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クレムリン Кремль |
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▼ クレムリン(クレムリ)は、モスクワ市の中心を流れるモスクワ川沿いにある旧ロシア帝国の宮殿で、ソ連時代には、ソ連共産党の中枢が置かれていたことから、ソ連共産党の別名として用いられた。現在もロシア連邦の大統領府や大統領官邸が置かれている。正面には赤の広場がある。 |
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クレムリンと赤の広場
(航空写真) |
カーソルで画面のどこかをポイントすると説明が現れます。 |
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▲ クレムリンは、南をモスクワ川、北東を赤の広場、北西をアレクサンドロフスキー公園によって囲まれたほぼ三角形の形をしている。総面積は約26ha(ヘクタール)。城壁に囲まれた構内には、大小新旧様々の宮殿(パラーダ)、聖堂(サボール)、20の塔(バーシニャ)がある。 |
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クレムリン入場チケット売り場 |
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▲▼ クレムリン(クレムリ)は「城塞」を意味する。中世ロシアにおいて、多くの都市は中心部にクレムリンを備えていた。モスクワの他、ノヴゴロド、ニジニ・ノヴゴロド、カザン、アストラハンにあるものが有名。しかし、日本で単にクレムリンと言った場合は、モスクワにある宮殿を指すことが多い。 |
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モスクワのクレムリンの城壁の総延長は2.25kmもあり、多くのクレムリンの中で最も重要、かつ、壮大なもので、1990年に赤の広場と共にユネスコの世界文化遺産に登録された。 |
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トロイツカヤ塔より入場
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1937年のロシア革命20周年を記念して、トロイツカヤ塔、ホロヴィツカヤ塔、ヴォドヴズヴォドナヤ塔、スパスカヤ塔、ニコリスカヤ塔の先端には、ウラル山脈から採掘されたルビーで作られた直径3mの赤い星(クレムリンの赤い星)が輝く。 |
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クレムリンの原型となる城塞は12世紀に築かれたと考えられている。クレムリンが築かれた場所はモスクワ川とネグリンナヤ川(現在は地下河川)の合流点に面した天然の要害であった。1366年、第4代モスクワ大公ドミトリイ・ドンスコイにより、石造りの城塞として再建された。 |
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イヴァンIII世時代のモスクワ・クレムリン(15世紀後半) / アポリナリー・ヴァスネツォフ画
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15世紀後半、イワンIII世(イ
ワン大帝)の治世に、ロドルフォ・ディ・フィオラバンディやマルコ・ルフィーらイタリア人建築家により、進んだ築城術が導入され、ルネサンス風に全面改築がなされた。この時期には、代々のツァーリ(ロシア皇帝)が戴冠式を行うことで知られるウスペンスキー大聖堂(1479)、ブラゴヴェッシェンスキー聖堂(1489)、ツァーリの納骨堂のあるアルハンゲリスキー聖堂(1508)の三大聖堂、イ
ワン大帝の鐘楼(1508)が建立され、現在とほぼ同じ外観を持つに至った。 |
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17世紀には城門にゴシック風の塔が加えられ、娯楽宮、モスクワ総司教館が新築された。しかし、1712年、ピョートル
I
世によりサンクトペテルブルクに遷都されて以降、クレムリンの増改築は停滞した。 |
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格好良い騎馬兵士 |
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1812年、ナポレオン・ボナパルトのモスクワ占領により、クレムリンの一部が破壊されたが、その後修復され、更に、コンスタンチン・アンドレエヴィチ・トーンらによって大クレムリン大宮殿(1849)や武器宮殿(1851)が新たに造られた。 |
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1917年のロシア革命以降、クレムリンは、ソビエト政府の中心となった。当時、モスクワ放送では、宮殿で鳴らされる鐘の音を流していたという。 |
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ロシア連邦大統領府 |
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ロシア連邦大統領府
Администрация президента России |
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ロシア連邦大統領府は、ロシア大統領直属の国家行政機関で、この建物は、ソ連時代の1932年から1934年にかけて建造された。建設当時はソ連最高会議幹部会館として使われた。大統領官邸などの周囲の建物と同じ黄色の外観で調和が取れている。 |
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大砲の皇帝(ツァーリ・プーシュカ) /
イワノフスカヤ広場 |
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大砲の皇帝 Царь-пушка |
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▲ 中世における世界最大のカノン砲は、大砲の皇帝(ツァーリ・プーシュカ)と名付けられている。1586年ロシアの兵器工(へいきこう)アンドレイ・チョーホフによって鋳造されたもので、砲身の全長5.3m、厚さ15cm、口径89cm、重量40tonの怪物だったが、一度も発射されたことはないという。 |
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イワン大帝の鐘楼 |
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イワン大帝の鐘楼 Колокольня
Ивана Великого |
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▲ サボールナヤ広場(聖堂広場)の中心には、高さ81mのイワン大帝の鐘楼が建っており、遠くからでもよく見える。1505年から1508年にかけて、イワン大帝の命によりイタリア人建築家ポノフリアツィンによって建設され、1532年に鐘楼が増築された。21個の鐘があり、その一つ・ウスペンスキーの鐘は、総重量が70tonあるという。 |
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鐘の皇帝(ツァーリ・コロコル)/イワン雷帝の鐘楼前 |
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鐘の皇帝 Царь–колокол |
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▲▼
イワン雷帝の鐘楼のそばに展示されている 鐘の皇帝 「ツァーリ・コロコル」(ツァーリ・コーラカル)は、重量約160〜200ton、高さ6.14m、直径6.60mの巨大な鐘である。 |
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1733年から1735年にかけて、ロシア帝国の鋳造職人イワン・モトリンとその息子によって鋳造され、装飾や彫刻などはV・コベレフ、P・ガルキン、P・セレブリャコフらが手がけた。1737年に生じた火災の折、一部が欠損してしまったため、この鐘が鳴ることは一度もなかった。 |
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ウスペンスキー大聖堂 Успенский
Собор |
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▼ ウスペンスキー大聖堂(ウスピェーンスキー・サボール)の正式名は、生神女就寝大聖堂(しょうしん・じょしゅうしん・だいせいどう)という。1475年から1479年にかけて建立されたロシア正教の聖堂で、設計はイタリアの建築家アリストートル・フィオラヴァンティによる。大聖堂広場の北側・グラノヴィータヤ宮の北隣に位置する。 |
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ウスペンスキー大聖堂 |
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▲▼ 黄金に輝く5つのドーム(クーポル / 天蓋てんがい)を持つ聖堂は、全高38m。内陣は、フレスコ画やイコンによって飾られている。帝政時代には皇帝の戴冠式が行われた。現在でもロシア連邦大統領就任式でロシア正教会による祝福が行われる。 |
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黄金のドーム |
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▼ 聖堂広場に面する南口には、聖母子と聖者のフレスコ画が飾られている。17世紀に描かれたものだという。 |
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聖母子と聖者のフレスコ画 |
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アルハンゲリスキー大聖堂 Архангельский
собор |
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▼ アルハンゲリスキー大聖堂(アルハンゲリスキイ・サボール)の正式名は、聖天使首大聖堂(せいてんししゅ・だいせいどう)という。ロシア正教会では、天使ミハイル(ミカエル)を天使首(天使のかしら)という。大天使という他教派もある。 |
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この聖堂は、1505年から1509年にかけて建立された。5個の丸屋根を持ち、内陣は「タタールの軛*(くびき)」からロシアが解放された絵やイコンによって飾られる。イワン雷帝はじめ歴代皇帝の納骨保管所となっている。 |
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*タタールの軛 татарское иго
(1240〜1480):モンゴルの世紀といわれる13世紀は、チンギス・ハーンがモンゴルを統一した後、中国から東ヨーロッパにまで及ぶモンゴル帝国を成立させた。約240年間、ロシアの大部分はモンゴル人の支配下となり、民衆は蹂躙(じゅうりん)された。ロシアではこの屈辱を「タタールのくびき」と呼んでいる。 |
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アルハンゲリスキー大聖堂 |
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グラノヴィータヤ宮殿 Грановитая
палата |
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▼ サボールナヤ広場(聖堂広場)の西にあるグラノヴィータヤ宮殿は、1491年に竣工した宮殿で、外国の使節団を迎える式典が催された。「グラノヴィータヤ」とは「多面」を意味し、正面を装飾する石が多面体であることに由来する。 |
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グラノヴィータヤ宮殿 |
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ブラゴヴェシェンスキー大聖堂 Благовещенслий
собор |
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▼
最初の聖堂は1489年にかけて建てられたが、イワン雷帝時代の1560年代に現在と同じ9つのドームを持った形にリフォームされた。この聖堂のイコノスタス*(聖障せいしょう)は、ロシア最古のものという。聖堂の名は、受胎告知を意味するブラゴヴェシチェーニエに由来する。 |
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*イコノスタス
(聖障):
寺院の内部を信者が礼拝する場所と至聖所**(しせいじょ)とに隔てるイコンの壁のこと。 |
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**至聖所:宗教的建築物の最も神聖な場所。 |
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ブラゴヴェシェンスキー大聖堂 |
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なつぞらや くれむりんの ねぎぼうず |
The summer sky, onion heads of Kremlin. |
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リザパラジェーニヤ教会の美しいクーポル
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リザパラジェーニヤ教会 Цeрковь
Pизоположeния |
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▲
15世紀後半に建てられたリザパラジェーニヤ教会(ツエールカフ・リザパラジェーニヤ)は、ウスペンスキー大聖堂の西側にある建物で、皇帝の礼拝所として使われていた。小さな教会だが、屋根に林立するクーポルが変わっていて印象に残った。 |
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外気温30℃のキエフ駅前噴水
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ふんすいに きんぱつのこの あそびおり |
A child of blond hair playing at the
fountain. |
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可愛い幼児の水浴 / キエフ駅前噴水
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■ 三日目/6月25日(日):モスクワ観光(泊) ■ |
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★☆★彡 |
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ツアー
三日目は、朝9時半過ぎにツアーバスにてホテルを出発し、終日、モスクワ市内の観光を楽しんだ。 |
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トレチャコフの銅像とトレチャコフ美術館(本館)
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トレチャコフ美術館
Государственная Третьяковская галерея |
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国立トレチャコフ美術館は、ロシアの古美術と18世紀以降の絵画を専門に収集したロシア美術最大の美術館である。赤の広場とクレムリンに並ぶモスクワ観光スポットであり、世界中から観光客が押し寄せている。 |
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創設者は、モスクワの豪商だったパーヴェル・トルチャコフ(1832-1898)で、最初から公共美術館の設立を企図し、1893年にコレクションを全てモスクワ市に寄贈して無料で開館し、自ら館長に就任した。 |
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▲ 当初の収蔵点数は1800点ほどだったが、トレチャコフの死後も収集が続けられ、革命後は国立美術館になって拡充され、現在では、イコン(聖像画)から現代絵画まで、10万点を超えるロシア美術の巨大コレクションを誇っている。 |
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ウラジーミルの |
生神女 |
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Владимирская
икона Божией Матери |
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イコン「ウラジーミルの生神女(
しょうしんじょ)」は、ロシア正教会で最も有名な生神女マリヤ(聖母マリア)のイコンで、世界中の正教会で広く崇敬され、模写され続けている。 |
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母(生神女)マリヤと子(イイスス・ハリストス:イエス・キリストのギリシャ語読み)が頬を寄せ合って描かれている姿は、エレウサ型(エレウサ:ギリシャ語で慈憐じれん)であり、生神女のハリストスへの慈愛、そして全ての者への慈愛を表し、かつハリストスがこれから受ける受難(十字架)を想っての嘆きと忍耐を表しているという。 |
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ロシアに伝わるキリスト正教会の板絵イコン「至聖三者(しせいさんしゃ)」は、アンドレイ・ルブリョフによって15世紀に描かれたといわれている。この作品は、彼のイコンの中で最も有名なもので、ロシア芸術の到達点の一つであると讃えられている。 |
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至聖三者は、マムレの楢(ナラ)の木の下のアウラアム(アブラハム)を訪れた三天使*を描いているが、これは至聖三者を象徴するイコンであると解釈されている。至聖三者(三位一体の神**)そのものは描けないため、至聖三者を象徴する三天使を描いて、間接的に至聖三者を描いたものであるという。 |
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*三天使:
ミカエル、ガブリエル、ラファエル。 |
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**三位一体の神:父(ゴッド)と子(キリスト)と聖霊(フェアリー)が一体(唯一の神)であるとするキリスト教の教理。 |
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モスクワの地下鉄入口
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モスクワ地下鉄 Московское
метро |
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▲▼ モスクワ地下鉄は、正式名称をモスクワ地下鉄公社( ГУП / Московский метрополитен
)といい、ロシアの首都モスクワの地下鉄である。1957年から1992年までレーニン記念モスクワ地下鉄(Московский
метрополитен имени В. И. Ленина
)と称した。地下鉄の年間輸送人員は、東京の地下鉄に続いて、世界で最も利用客の多い地下鉄となっている。 |
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豪華な大理石のコンコース
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▼▲ モスクワ地下鉄の多くの駅は、社会主義リアリズムの様式に沿った豪華な装飾が施されていることでも知られており、他国の地下鉄とは対照的に、美術館や宮殿のような雰囲気がある。 |
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地下鉄駅の美しいモザイク装飾
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オリンピックスタジアム Олимпийский |
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▼
モスクワにあるオリンピック・スタジアムは、ロシア最大の屋内競技場。オリンピスキ・スポーツ・コンプレックスの施設のひとつであるが、通常のオリンピック・スタジアムが屋外の陸上競技場であるのに対して、この施設は屋内競技場である。 |
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1980年のモスクワオリンピック開催のために建設され、ボクシングとバスケットボールが行われた。また、1999年のFIBAユーロスターズ、2005年のユーロリーグファイナルフォー、2006年12月にはデビスカップ決勝やロシア初のボクシング・世界ヘビー級タイトルマッチ(オレグ・マスカエフ
vs. MG・ピーター)が行われた。2009年のユーロビジョン・ソング・コンテスト、2010年には第50回世界卓球選手権団体戦会場にもなった。 |
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ロシア最大の屋内競技場「オリンピックスタジアム」
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