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撮 影
2013年8月16日
OLYMPUS E-5
12-60mm
1230万画素
2,045枚 5.3GB
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撮影して10日後の平成25年(2013)8月26日(月)、平成12年(2000)以来、458作目となる感動大作「盛岡舟っこ流し」が完成した。 |
今年6月1日(土)に富山市で行われた「とやま山王市」の黒褌御輿でお会いした安達隆さん(米沢市)の紹介を受け、仙伸会に連絡を取ったのが開催10日ほど前。盆休みの祭礼とあって新幹線の往復切符をとるのが大変だったが、全ての準備を終え、当日、早めに現地入りした。 |
真夏の行事で汗だくの取材だったが、行って良かった。多くの出会いがあり、ロマンと感動溢れる素晴らしい祭礼だった。 |
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仙石二丁目自治会による舟っこ流しは、江戸時代と変わらない裸褌文化をそのまま受け継いでいる。プールのある現代と違って、盛岡っ子たちは、夏になると北上川で泳いでいたが、川に入るのは、赤褌に決まっており、曹洞宗の住職を父に持つ石川啄木は、長松寺にも縁があり、子供のころは赤褌一丁で泳いでいたに違いない。戦前まで、舟っこ流しは、どの町内もすべて赤褌で行っていたのは、当たり前のことだった。 |
ところが、先の敗戦による自信喪失の結果、伝統文化を軽視する風潮が芽生え、西欧文化が進んでいるとの思いからアメリカ文化が日本を席巻した。西洋では裸は野蛮だと考え、彼らは未開の地に宣教師を派遣して、服を着る文化を植え付けてきた。(今ではそれが民族の伝統文化を破壊する行為であることに気付き、裸族などに服を強制することはなくなった。) |
日本では、戦後、小中学校にあった土俵はいつのまにか姿を消し、褌一丁で相撲を取る裸文化は奉納相撲などでかろうじて存続するだけとなった。国技である大相撲の大関・横綱が外国人で占められるようになったのは、相撲を支える底辺がなくなったことが大きな原因で、土俵で汗を流していた子供たちは、現代では野球やサッカーに心を奪われている。 |
時代の趨勢だといってしまえばそれまでだが、高温多湿の日本にあって、先人が培ってきた裸褌文化は、日本の気候風土に最も適したもので、世界には存在しない日本の誇るべき文化である。戦前まで赤褌一丁で行われていた舟っこ流しが今では仙石二丁目自治会だけが継承していることは残念なことだが、最後の砦として、これからも変質することなく、存続することを願っている。 |
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● 高知県須崎市の漁師町で育った筆者は、団塊の世代で、小学低学年のころは、まだ水褌(すいこん)姿がみられ、筆者は黒猫褌(高知では「いどくい」)かフリチンで泳いでいた。貧乏人は、水褌を買うことができなかったからである。赤褌は格好良く、大きくなったら締めてみたいという憧れを抱いたものである。 |
現在、東京では裸褌祭が希少価値を持つような事態になってしまったが、地方ではそこかしこに褌姿が息づいている。どうか、盛岡の男たちも赤褌文化を絶やすことなく、続けていってほしい。
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謝 辞
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● この作品を制作するにあたり、
仙北二丁目自治会・コ田石男会長はじめ仙伸会の方々と盛岡舟っこ流し協賛会・鈴木一夫事務局長ほか地元関係者の皆さんには、大変お世話になりました。とりわけ、
石澤副会長には、取材中、細やかなご配慮を賜り、去年と一昨年のDVDビデオを頂くなど大変お世話になりました。また、鈴木事務局長には、取材後、メールで種々ご教授頂きました。皆様のお力添えがなければ、この作品は、世に出ることはありませんでした。今、感動を新たにしつつ、衷心より御礼申し上げます。 |
末筆となりましたが、「盛岡舟っこ流し」の今後益々のご発展と皆様方のご多幸ご健勝を祈念しております。来年は、赤褌一丁で北上川に入り、ロマンと感動を激写させて頂きますので、どうかよろしくお願い申し上げます。ありがとうございました。 〈 拝 〉 2013.08.26 デジタル写真家/裸祭評論家 和田義男 |
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日本の裸祭り<97種・第169集>「盛岡舟っこ流し」 |
撮影・制作 : 和田義男 |
平成25年(2013)8月16日
作品:第10作 画像:(大170+小67)
頁数:7 ファイル数:417 ファイル容量:144MB
平成12年(2000)〜平成25年(2013) 作品数:458 頁数:1,856 ファイル数:83,444 ファイル容量:16,211MB |
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