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和田義男

 旅紀行日本の花

2005年8月20日改訂
梵鐘

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2005年8月17日作成

極楽の花

極楽の花(光明寺/神奈川県鎌倉市)
鎌倉の蓮の花

光明寺

平家池 源氏池 光明寺 和田義男

 源平池の蓮の花を撮影したあと、一旦鎌倉駅前に戻り、ルノワールという喫茶店でモーニングサービスの朝食をとり、汗だくの身体を休ませたあと、駅東口7番乗り場から久里浜行き40番のバスに乗って材木座に建つ光明寺(こうみょうじ)に向かった。

光明寺山門

鶴岡八幡宮の社門を移築したものといわれ、現在鎌倉において最大の二重門。

光明寺山門

パノラマ写真(1400x900)243B

 15分ほどで光明寺前で下車。案内標識がなかったので、帰りのバス待ちの観光客に聞くと、角を曲がった直ぐにあった。歩いて1分ほどだが、標識を出しておくべきだろう。

光明寺大殿(本堂)

光明寺大殿(本堂)

パノラマ写真(1400x1050)295B

光明寺こうみょうじ

 鎌倉では珍しい浄土宗の大本山・光明寺は、正式には天照山蓮華院光明寺といい、第四代執権・北条経時(ほうじょう・つねとき)が仁治元年(1240)法然(ほうねん)の孫弟子・然阿良忠(ねんあ・りょうちゅう)上人(1199〜1287)を開山として創建した蓮花寺を、第五代執権・北条時頼(ほうじょう・ときより)が寛元1年(1242)材木座に移して光明寺と改名したもので、浄土宗関東総本山である。

光明寺記主園

光明寺記主園

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 開山・然阿上人は、弘安10年(1287)89歳で入寂。後に伏見天皇より「記主禅師(きしゅ・ぜんし)」の謚号(しごう)を賜った。

花頭窓の蓮の花

花頭窓の蓮の花

拡大写真(1400x1050)258KB

 

記主園きしゅえん

 
   本堂の左奥には蓮の花で有名な小堀遠州作と伝わる蓮池の記主園がある。internetで「鎌倉 蓮」で検索して知ったものだが、こじんまりした庭園に咲く紅蓮が素晴らしかった。記主園は記主禅師にちなむ庭園である。  

石灯籠と蓮花

石灯籠と蓮花

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古代蓮の繚乱

古代蓮の繚乱

拡大写真(2000x1500)592KB

 

大賀蓮おおがはす

 
   光明寺の蓮は、ロマン溢れる古代蓮として知られており、二千年前の蓮が現代に花をつけている。古代蓮は、大賀一郎博士が昭和26年(1951)千葉県検見遺跡の泥炭層で発見した縄文時代の蓮の実3個のうちの1個から発芽させたもので、大賀蓮とも呼ばれている。  

チューリップのような紅蓮の蕾

チューリップのような紅蓮の蕾

拡大写真(1200x900)112KB 

紅蓮べにはす

 

塩辛蜻蛉しおからとんぼ

光明寺の紅蓮

拡大写真(1550x1150)148KB 

 

四日目に散る命

 
   蓮の花は、最初の日の朝、蕾の先端が少し緩んで少し咲き、直ぐに閉じてしまう。次の日はもう少し開いてまた閉じる。次の日はもう少し。開いて閉じてを繰り返して4日目に大きく開花したあと、散ってしまうという。蓮の花はとてもはかない。美人薄命、人生の諸行無常を象徴しているようでもある。  

散りゆく花びら

散りゆく花びら

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  花びらをのせて揺れをり蓮浮葉   北舟 

はなびらを のせてゆれおり はすうきば

蓮の種

蓮の種

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本堂と記主園

 記主園は、本堂と開山堂、その回廊などによってコの字型に囲まれており、夜には燈籠に火を入れて、幽玄な雰囲気の蓮見会が催されるという。

本堂と記主園

拡大写真(2000x1500)592KB

  光明寺廻廊に座す蓮見かな   北舟 

こうみょうじ かいろうにざす はすみかな

阿弥陀如来 あみだにょらい

 本堂に赴き、ご本尊の阿弥陀如来を拝ませていただいた。浄土宗は法然上人(ほうねん・しょうにん)が宗祖で、南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ/なんまいだぶ)と唱えれば極楽浄土(西方浄土)に導かれるという他力本願の念仏宗である。弟子の親鸞(しんらん)が浄土真宗を開き、現在、念仏宗が大多数を占めて日本の宗教界をリードしている。

本堂のご本尊・阿弥陀如来

本堂のご本尊・阿弥陀如来

法然上人 ほうねんしょうにん

 本堂の阿弥陀如来のそばに、蓮の花を背にした法然上人の肖像画が掲げられている。これは京都・知恩院に伝わる国宝「法然上人像」をスケッチしたものと思われる。法然上人の御廟は知恩院にあり、誰でも拝観することができる。このことは、当サイト 知恩院の鐘 に詳しい。

宗祖・法然上人

国宝 法然上人像 (知恩院蔵)

宗祖・法然上人   法然上人像

拡大写真(800x950)108KB

 

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地獄絵図

 
 同じ本堂には、閻魔大王の前で最後の審判を受け、地獄に送られた死者の末路が描かれた地獄絵図が掲げられている。嘘つきは舌を抜かれたり、針の山を登らされたり、火の車など子供のときに親から教わった恐ろしい地獄の沙汰がありありと描かれている。 参考: 地獄啓蒙プロジェクト  
 閻魔大王は死後五週間目(五・七日忌)に天・人・修羅・畜生・餓鬼・地獄の六道の何れに送るかの裁判を行う。嘘をついても浄玻璃(じょうはり)の鏡に罪が映し出される。死後四十九日目に判決が確定し、直ちに執行される。閻魔はインドの死の神ヤーマであり、中国で閻魔大王となって日本に伝わった。閻魔の本地は地蔵菩薩である。

地獄絵図

拡大写真(2000x1500)592KB

再度、記主園の回廊に座して蓮を見た。その涼しげな姿を見ると、蓮の花はまさしく極楽浄土に咲く花だと思った。

光明寺記主園の蓮

光明寺記主園の蓮

パノラマ写真(2000X1050)462KB

  紅蓮のひときは映える寺の朝   北舟 

こうれんの ひときわはえる てらのあさ

極楽の花

極楽の花

拡大写真(1600x1200)188KB

和田義男

 
和田義男

撮影 2005年7月30日
 

OLYMPUS E-300

11-22mm 14-54mm
SIGMA 55-200mm


800万画素

 
850枚  1,360MB
 

 蓮の花を激写したいという衝動は以前からあり、このたび、その念願を果たすことができた。これも鎌倉の文化と関わりを持つようになったお陰である。
 仏教の聖なる花が蓮の花である。泥の中から清楚な花をつけるのは、神秘的ですらある。地下茎はレンコン(蓮根)として日本料理には欠かせない食材となるのも良い。

 特に光明寺の古代蓮は素晴らしかった。二千年もの長い眠りから覚めた蓮が美しい花をつけている。植物の悠久の生命力に驚き、そして人間のはかなさを知った旅であった。

 2005.8.17 〈 完 〉

  2005年8月18日(木)晴  宮嶋 茂   様より  タイの仏教文化シリーズ   
  お便りありがとうございました 蓮の花の綺麗な姿を拝見させていただきました。蓮は仏教の教えと共にありますので、どこか清清しさと神々しい感じもいたします。それが和田様の澄み切ったカメラアイで見事に表現されていると思いました。タイは仏教国と呼ばれていますので、ここでも蓮は大切な花です。寺巡りでも蓮の花はよく見ますし、民家に植えられているのもよく見ます。またタンブンで仏前に供えられる佛花には、蓮の花びらが綺麗に織り込んで使われています。  
説明の中にもありましたが、蓮の花の命は実にはかないですね。ああっ!蓮の花が咲いているなと思って、翌日にカメラを持って出掛けますと、もう散っていたということがよくあります。今日は、隣の青年の誕生日で、一緒にバンコクの寺巡りのタンブンをしてきたのですが、和田様の作品を拝見して、また清清しい気持ちにさせていただきました。お知らせありがとうございました。
蓮の花の写真を添付いたしますので、お時間がありましたらご覧下さい。これは入安居(カーオ・パンサー)の時(7月22日)に、サイアム(バンコクの中心地)にあるワット・パトムワンナラームで撮影したものです。

タイの佛花・蓮の花

 

タンブン(喜捨)の蓮の花

タイの佛花・蓮の花   タンブン(喜捨)の蓮の花

拡大写真(1280X96)187KB

 

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  おはようございます。タイから貴重な蓮の花の写真をお送り頂き、有り難うございました。仏教国・タイでは、佛花として日本以上に蓮の花が親しまれているのですね。日本の蓮と比べると姿・形が多少違うようです。早速、ご紹介させていただきます。有り難うございました。  
平家池 源氏池 光明寺 和田義男
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