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 旅紀行日本の裸祭り

2003年11月21日改訂

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BGM

2003年8月17日制作

鳥取県無形民俗文化財

2001年 〉

 

〈 2004年 〉

蛸舞式神事 たこ舞神事

溝口町みぞくちちょう

藁でつくった蛸を掲げる氏子(福岡神社)

 標高1729mの伯耆(ほうき)富士で知られる大山(だいせん)のふもとにある溝口町は、鳥取県西部、日野川中流域に位置する日野郡の町で人口約5千人。
 町域は中央を北西に流れる日野川を境に東西に分かれ、東部は大山西麓の火山灰土地帯、西部は日野山地の花コウ岩地帯からなる。
 中心集落の溝口は近世に参勤交代の諸大名が往来した出雲街道の宿場町で、本陣が置かれていた。

福岡神社

 溝口町の西部・福岡にある福岡神社の秋祭りは、一風変わった神事が評判で、溝口町では日本三大奇祭の一つだとしている。
 この祭礼は、蛸舞式神事(たこまいしきしんじ)と呼ばれ、鳥取県無形民俗文化財に指定されている由緒ある祭礼である。地元では「蛸(たこ)さん」と呼ばれ、親しまれている。
 毎年10月17日から19日にかけて行われる神事は、17日榧取(へぎとり)(夜人知れず山中に入り栗の木を伐り枌榧(こわへぎ)75枚を作る)、18日崩御(ほうぎょ)(背後の古墳に登り祭典を行う)、19日御饌(みけ)献上祭(新米1升2合を清流で12度洗い幟(のぼり)の古竹1本で炊き、75座に献上する)と続き、最後に大注連(おおしめ)神事・蛸舞式神事で終わる。

蛸舞式神事たこまいしきしんじ

 蛸舞式神事は、福岡神社の祭神・速玉男命(はやたまおのみこと)が熊野灘で嵐に遭ったとき、大蛸に助けられ、無事に吉備国(きびのくに)へ上陸できたという故事にちなんで、行われるようになったという。
 奇祭といわれるわけは、境内にある舞堂(まいどう)で、裸の氏子一人が藁(わら)で作った蛸を持ち、神楽囃子(かぐらばやし)にあわせて何度も担ぎ上げられ、続いて、丸梁(まるはり)に抱きついた願主(ねがいぬし)の氏子一人を下から大勢で回転させるという神事が行われるからである。
 神事を担う氏子達は、舞堂の向かいにある社務所で裸になり、一反の白晒木綿を締め込み、前垂れ式のふんどし一丁になる。ふんどしのほかには何も身につけず、全員裸足で神事に臨む。
 ある時期には、ふんどしの代わりにパンツを着用したこともあったが、神事にそぐわず、古式に則り、ふんどしを締めて行うことにしたという。
 慣れない作業のため、二人がかりでふんどしを締める。純白のふんどしを身にまとうことで、神事に参加する緊張感が生まれる。

 氏子らが舞堂に入る前に、境内では宮司らによる神事が執り行われる。

舞 堂まいどう

蛸舞式神事が行われる舞堂

蛸舞式神事が行われる舞堂

 舞堂(神楽殿かぐらでん)に入った宮司たちは、大注連(おおしめ)神事を執り行う。

 お祓いをし、祝詞(のりと)を上げたあと、凧糸のついたカラフルな八本足の蛸のようなものを上げ下げする。
蛸が海から現れた様子をあらわしているのだろうか、とても不思議な神事である。
 聞けば、この蛸のようなものが大注連(おおしめ)で、60cm四方の小障子のようなものに五色紙幣、扇子(せんす)、麻(お)一筋、緋金巾(ひかねきん)を結びつけ、これに神霊を迎えて本殿から舞堂に遷行したもので、ズバリ、祭神の舞なのであった。これに続くのが祭神を助けた大蛸による蛸舞式神事で、フィナーレを飾る。 
 いよいよ主役の氏子達の登場である。全員お神籤を引いたあと、本番が始まった。
 藁でつくった蛸を持った一人の若者が舞堂の中央に進み、神聖な神楽囃子が流れるなか、大勢の裸の氏子達が押し合いながら若者を何度も担ぎ上げる。
 若者は、立ったままの状態で、胴上げのように何度も上下される。
 舞堂の中で押し合うのは、海が荒れている様子を表し、藁の蛸を持った氏子を担ぎ上げるのは、海が静まった様子を表現しているのだという。

 そして、いよいよ一人の願主(ねがいぬし)が丸梁(まるはり)に上り、腹這いになって梁のまわりを回転しはじめる。落下しないように梁に抱きつき、下にいる氏子達が願主を押し上げて、回転を助ける。これを何度も繰り返す。全員汗びっしょりとなる。
 願主が梁のまわりを廻るのは、蛸が船の舳先(へさき)で航海の無事を喜ぶ様子を表しているという。蛸役の1人と蛸の足役8人が必要で、「そーれ、そーれ」という掛け声とともに、蛸役の願主が何度も何度も汗だくになって梁のまわりを回転する。何ともユーモラスな神事である。大切な丸梁は、ツルツルの状態で、歴史の重みを感じさせる。
 主役の蛸を演じた願主は、神事が無事に終了した後も息を切らしていたが、大役を無事に果たした安堵感から笑顔がよみがえっていた。参加した氏子達は、お神籤の当選者が宮司から立派なお守札をいただいた後、全員、お守札とお神酒を賜って、お開きとなった。

 非常に珍しい神事である。確かに奇祭であるには違いないが、参加者は少なく、観客もまばらである。溝口町や溝口町観光協会が日本三大奇祭だとPRするのは、少し誇大広告の気がするが、その意気込みは理解できる。
 溝口町の地域の人たちが、古来から受け継いできた伝統の文化を次の世代に繋げてゆく努力を続けておられることに率直に敬意を表したい。これからも、この伝統の行事に誇りを持ち、変質させることなく、存続することを願っている。〈 完 〉

注:本稿は、匿名の提供者による2001年10月19日撮影のビデオから静止画キャプチャした映像を編集したものである。

2001年 〉

 

〈 2004年 〉

蛸舞式神事 たこ舞神事

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