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 感動写真集

2004年12月13日改訂

♪想い川 TAM Music Factory

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2004年12月13日作成

海の禊ぎ

二船祭り(海士潜女神社/三重県鳥羽市国崎町)

全裸禊

里谷さとたに 櫂組かいぐみ
 神事を終えて浜に戻ると、里谷(さとたに)の若者二人が禊ぎを終え、古代*装束を身にまとい、櫂(かい)を担いでいた。彼らは里谷の櫂組と呼ばれ、里谷のみに許される特別な神事を執り行う若者たちで、舳先(へさき)に座る漕ぎ手と最後部の舵取り役が選ばれる。
* 古代:原始時代よりも後、中世よりも前の時期を指す。古代がどこで終わるかは様々な説があるが、日本史では平氏政権の確立(1167年の平清盛の太政大臣就任)までとされる。

里谷の櫂組

里谷さとたに 装束
 里谷地区の若者が着用する衣装は白い和服で、その背中に「里」の字が大きく描かれている。藁縄(わらなわ)を両袖に通して背中で結び、襷掛け(たすきがけ)の代わりにしている。帯は手製の藁縄で、白足袋を履いている。まるで神話に登場する日本武尊(やまとたけるのみこと)のような雰囲気である。

神社に向かう古代人

神社に向かう古代人

櫂組の儀式

 右側の古代人が舵取りで、櫂を漕ぐ左手の若者の持つ櫂と比べて、かなり長い櫂を持つ。神事は、木の枝を使った独特のもので、それぞれに意味があるものと思われるが、私には理解できないものであった。

櫂組の儀式

主役の登場
 11月23日午後1時半ころ、公民館で気付けの飲み会を終えた若者たちが羽織の正装で浜に姿を現した。二船祭りの船漕ぎ競争に先立ち、浜の海水で禊をするためである。
主役の登場 1 主役の登場 2
全裸の みそぎ
 若者は、太陽のもと、衆目の視線を感じながら、着衣を脱いで全裸となった。酒が入っているとはいえ、さすがに恥ずかしそうで、局部を手で覆って足早に海に入り、海水で身体を浄めた。
衆目の前で裸になる

衆目の前で裸になる

浜に向かう

浜に向かう

海に入る

この男性は最年長の34歳。ほかの9人は25歳以下の青年団員である。

海に入る

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 最初は里谷(さとたに)の残る3人が、そして海間谷(かいまたに)の5人が次々と海に入っていった。国崎(くざき)では一斉に禊をするのではなく、順番に行うのが古来からの習わしとみえる。
海に飛び込む

海に飛び込む

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海の禊

海の禊

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 真っ昼間に全裸で禊を行うのは日本特有の文化で、昔は普通の風習であった。明治維新以後、西洋文化の導入により、日本古来の裸文化が排斥されてきたために、現在では珍しい光景となってしまった。
禊を終える

禊ぎを終える

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 若者達の裸体は健康的で美しく、何ら卑猥感がない。彼らは照れながらも、結構楽しんでいるふうでもある。
浜に揚がる

浜に揚がる

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ふんどし
 若者たちは禊が終わると白晒木綿の六尺褌を前垂れ式に締めた。古代人も褌をしていたことだろうが、日本書紀に麻が飛鳥時代に衣料として愛用されていたことが記されていることから、当時は麻の褌だったと思われる。
 木綿は16世紀の戦国時代から使われるようになり、北前船が蝦夷地の鰊(にしん)でつくった金肥(きんぴ 金で買う肥料)をもたらして綿花栽培が急速に盛んになった江戸時代に普及したもので、比較的新しい布である。

褌を締める

仲褌を締める 1 褌を締める 2

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古代衣装を着る

古代衣装を着る

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海間谷かいまたに 古代衣装
 海間谷(かいまたに)の衣装も里谷(さとたに)と同じものであるが、背中に2本の櫂をX 形にデザインしたものを表示している。普通の白地の着物に藁縄を両袖に通して背中で結ぶと、古代衣装になるところが面白い。

藁縄で結ぶ

藁縄で結ぶ

心は海へ

しばし高度文明社会から抜け出して古代人に変身した気持ちはいかばかりだろうか。

心は海へ

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