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三社祭の氏子たち |
大都会の日々の生活から離れ、江戸時代から伝わる伝統の衣装を身にまとい、この日ばかりは遠慮なく、まるで別人のように自己を燃焼させることができる祭の日。三社祭という別世界に陶酔する淺草っ子たちの姿を追ってみた。 |
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南部、駒番8番、雷門西部町のみなさん |
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手古舞の娘たち |
神輿の先導役を務めるのが手古舞(てこまい)の女性たち。手古舞は、祭礼の踊り舞台で祭囃子に合わせて踊る舞踊のことであるが、神輿や山車を先導する男装の女性として知られる。 手古舞
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伊勢袴・足袋(たび)・草鞋(わらじ)を履き、男髷(おとこまげ)を結い、片手に金棒を持った片はだぬぎの手古舞姿の娘たちは、三社祭に花を添える。
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祭りの女の子たち |
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三社様の祭りは、男女平等・機会均等であることが自慢だ。 |
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ふんどしの子 |
東部、駒番5番の聖天町の子供たち。出発は、最後から8番目とあって、待ちくたびれた様子だ。
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親譲りの大切な半纏なのだろう、かなり大きめのものを尻からげして真っ白なふんどしが見えるようにしているちびっ子くん。ちょっぴり大人になった気分なのだろうか。
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子供神輿 |
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南部、駒番7番、雷門田原町の子供神輿。みんな楽しそう。 |
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ケイタイの男
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時代の先端を行く携帯電話のカメラで晴れ姿を写したのだろうか。左の男性は鉢巻とふんどしの色を同じ赤に合わせている。 |
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祭りの男たち
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思い思いの衣装で、自己主張している淺草っ子たち
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浅草神社 |
神 紋 |
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漁網をモチーフにしたユニークなデザイン |
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《 撮影 2003年5月17日 》
オリンパス
CAMEDIA E-20
500万画素:400枚・550MB |
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三社祭の三社とは、淺草神社の三柱の祭神のことで、もとは隅田川で観音像を拾った漁師たちであった。江戸時代、士農工商という身分制度の厳しい時代に、庶民が神になるとは、凄いことだと思う。それほど、信仰の力は偉大だということなのだろうか。
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浅草神社の神紋は、漁網をあしらった極めてユニークな紋章である。internetで全国の神紋を調べても、他に使用例は見あたらない。
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神輿渡御の際、神輿の上に乗らないようにと、頻繁にアナウンスで注意があった。しかし、町神輿であれば、播州のけんか祭りを例に出すまでもなく、漁師の労働着であったふんどし一丁で神輿にあがって盛り上がるのは、三社様なら喜ばれるのではないだろうか。
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毎年、100基の神輿が観音堂裏に集合する光景は素晴らしいの一語に尽きる。観客動員数が100万人と発表され、神田祭を上回る人気ぶりである。
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しかし、三社祭の起源を考えると、隅田川や船とのかかわりが廃れてしまったことが残念でならない。船祭礼を復活させ、更なる隆盛を期待したい。(完)
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