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 感動写真集

2016年4月2日改訂

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メドレー(早春賦・お江戸日本橋・さくらさくら・お江戸日本橋(鼓))

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初春や宝来船の大漁旗   北舟

2007年1月19日制作

宝来船を力漕する男たち

宝来船を力漕する男たち(豊後高田ホーランエンヤ/大分県)

豊後高田ホーランエンヤ

大分県指定無形民俗文化財

宝来船

撮影原作・清原浩

豊後高田 市のホーランエンヤ
 平成19年(2007年)1月7日(日)、大漁旗や日の丸、五色の紙をつけた笹竹、吹き流しなどで飾られた満船飾の宝来船(ほうらいせん)が桂川(かつらがわ)を遡(さかのぼ)る新年恒例の裸祭り「ホーランエンヤ」が大分県豊後高田市で開かれた。

桂川の宝来船

桂川の宝来船

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 大分県無形民俗文化財のホーランエンヤは、豊後高田市が島原藩(長崎県)の領地であった江戸時代中期から島原や大坂の蔵屋敷に年貢米を送る廻送船の航海の安全と豊漁を祈願する行事として行われてきた。

カラフルな大漁旗

カラフルな大漁旗

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 かつては元旦の行事だったが、現在は日中に満潮となる時間にあわせて日程が決められる。ホーランエンヤの語源は諸説あるが、「宝来栄弥(ほうらいえいや)」「蓬莱*(ほうらい)へ、蓬莱へ」という掛け声からきたといわれている。
*蓬莱(ほうらい):三神山の一。中国の伝説で、東海中にあって仙人が住み、不老不死の地とされる霊山。

大勢の観客

大勢の観客

  初春や宝来船の大漁旗  北舟 

はつはるや ほうらいせんの だいりょうき

 ホーランエンヤ保存会が主催するこの祭りは、ふんどし姿の若者たち13名など関係者が金毘羅宮に参拝した後宝来船(ほうらいせん)に乗り込み、磯町(いそまち)を出発、「ホーランエンヤ エンヤサノサッサ」の掛け声とともに、一旦河口に下った後、川上の豊後高田市役所前まで満潮(まんちょう)の上げ潮(あげしお)に乗って漕ぎあげる。

宝来船に乗り込む主役の裸たち

宝来船に乗り込む主役の裸たち

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 川岸を埋める大勢の観客が見守るなか、裸の若者たちが厳寒の桂川に飛び込み、岸辺まで泳いで祝儀を取りに行く。両岸を巡りながら市役所そばの若宮八幡宮に向かう宝来船からは、紅白の祝い餅が大量に撒かれる。

磯町を発航する宝来船

磯町を発航する宝来船

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宝来船

 祭りに使用される宝来船は、浅いところでも通れるように特別に設計した全長20m、幅5mの平底の木造和船である。市や県の補助を受けて平成13年ころに代替建造されたもので、ホーランエンヤ保存会が管理している。

太鼓に合わせて櫂を漕ぐ

太鼓に合わせて櫂を漕ぐ

 普段は磯町に係留保存されており、ホーランエンヤのときにだけに使用される専用船である。両舷に6本ずつ、地元では櫓(ろ)と呼ぶ12本の櫂(かい)と青竹の棹(さお)を使って操船するが、ときに推進機関も使っている。

宝来船を力漕する男たち

宝来船を力漕する男たち

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 櫂や棹は、前垂れ式六尺褌に腹巻きを締めた裸形の若者たちが担当。囃子方(はやしかた)一人が打ち鳴らす太鼓に調子をあわせ、船首と船尾の小舞台で舞う踊り子たちに鼓舞されながら漕走(とうそう)する。

漕ぎ手を鼓舞する踊りと太鼓

漕ぎ手を鼓舞する踊りと太鼓

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 船首尾の和服姿の踊り子は、女装しているように見えるが、小学校の男子生徒で、化粧はしていない。宝船の恵比寿(船首)・大黒(船尾)をあらわしているともいわれる。過去にミス豊後高田を乗船させたことがあったが、船には女性を乗せないという掟があることから、現在は男性のみが乗船しているという。

櫂を操る裸形の若者たち

櫂を操る裸形の若者たち

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 宝来船はかつて瀬戸内海など日本各地の水軍が使用していた櫂伝馬(かいでんま)と呼ばれる和船とは異なるが櫂の使用や囃子方、踊り子などを見ると、類似点があり、興味深い。

宝の法被

宝の法被

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 豊後高田市の説明によると、江戸時代からの伝統行事ではあるが、文献が残っておらず、長老や郷土史家などの話を聞きながら、忠実に再現しているという。保存会の指導が行き届いており、ふんどし姿の若者達には一人の衣装違反もなく、伝統文化を伝えてゆこうとする熱意が感じられた。

桂川の河口を行く宝来船

桂川の河口を行く宝来船

清原浩きよはら ひろし

  さんのこと
 清原さんと知り合ったのは、平成17年(2005)の大晦日に川組後援会の三谷会長名で、「・・・私どもが支援している裸祭りも、『日本三大裸祭りの一つ』と言われており、その歴史は900年を超えています。・・・和田様も機会が御座いましたら是非お出でください。」とメールをいただいたことがきっかけである。
 この祭りは、はだか褌姿の若者たちが若宮八幡神社の宮神輿1基を担いで桂川を渡るというもので、規模的にはどう考えても三大裸祭りに入りようもないと思ったが、その心意気に惹かれて取材を決意した。
 平成18年(2006)11月3日(金)朝5時起きして、羽田空港から大分空港に飛び、出迎えていただいた清原さんと合流し、豊後高田市の誇る若宮八幡神社の裸祭りを取材した。このとき、川組後援会の全面的な支援を受け、草色のジャンパーを着て、最適ポジションから素晴らしい画像を沢山切り取ることができ、11月14日に発表することができた。
和田義男
 翌日も清原さんの愛車で磨崖仏(まがいぶつ)の里として知られる国東(くにさき)半島の六郷満山を旅し、素晴らしい感動を多数切り取ることができた。清原さんがいなければ、この旅は存在せず、私の作品も生まれなかったのである。つきっきりでアテンドして大分空港まで送迎いただいた清原さんには心から感謝しており、この場をお借りして改めてお礼申し上げたい。
 清原さんは、川組後援会のホームページを運営されており、感動写真集に是非ともご登場願いたいとお願いしていたところ、このたび、第一弾としてホーランエンヤの作品をお送りいただいた。 
 internetのお陰で、新年早々感動写真集の23人目の同志が生まれた。2月24日には国の重要無形民俗文化財に指定されている天念寺修正鬼会(てんねんじ・しゅじょうおにえ)があり、取材を予定していただいている。清原さんには、これからも感動写真集を通じて、末永く郷土の伝統文化を発信願いたい。

   平成19年(2007)1月19日   監修 和田義男

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