建物が残り、車の乗り入れが禁止されている旧市街の散策は、安全で楽しい。1964年と1976年の二度、冬季オリンピックの開催地になっており、ウインタースポーツのみならず、夏もハイキングを楽しむために多くの観光客が集まる。 |
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アンナ記念柱 |
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レースのような装飾と出窓のヘルブリングハウス |
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▼ 旧市街のほぼ中心にある建物に設けられた黄金の小屋根の出窓(エルカー)は、皇帝マクシミリアン I 世が広場で行われる行事を見物するため、15世紀末に造らせたもの。 |
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美しい旧市街の石畳の道 |
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↓黄金の小屋根/インスブルックのシンボル |
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▲▼ 出窓の屋根は、金箔を貼った2,657枚の銅板瓦で造られており、インスブルックのシンボルとなっている。 |
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2,657枚の金箔を貼った銅版の屋根 |
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▼ このバルコニーの手摺りには、6枚のレリーフがはめ込まれているが、左から三番目には、中世最後の騎士といわれたマクシミリアン I 世と2番目の妻マリア・ビアンカ・スフォルツァと落馬で死亡した最初の妻マリア・フォン・ブルグンドの3人の姿が刻まれている。 |
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中世最後の騎士といわれたマクシミリアンI世と二人の妻/中央のレリーフ |
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出窓(エルカー)の連なる美しい建物 |
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美しい壁画のレストラン |
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旧市街の広場で行われていた結婚披露宴 |
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▼ 両端にある緑の丸屋根がアクセントになっている白亜の王宮は、1460年頃にチロルのジークムント大公によって建てられた城をマクシミリアン I 世が拡張し、1754〜1773年にマリア・テレジアによってウィーン風の豪華なロココ様式に改築された。 |
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かつて「陰の首都」といわれたインスブルックの王宮 |
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▲▼ 王宮の屋根にはハプスブルグ家の紋章である「双頭の鷲」が飾られ、内部には、豪華な家具や調度品が収められた部屋が続き、皇帝やマリア・テレジア、后妃エリーザベトなどの肖像画が飾られている。 |
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ハプスブルグ家の紋章「双頭の鷲」 |
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▼ 皇帝マクシミリアン I 世は、宮廷教会を自分の霊廟と定めていたが、遺志は守られず、遺体はウィーナー・ノイシュタットに埋葬され、ここには、空(から)の巨大な墓石が安置されている。 |
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宮廷教会
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▼ 宮廷教会の内部には、鉄細工に囲まれた墓石を取り囲むように等身大の28体の黒いブロンズ像が飾られている。これらの像は、ハプスブルグ家とその姻戚関係にある人物だが、何故かイギリスのアーサー王の像があり、その理由は分かっていない。 |
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▼ インスブルックから最も近い山は、街の北にそびえる「北の鎖」という意味のノルトケッテ連峰である。写真は、ケーブルカーの途中にあるゼーグルーベ展望台から市内を眺めたもの。イン川の畔の町並みがとても美しい。 |
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イン川沿いに建つインスブルック最古の建物
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▼ チロルを代表するバロック建築が美しい大聖堂は、ザンクト・ヤーコブ教会と呼ばれる。18世紀前半に造られたまばゆいばかりのバロック装飾の内陣と、主祭壇上にあるルーカス・クラーナハ作の「救いの聖母」は必見。 |
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大聖堂のファサード(正面) |
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「救いの聖母」で知られる大聖堂の内部 |
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▼ ザルツブルクへの途中で、標高1,000mの山間(やまあい)の村アルプバッハを訪れた。春から夏にかけて、家々のベランダにゼラニウムなどの色鮮やかな花があふれるほど飾られ、その見事な佇まいから「オーストリアで一番美しい村」と「ヨーロッパで一番美しい花の村」に選出されたことがあるという。 |
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標高1,000mの美しい村アルプバッハ |
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▼ これといった観光名所はないが、山岳のチロル地方の文化と触れあいながら、のんびりと散策するのも楽しい。 |
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ヨーロッパで一番美しい花の村アルプバッハ |
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はつなつを しろいぶーけの えがおかな |
Smiles holding a white bouquet, enjoying early summer. |
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アルプバッハ村の結婚式 |
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