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▼ 子供たちは1時間前には着替えを完了していたが、出発は午後1時45分となった。一行は、氏子総代3名を先頭に、金棒曳(かなぼうひき)2名、拍子木1名、行司1名の後に、最年少者を先頭に年少順に並んだ豆力士たち17名が続き、一列縦隊となって行司宿を出発した。豆力士たちの数は、本来なら24名前後というが、それだけの数を集めるのは難しいという。 |
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▲▼ 幼稚園児から小学6年生までの豆力士17人は、行司兼リーダ役の金子友和さんに続いて、化粧廻しの上に赤い紋付襦袢(もんつき・じゅばん)を羽織り、神社まで200mほどの道のりを裸足で行進した。 |
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赤い |
襦袢 |
を羽織って裸足で神社に向かう子供たち |
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▲▼ 釣上神明社(かぎあげしんめいしゃ)では、釣上上組(かぎあげかみぐみ)、釣上下組(かぎあげしもぐみ)、釣上新田(かぎあげしんでん)、釣上新田南(かぎあげしんでんみなみ)の4地区に分かれて氏子組が組織され、それぞれ5人の氏子総代がいる。土俵入りに参加する子供たちは、宮本といわれる釣上下組の子供たちを中心に選ばれる。少子化の傾向にあるため、年々、選考する区域が広がっているという。 |
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一列縦隊で参道を進む
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さんどうの もんつきじゅばん あきのいろ |
Crested under-kimonos, in the autumnal color of the front approach to the shrine. |
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参道から宮入りする紋付襦袢の子供たち
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行司宿から釣上神明社に宮入りした豆力士たち 13:50 |

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こうはくの すもうばあらたに あかじゅばん |
Red under-kimonos, newly born sumo ring with a red-and-white curtain. |
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▼ 下組では長男が生まれると、すぐに土俵入りに使う化粧廻しを作れといわれてきた。土俵入りに参加する子供たちは、最年長者から順に選んだ年長者3人が三役(さんやく)と呼ばれ、次の年長者を加えた4人を四人組という。 |
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▲▼ 土俵入りでは年少者と年長者の二手に分かれた演技が行われたあと、三役と四人組の演技が披露される。 |
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▲▼ 宮入した行司と豆力士たちは、拝殿前で参拝した後、東西二手に分かれて土俵下に陣取った。土俵には、神前に向けた祭壇と盛砂(もりずな)があり、午後2時頃から高梨宮司による土俵の清め祓いの神事が始まった。 |
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▲ 宮司のお祓いのあと、行司による神事が行われ、東西南北の徳俵に塩と御神酒を降りかけ、土俵を清めた。 |
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裸足の拍子木が |
盛砂 |
を東西南北に広げる 14:07 |
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▲ 行司による神事終了後、氏子役員たちによって祭壇が片付けられ、拍子木によって土俵中央の盛砂(もりずな)が東西南北に広げられて土俵の準備がすべて完了した。 |
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▲▼ 東西の豆力士たちは、行司を先頭に一列縦隊となって土俵下を一周した後、赤い紋付襦袢を着たまま東側から土俵に上がり、土俵の外側を一周した。 |
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土俵に上がった赤い紋付襦袢の豆力士たち 14:09
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