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▼ 篠岡八幡大神社で行われる土俵祭が終わった後は、現地解散となるので、着替えなどが入った手荷物は、小型トラックに積み込んで、神社に運ばれる。 |
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着替えなどの手荷物をトラックに積み込む
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暑い暑い残暑!
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▲▼ 笹久保公民館は観音院吉祥寺の敷地内にあり、出発を待つ子供たちは、先祖のお墓のそばではしゃいでいた。暦の上では秋だが、残暑が厳しく、脱水症にならないよう、水を飲む姿が見られた。 |
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▲▼
土俵祭に参加する一行は、午後2時20分ころ、拍子木を先頭に笹久保公民館を出発し、北西約1kmに鎮座する篠岡八幡大神社に向かった。 |
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拍子木を先頭に篠岡八幡大神社に向かう 14:20 |
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▲▼ お練り行列は、拍子木と金棒曳(かなぼうひき)に続き、小島晃氏子総代長ら菅笠(すげがさ)紋付き羽織袴姿の氏子役員、保存会の遊馬甫(あそま・はじめ)会長が務める行司、子役、手合、亀能、拍子木、金棒曳の順に並んでいる。子供行列の先頭は、年中組園児の中村さとしくん(5歳)。 |
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最年少子役(幼稚園年中組5歳)の中村さとし君を先頭に行進 14:21 |
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県道324号線を北上する行列 14:23 |
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艶やかな装束を羽織った22人のお練り行列 14:23
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▲▼
土俵祭一行は、警備員2名の警戒のもと、県道324号線の右側を北西に行進。途中で、沿道の市民の出迎えを受ける一幕があったが、このパレードを広報していないのか、見物人の姿は、殆ど見られなかった。 |
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市民の出迎えを受ける 14:26 |
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遊馬甫 |
会長扮する行司の後に続く子ども行列 14:28 |
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豆力士の後を行く拍子木と |
金棒曳 |
14:38 |
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参道入口で一行を待つ馬場裕彦宮司
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▲▼
土俵祭一行は、
出発して25分ほど歩いたのち、「八幡大神」の大幟の立つ参道入口に到着し、馬場裕彦宮司の出迎えを受けた。ここで一旦休憩し、冷たいバヤリースの缶ジュースで喉を潤した。 |
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参道入口で水分補給 14:44
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馬場宮司の先導で拝殿に向かう 14:45
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▲▼ 土俵祭一行は、休憩の後、馬場宮司の先導により、赤鳥居をくぐって参道をパレードし、篠岡八幡大神社の拝殿に向かった。 |
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赤鳥居をくぐる豆力士たち 1/3
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赤鳥居をくぐる豆力士たち 2/3
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あききざす 鎮守の森の まめりきし |
Early autumn, sumo children at the grove of a village
shrine. |
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拝殿に向かう 14:48
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さいたま市岩槻区に位置する笹久保は、古くは大和田と呼ばれていたが、永承年間(1046-1053)に源義家が奥羽征伐に向かう途中、この地に陣を張り、笹の生い茂った窪地に軍配を祀り、八幡神を勧請して戦勝を祈願したことから、のちに笹久保と呼ばれるようになったと伝わる。 |
篠岡八幡大神社は、創建以来、岩槻城(いわつきじょう)代々の城主により武運長久の神として信仰され、再建復興が繰り返されたが、寛文8年(1668)に社殿や祈願所が火災に遭い、それ以前の記録は全て焼失してしまった。 |
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篠岡八幡大神社拝殿
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現在神社に残されている古い棟札によると、火災から4年後の寛文12年(1672)に「雨屋本地殿并小宮三社」が修復されたことが分かっている。その後も、江戸期を通じて、歴代の岩槻城主から崇敬されていたという。 |
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保存会のパンフレットによると、篠岡八幡大神社は、鎌倉の鶴岡(つるがおか)八幡宮と東京・深川の富岡八幡宮と共に三岡八幡宮と呼ばれているという。internetで検索したが、篠岡八幡という名の神社は笹久保にしかない。 |
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拝殿前にうずくまる
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拝殿前で参拝 14:50
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▲▼ 行司を先頭に一列縦隊に並んだ豆力士たちは、篠岡八幡大神社の拝殿前にうずくまって参拝した後、馬場宮司による御祓いを受けた。 |
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馬場宮司による御祓い 14:51
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