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 旅紀行日本の裸祭り
2004年2月14日改訂

♪島の祭り KasedaMusicLabo

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灘のけんか祭り

屋 台 練 り

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  秋高く翳す屋台や灘祭 北舟 

あきたかく かざすやたいや なだまつり

 Nada festival, people holding a wagon to the high sky of autumn.

祭りのビデオ ( 13秒 2.4MB ブロードバンド用

祭りのビデオ

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豪快な木場

豪快な木場

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 神輿合わせを終えた3台の神輿が御旅山の坂道を上っていくと、いよいよ6台の屋台が次々に練り場に登場し、フィナーレを迎える。
 灘祭りの屋台は、豪華で大きい。4人の乗り子を乗せた重さ2トンの大屋台を支える練り子は、100人を超える。
木場(きば) 全戸660の木場は、約900年の昔から「木庭の泊」として歌に詠まれ、塩の積出港として栄えたが、今は大規模なヨットハーバーがあり、多くのプレジャーボートで賑わっている。神輿屋台型屋台を初めて登場させたことで知られる。
 屋台は木場港をイメージした菊水の紋所。伊達綱(だてづな)、練り子法被、鉢巻、シデを全て若緑で統一。法被を脱ぎ捨て裸になった錬り子たちが豪快に屋台練りを披露。テンポの速い太鼓の音。大きく傾く屋台は圧巻だ。(写真左 一番乗り)
松原(まつばら) 戸数2,000を超える旧灘七村最大のこの町は、江戸時代からふすま釘、船釘などの産地で知られ、近年は鎖、ナット、マッチなどの地場産業が盛んだ。松原神社のお膝元に位置するために、祭りの中心的役割を果たしている。
 金糸の混じった純白の伊達綱の他は、法被、鉢巻、シデとも全て鞴(ふいご)の火を表す赤で統一。紋所は左三つ巴。練り子全員が法被を着込み、練り場は艶やかな赤に彩られる。(写真12 二番乗り)
中村(なかむら) 松原神社の東に隣接する中村は、神社を守護していた八正寺の寺家や侍が多く住んでいた歴史ある町だ。近年北部地区の開発により人口が急増し、1,200戸余りに発展している。
 今年10月に新調したばかりの屋台は、白木の屋根を誇っている。制作費1億円とか。紋所は八正寺と同じ五七桐。金糸の入った純白の伊達綱のほかは、シデ、練り子法被、鉢巻とも全て播磨灘の海の色(水色)で統一。練り子全員法被を着込んでいるので、白木の船が青い海の上に舞う風情がある。(写真14・15 三番乗り)
妻鹿(めが) かっては瀬戸内沿岸の遠洋漁業基地として、下関とともに並び称された。その妻鹿も、魚市場の移転など時代の流れに伴い大企業が進出し、今では発電所や精油所に代表されるエネルギー拠点となっている。
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重量2.5トンの妻鹿

重量2.5トンの妻鹿

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艶やかな赤の松原

艶やかな赤の松原

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 灘のけんか祭りは、昭和40年代頃までは「妻鹿のけんか祭り」と呼ばれていた。1,000年ほど前に妻鹿の住民が初めて祭事を執り行ったからだという。その自負からか、妻鹿屋台は、総勢600人という大勢力だ。
 妻鹿の心意気は、「胴つき」と呼ばれる独特の練り上げ方だ。練り子全員が一斉に両腕の前腕部で屋台の練り棒を支え、数回地面に直下させて弾みを付け、その弾みを利用して一気に肩に担ぎ上げる。この荒技のために屋台を強固な仕様にしたので、重量が2.5トンにもなり、4年ごとに泥台を取り替えるという。重厚でゆったりとした太鼓の音が響く。
 妻鹿屋台の紋所は左三つ巴。伊達綱は金糸の入った茶色。シデ、法被、鉢巻は質感あふれる重厚な朱赤。法被を脱ぎ捨て裸になった錬り子たちが豪快に担ぐ様は、元漁師町のたくましさを彷彿とさせる。(写真左と下 四番乗り)

妻鹿の大勢の練り子たち

妻鹿の大勢の練り子たち

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東山(ひがしやま) 灘地区の北東部に位置する東山は、松原神社の東にある大日山の麓にあることからその名がついた。昭和40年代までは土地のほとんどが農地だったが、商業施設の進出と宅地化が進み、今では戸数1,100戸までに発展している。
 東山は、その昔、神職の大部分が東山に移り住んだことから、松原神社の宮元となっている。
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木場・松原の二台練り

木場・松原の二台練り

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指揮者二人の八家

指揮者二人の八家

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 昨年100年ぶりに生まれ変わった金ぴかの紋所・千成瓢箪は、東山屋台を際だたせている。秀吉の馬印(うまじるし)にちなんで12の瓢箪を菊の御紋に仕立てた。伊達綱は金糸の入った純白だが、シデ、法被、鉢巻は全て邪気を払う桃の色で統一。(写真14右 五番乗り)
八家(やか) 八家は、灘地区最東端に位置する戸数400余りで、旧灘七村では一番小さな町だ。少数だが精鋭を揃え、練り上手といわれている。練り子全員が「ヤッサ(屋台)を落とせば八家の恥」という意識を代々受け継いできたという。
 紋所は左三つ巴。黄の混じった赤いシデに合わせ、全員赤鉢巻をキリリと締め、法被を脱ぎ捨て裸になった錬り子たちが威勢良く屋台を担ぐ。黄赤は、たぎる血潮と熱血の色。羽織袴の老人二人が練り棒の上に立ち、指揮棒を振りかざすさまは、古武士のようで男らしく、凛々しい。(写真左下 六番乗り)
宇佐崎(うさざき) 室町時代から塩田を中心に栄えてきたが、近年工場地帯や新興住宅地帯に生まれ変わり、世帯数が一気に1,800戸にまで発展した。
 屋台は龍の紋所。伊達綱は黄糸の入った白。シデ、法被、鉢巻を黄金の黄で統一。今年は神輿合わせの錬り番だったため、本宮では屋台練りがなかったのが残念。

屋台に倒された客

屋台になぎ倒された客!

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中村・妻鹿の二台練り

中村・妻鹿の二台練り

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場内アナウンスに従わない客

 絢爛豪華な屋台練りに酔いしれている観客に対し、再三再四、「場内に立ち入ると危ないので、立ち入らないように」とのアナウンスが流れた。しかし、従うものは誰もいない。うら若き女性客ですら動こうとはしない。
 そのうちに、私の目の前で、東山の屋台が練り場の立見客に突っ込み、何人かが倒されてしまった。(写真上)
 あれほど注意されたのに、従わなかった方が悪いと思う。しかし、主催者によるもっと強い指導や規制を行わない限り、このような巻き添え事故は今後も起こることだろう。

八家・妻鹿・東山の三台練り

八家・妻鹿・東山の三台練り

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木場・中村・松原の三台練り

木場・中村・松原の三台練り

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屋台三台の練り合わせ

 屋台が3台になると、練り場は超満員となる。これまで、4台の屋台が一度にそろったことがあるそうだが、この日は3台が最高だった。1台が御旅山へ向かい、場所が空くたびに、次の屋台が登場するという形で、総勢6台の屋台が披露された。
 屋台が登場する際には、放送席からその屋台と町の紹介がある。アナウンスは地元・灘中学校の放送委員の女子生徒が担当している。祭りの2日間は、灘中と地区内の4つの小学校は、臨時休校となる。

 「死ぬまでに一度は見て欲しい。」と地元の人は言う。イタリア旅行で知った「ナポリを見て死ね」という諺が脳裏を横切る。地元民の灘のけんか祭りへの思いはそれほどまでに強く、そしてそれほどに素晴らしい。
 灘のけんか祭りを頂点とした播州の秋祭りは、昔からの伝統をかたくなに守り、世紀を超えても変わらない。地域の和。支える人々の心意気。ふる里への強い思い入れ...。播州から発せられるこの祭りの強烈なメッセージは、これからも人々の熱い思いを蘇らせてくれることだろう。(完)
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