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こちらは、モスクの逆の側にある、ジャワブと名づけられたペルシャ語で「答え」を意味する建物です。廟とモスクとのバランスを取るためだけ東の側に建設された建物ですが、後世は宿泊者用のゲストハウスとしても使われていたようです。 |
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ジャワブと名づけられた東側のモスク |
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タージ・マハル正廟の正面を入ると、すぐに、このような光景が。赤いサリーの女性と、もう一人男性が覗きこんでいますが、ここから地下に降りると、正式なお墓があります。昭和40年代頃に日本人にて書かれた旅行記を読んでいますと、皆さん、当時はまだこの地下に入れたように書かれています。今は、1階のこの位置から、覗き込むことしか出来ません。 |
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正面ゲート(南面) |
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これは、1階部のダミーの墓棺です。右の小さいほうが、ムムターズ・マハルの墓。ムムターズの墓が、廟の中心に位置します。左の大きいほうが、シャー・ジャハーン皇帝のものです。この墓棺の丁度真下の地下1階の石室に、二人のお墓が同じように並んであるそうです。墓棺の象嵌細工は、1階と地下1階とで若干違うようですが、墓棺のサイズは全く同じだそうです。 |
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あくまで、この建物はムムターズ・マハルの墓であり、シャー・ジャハーン帝は、8年後に亡くなった後、御妃の横に埋葬されるような扱いを息子のアウラングゼーブ帝から受けていたと考えてよいでしょう。シャー・ジャハーン帝の本意としては、白いタージ・マハルの対岸に、黒い大理石をふんだんに使った廟を建て、そこに自分は眠ろうと計画していたのかもしれません。 |
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ダミーの墓棺 |
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廟の中は、照明もなく、暗いですが、大空間ですので、空気はひんやりしています。墓棺は、大理石のスクリーン(柵)で囲まれて、このスクリーンにも見事な透かし彫りが施されています。 |
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タージ・マハルの内部 |
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家族写真を一枚、パチリ。インドは、最近、景気もよく、国内旅行ブームなのかもしれません。こうした家族連れを、沢山目にしました。 |
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インド人の家族 |
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タージ・マハルをバックに記念撮影 |
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タージ・マハルの見学も終わり、西門から、出ましたが、午後には、もうこれだけの行列でした。ちなみに、インド人は10ルピー(約30円)で入れますが、外国人の私たちは、750ルピー(約2千円)。この料金差制度は、インドの観光地では多いですが、タージ・マハルが一番差が激しいのではないでしょうか。 ここから、アグラ城までは、車で、5分程度で、もちろん、歩いても、十分行ける距離です。 |
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「タージ・マハル」の巨大なドーム |
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アグラ城を入り口付近で撮影。中央の門が、入場ゲートで、ここで、入場券を購入して入ります。タージ・マハルと同年、1983年に世界遺産(文化遺産)に認定されています。ムガール帝国3代皇帝アクバルが、デリーから遷都した際に、居城として建設されています。外敵に攻められた際にも大丈夫なように、頑丈な造りになっていて、籠城用の城と言えるでしょう。 |
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城の周辺には堀が廻らされ、簡単に攻め込まれないようになっています。アグラ城は1573年に完成していますが、日本では室町幕府が滅び安土桃山時代が開始された年です。織田信長や豊臣秀吉が大活躍していた頃ですから、日本もインドも、戦国争乱の世の中だったわけです。この時代にはもう火薬が使われていて、大砲も攻城用で利用されていたようです。また、象が主要な戦闘兵器であり、象には鎧を着せ数頭の象で突撃していたようです。戦車の走りですね。 |
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世界文化遺産のアグラ城 |
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アグラ城から、タージ・マハルを眺めています。シャー・ジャハーン帝は、タージ・マハル建設の指揮で、艀(はしけ)でアグラ城から通っていたそうです。アグラ城の楼閣から、タージ・マハルを望遠で撮影。 |
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アグラ城から見たタージ・マハル |
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アグラ城でインド人アベックに声をかけ、ムムターズ妃をイメージして、彼女だけで一枚撮らせて貰いました。インドは大地が広大で、原色が映える土地だと思います。ピンクの衣装にも全く違和感がありません。 |
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タージ・マハルの美女 |
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なつのそら たーじまはるの しろしんじゅ |
Summer sky, Taj Mahal the white pearl. |
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帰路もアグラ駅から、夜20時30分発のボパル・シャタビー号でデリーに戻りました。アグラ駅でも一枚。床に寝るのはごくごく普通で、インドはほんとのんびりしていていいもんです。復路はジャスト2時間の旅でした。 |
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ニューデリー駅で、オートリキシャを拾い、宿舎に戻りました。もちろん車夫たちと交渉して、一番安かったリキシャに決め、降りる時にチップをはずんでおきました。 |
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夜のアグラ駅 |
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