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薬王院大本堂 |
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2004年3月14日(第2日曜日)、東京都八王子市高尾町で開かれた高尾山薬王院による大火渡り祭を見に行った。
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京王線・新宿駅から高尾山口(たかおさんぐち)駅まで約50分で到着。駅を出て左、道路沿いに5分ほど歩けば、会場の薬王院祈祷殿広場に着く。 高尾山公式サイト
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薬王院は高尾山上にあって、正式には高尾山薬王院有喜寺(ゆうきじ)といい、弘法大師空海(こうぼうだいし・くうかい)が開いた真言宗(しんごんしゅう)の智山派(ちざんは)の大本山である。
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天狗で知られる薬王院は、関東屈指の霊山として多くの信者や観光客、ハイカーなどで四季を通じて賑わいをみせる。
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高尾山薬王院は、奈良の大仏を建立した聖武(しょうむ)天皇の勅命により、行基(ぎょうき)によって奈良時代の8世紀半ばに創建されたとされる。行基が薬師如来を刻んで本尊として安置したことから、薬王院の名がつけられたという。
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その後、空海が高尾山で祈祷をささげ、不動明王像を刻んで安置した。やがて、当寺は真言宗智山派の大本山となり、成田山新勝寺(なりたさん・しんしょうじ)、川崎大師平間寺(かわさきだいし・へいけんじ)とともに、関東の三大本山として知られるようになった。
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高尾山を下山して火渡り祭会場に向かう山伏たち
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拡大写真(1200x900)220KB 【E-1
50mm F7.1 1/320秒 ISO200】
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修験道は、奈良時代末期、役行者
えんのぎょうじゃ(役小角
えんのおづぬ )により創始された山岳修行と伝えられている。平安初期、紀州の大峰山(おおみねさん)を道場として修法*(しゅほう)が確立されるとともに、中国から日本へ伝えられた天台、真言の山岳仏教(密教)と結びついて、京都聖護院(しょうごいん)系の本山派(ほんざんは)と醍醐寺(だいごじ)系の当山派(とうざんは)の二派が主流となって、全国に広まった。
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関東地方では、妙義山(みょうぎさん)、御岳山(みたけさん)、迦葉山(かしょうざん)、八菅山(はすげやま)、高尾山(たかおさん)などで山伏修行がおこなわれるようになった。
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修法:
国家又は個人のために加持祈祷をする法式。
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飯縄権現堂 |
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資料 |
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永和年間(1375〜78)に、京都の醍醐山(だいござん)から俊源大徳(しゅんげんだいとく)が高尾山に入山し、不動明王を祈念し、一山の守護神として飯縄権現*(いいづなごんげん)(飯縄明神)を奉祀し、中興したと伝えられる。
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以降、高尾山薬王院は、薬師信仰とともに飯縄信仰の霊山として当山派の修験道場となり、山岳仏教(真言密教)と修験道、それに一部神道(しんとう)が加わり、渾然一体となって隆盛を極めてきた。
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現在、本尊の薬師如来・飯縄権現・不動明王の三尊が一体となった霊場となっている。
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飯縄権現:
不動明王の化身。神体は白狐に乗った不動尊で、顔面は烏天狗(からすてんぐ)になっている。飯縄権現堂の前には、向かって右側に大天狗、左側には小天狗(烏の口をした烏天狗)の像が建っている。
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男女の山伏 |
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引敷(ひっしき)が特徴の山伏の後ろ姿 |
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拡大写真(1600x1200)271KB 【E-1
38mm F7.1 1/250秒 ISO200】
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拡大写真(1200x900)188KB 【E-1
28mm F8.0 1/320秒 ISO200】
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山伏修業 |
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資料 |
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修験道は、回峰(かいほう)修行を通じて無我のなかから悟りを開くという修行で、密教における仏の本意を会得することに通ずると解されている修法である。こうした考え方を基本として、高尾山の修験は水行と火行を柱にした修行が行われている。 |
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水行は、蛇滝(じゃたき)と琵琶滝(びわたき)の2滝を道場としておこなわれる。水行衣一衣をまとい、両手を組み、滝に打たれ、無我のなかに己を見つめる。 |
毎年4月の滝開き、11月の滝じまいの祭事があるが、年間を通して行われる正式の水行は、1回につき21日間おこなわれる。《前の行》《本行》《後の行》の各7日間であるが、《本行》での食事は五穀を断ち、水でかき混ぜたそば粉と飲み水程度の飲食で、1日7回の滝水行、夜半の水行の後、水行衣で山上の飯縄権現に参拝、諸堂に経文を唱えながら巡拝するという。高尾山では、この荒行のことを「お山参り」と呼ぶ。 |
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一方、火行は、3月第2日曜日におこなわれる火渡り祭が火行の代表的修行である。高尾山麓の祈祷殿前の広場でおこなわれる柴燈護摩(さいとうごま)*奉修の後、残り火の上を素足で歩く「火生三昧(かしょうざんまい)」の荒行が、最大の火行として知られる。
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柴燈護摩:修験道において野外で修される護摩修行のこと。護摩とは、密教の代表的な修法の一つで、密教では火は如来の真実の智恵の標示であるとして、火中に投ずる供物を人間のさまざまな煩悩になぞらえ、これを焼き浄めて悟りを得ることを目的としている。 |
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大導師登場!
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拡大写真(1200x900)219KB 【E-1
28mm F7.1 1/200秒 ISO200】
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高尾山から下山してきた山伏姿の僧侶一行は、二列縦隊で祈祷殿まで行進してきた。彼らは、頭襟(ときん)を戴き、篠懸(すずかけ)と結袈裟(ゆいげさ)を着け、
法螺貝を持つ、ごく普通の山伏の姿である。時々、法螺一斉(ほらいっせい)の号令で一斉に法螺貝が吹鳴される。
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法螺を吹く先達(せんだつ 関西ではせんだち)に先導され、炎のような朱の法衣に身を固めて登場したのは、大導師(薬王院山主 三十二世 隆玄さん)である。武士の小姓のような小僧を連れている。その子の衣装も朱であることを考えると、山主の後継者なのだろうか。
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拡大写真(1600x950)227KB 【E-1
28mm F7.1 1/250秒 ISO200】
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海産の法螺貝を細工して信号用に吹き鳴らすもので、法螺はその略称。吹奏貝はアジア・アフリカ・アメリカなどで広く用いられ、中国の敦煌(とんこう)の壁画中にも見られるという。日本では平安時代以降に修験者・山伏の峰入修行や法会*(ほうえ)の場の法具の一つとされた。 *
法会:「法」は仏法、「会」は集会の意。
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平安末期に後白河法皇によって集成された梁塵秘抄(りょうじんひしょう)に〈山伏の腰につけたる法螺貝の〉とあり、先達は出寺・入宿・案内・応答などに法螺貝を吹き分けて、山伏の集団行動や日常の集団生活の合図とした。法螺貝の音は悪魔や猛獣を恐れさせる呪力があると信じられ、山伏は法要の前や途中で法螺貝を吹く。
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山伏の所持する法具には、法螺貝の他に頭襟(兜巾・頭巾)がある。頭襟は密教の大日如来の宝冠を表し、迷いの衆生と悟りの仏とが一体であるという教えを象徴したもので、黒色は煩悩を表わしているという。実用上は少し小さいがヘルメット代わりに頭部の保護になり、水を汲むコップ代わりにもなる重宝なものであるという。 |
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修験者が衣の上に着る麻の衣で、袖口が広く空いているのが特徴。鈴掛とも書く。深山の篠(すず)の露を防ぐためのものという。すずかけごろも。 山伏の装束 |
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祈祷する山伏たち |
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法螺貝を吹き鳴らす山伏 |
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拡大写真(1200x900)262KB 【E-1
28mm F8.0 1/250秒 ISO200】
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拡大写真(1200x900)207KB 【E-1
28mm F8.0 1/320秒 ISO200】
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修験道では御幣や幣束のようなものを梵天と呼ぶ。高尾山の場合、飯縄権現の加護を得て、信者に配り、厄除けの御守札とする。御神輿のように台に乗っているのが梵天である。
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白装束の信者たちは、火生三昧(かしょうざんまい)と書かれた鉢巻を締め、薬王院の三つ葉もみじの紋の入った結袈裟(ゆいげさ)を首にかけ、錫杖(じゃくじょう)を右手に持ち、熱心に祈っている。火渡りという荒行に挑む緊張感がうかがえる。
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梵天と白装束の信者たち
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拡大写真(1200x900)238KB 【E-1
88mm F7.1 1/500秒 ISO200】
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山伏一行は、自動車の交通安全を祈祷するための祈祷殿で、大導師を中心に祈祷したあと、柴燈護摩(さいとうごま)と火渡りを行う道場が設けられている近くの広場に向かった。
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