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和田義男

 旅紀行日本の花

2006年4月23日改訂

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隅田川岸辺も船も花の宴  北舟

      2006年4月23日作成

桜橋東岸の見事な桜

桜橋東岸の見事な桜(隅田川/東京都墨田区)
東京桜めぐり

吾妻橋

両国橋りょうごくばし

 両国橋は、国道14号線を通し、西岸の中央区日本橋一丁目と東岸の墨田区両国一丁目を結ぶ。靖国通りを東に走り、この橋を渡ると京葉道路に至る。 橋のすぐ近くには神田川と隅田川の合流点がある。
 武蔵国(西)と下総国(東)の二国を結ぶ橋なので両国橋と命名されたが、新大橋のところで紹介したように、かつては大橋と呼ばれ、新大橋などができてから両国橋と呼ばれるようになった。
   江戸最大の明暦の大火*のときにはまだ橋がなく、多数の死者が出たので、その後に架けられたという。 両国の回向院(えこういん)は、そのときの犠牲者を弔うために建てられたもの。 現在の橋は昭和7年(1932)に竣工。
  *明暦の大火(めいれきのたいか):明暦3年1月18日(1657年3月2日)から1月20日(3月4日)にかけて、当時の江戸の大半を焼失するに至った大火災。振袖火事・丸山火事とも呼ばれる。
   この火災による被害は、延焼面積・死者共に江戸時代最大で、江戸の三大火の筆頭として挙げられる。外堀以内のほぼ全域、天守閣を含む江戸城や多数の大名屋敷、市街地の大半を焼失し、諸説あるものの、死者は3万〜10万人と記録されている。江戸城天守閣は、以後、再建されなかった。
   火災としては東京大空襲、関東大震災などの戦禍・震災を除けば、日本史上最大のもの。ロンドン大火、ローマ大火と並ぶ世界三大大火の一つに数えられることもある。

9 東日本橋(左)と両国(右)を結ぶ両国橋

東日本橋(左)と両国(右)を結ぶ両国橋

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JR総武線隅田川橋梁

 隅田川橋梁を含む総武線の両国〜御茶ノ水間の線路は、昭和7年(1932)に完成。隅田川橋梁は、鉄道用としては日本初のランガー桁橋*。ランガー桁とすることで桁を薄くし、強度を維持しながら軽量化された。
  *ランガー桁橋:写真下のように桁をアーチで補強した形式の橋で、Langerが発案したもの。

10 柳橋(左)と横網(よこあみ)(右)を結ぶJR総武線隅田川橋梁

10 柳橋(左)と横網(右)を結ぶJR総武線隅田川橋梁

はな

 
 
 バックに流れるBGMは、「♪春のうらゝの隅田川・・・」で知られる滝廉太郎の「花」で、明治33年(1900)に発表された「歌曲集 四季」の4曲中の第一曲。「歌曲集 四季」は、「二重唱/花」 「独唱/納涼」 「混声四部合唱/月」 「混声四部合唱/雪」から成る。
   第一曲の「花」は、ピアノ伴奏付きの二部合唱で、わが国最初の合唱曲である。イ長調、四分の二拍子、Allegro moderato。二部形式で、三節からなるが、三節とも伴奏と旋律が異なる。
 

                            作曲:瀧廉太郎  作詞:武島又次郎 

春のうらゝの隅田川
のぼりくだりの船人が
櫂のしづくも花と散る
ながめを何にたとふべき
見ずや あけぼの露浴びて
われにもの言ふ櫻木を
見ずや 夕ぐれ手をのべて
われさしまねく青柳を
錦おりなす長堤に
くるればのぼるおぼろ月
げに一刻も千金の
ながめを何にたとふべき
 

滝廉太郎たきれんたろう

(1879〜1903)
 滝廉太郎は、東京に生まれ、富山・大分で少年時代を過ごし、明治31年(1898)に東京音楽学校(現東京芸術大学)に入学。 明治34年(1901)に留学生としてドイツに渡るが、結核に冒されて帰国、大分で療養中の明治36年(1903)、23歳の短い生涯を閉じた。「花」を作曲して僅か3年後であった。
   代表作として、「花」「荒城の月」「箱根の山(箱根八里)」などがあり、これらの曲は唱歌にも取り入れられ、日本の洋楽の道を開いた。

東京水辺ライン両国のりば

東京水辺ライン両国のりば

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白い歩道橋

 蔵前橋の100m下流に歩道橋と思われる白い小さな橋が架けられている。この橋も文献が見あたらない。地図帳には記載されているが名前がない。ずっと上流に桜橋があるが、隅田川唯一の歩道橋と説明されており、この白い歩道橋は、完全に無視されている。存在する以上はカウントすべきであり、河口から11番目の橋である。

11 蔵前橋下流の白い歩道橋

蔵前橋下流の白い歩道橋

蔵前橋くらまえばし

 蔵前橋は、蔵前橋通り(東京都道315号御徒町小岩線)を通し、西岸は台東区蔵前一丁目、東岸は墨田区横網一丁目。蔵前は、幕府の御米蔵があったので蔵前と呼ばれるようになり、近代になると政府関係の倉庫などが建ち並び、文字通り蔵の街として栄えた。
 関東大震災後、復興事業にて新式のソリッドリブアーチ橋が昭和2年(1927)に完成。橋全体が稲の籾殻を連想させる黄色に塗装されている。昭和29年9月〜昭和59年12月まで東詰に蔵前国技館があり、高欄には力士などのレリーフが施されている。以前は「富士見の渡し」と呼ばれる渡船場があった。 橋長 173.2m 幅員 22.0m

12 蔵前(左)と横網(右)を結ぶ黄色の蔵前橋

蔵前と横網を結ぶ黄色の蔵前橋

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厩橋うまやばし

 厩橋は、春日通り(東京都道453号本郷亀戸線)を通し、西岸は台東区蔵前二丁目と駒形二丁目を分かち、東岸は墨田区本所(ほんじょ)一丁目。橋名は西岸にあった御厩河岸(おうまやがし)と呼ばれる蔵前の米蔵用の厩(馬小屋)にちなむ。橋全体に馬のレリーフなどが施されている。 橋長 151.4m 幅員 22.0m
 隅田川花火大会の第二会場となる厩橋。 この橋が架かる前までは「御厩(おんまい)の渡し」があった。後に渡し舟の転覆事故があったことから、有料の木橋が架けられ、 昭和4年(1929)に現在の姿となった。

13 蔵前・駒形(左)と本所(右)を結ぶ若草色の厩橋

蔵前・駒形(左)と本所(右)を結ぶ若草色の厩橋

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駒形橋こまがたばし

 駒形橋は、浅草通り(東京都道463号上野月島線)を通し、西岸は台東区雷門二丁目と駒形二丁目を分かち、東岸は墨田区東駒形一丁目と吾妻橋一丁目を分かつ。橋名は橋の西詰にある浅草寺・駒形堂に由来する。土地の人はコマカタと濁らない。関東大震災後の復興計画により、昭和2年(1927)に現在の橋が初めて架橋された。それまでは「駒形の渡し」があった。 西岸には、有名な「駒形どぜう」がある。橋長 149.1m 幅員 22.0m

14 雷門・駒形(左)と東駒形・吾妻橋(右)を結ぶ駒形橋

雷門(左)と東駒形(右)を結ぶ駒形橋

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吾妻橋あづまばし

 吾妻橋は、雷門通りを通し、西岸は台東区雷門二丁目と花川戸一丁目を分かち、東岸は墨田区吾妻橋一丁目。この橋の西方100mに浅草寺の雷門があり、浅草の中心地に至る。東岸にはアサヒビール本社などが入る墨田リバーサイド地区がある。隅田川千本桜で有名な隅田公園はこの橋が南端にあたる。橋長 150.0m 幅員 20.0m
 吾妻橋は浅草を代表する橋で、屋形船や水上バスの発着所として知られる。かつては「竹町の渡し」があり、安永3年(1774)有料の大川橋が架けられた。明治9年(1876)吾妻橋として木橋が架けられたものの洪水で流失。明治20年(1887)鉄製トラス橋に架けかえられ、現在の橋は昭和6年(1931)に完成した。

15 浅草(左)と吾妻橋(右)を結ぶ赤い吾妻橋

浅草(左)と吾妻橋(右)を結ぶ赤い吾妻橋

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ビールジョッキ型ビルと炎のオブジェ

 東岸のビールジョッキ型アサヒビール本社やフィリップ・スタルク設計の炎のオブジェ(ウン○ではない)などが目に付く(写真上)。本当はこれを立てて炎に見せるつもりが、建築上の制限で横倒しになったという話は有名。

16 花川戸(左)と吾妻橋(右)を結ぶ東武鉄道橋梁(伊勢崎線)をくぐる水上バス「竜馬」

花川戸(左)と吾妻橋(右)を結ぶ東武鉄道橋梁(伊勢崎線)をくぐる水上バス「竜馬」

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言問橋ことといばし

 言問橋(ことといばし)は、言問通り(東京都道319号環状三号線)を通し、西岸は台東区花川戸二丁目と浅草七丁目を分かち、東岸は墨田区向島一丁目と二丁目を分かつ。かつては「竹屋の渡し」という渡船場があった。関東大震災の復興事業として計画され、昭和3年(1928)竣工。両国橋や天満橋と共に三大ゲルバー橋と呼ばれた長大橋である。 橋長 238.7m 幅員 22.0m
 言問という名称は、在原業平の詠んだ「名にしおはば いざこととはん都鳥 わが思う人は ありやなしやと」という歌に因むという説があるが、よく分からない。
 川端康成がその著書の中で、直線的で力強いデザインのこの橋を曲線的で優美な清洲橋と対比させ、「隅田川の新しい六大橋のうちで、清洲橋が曲線の美しさとすれば、言問橋は直線の美しさなのだ。清洲は女だ、言問は男だ」と語っている。
 昭和20年(1945)3月10日の東京大空襲では、浅草方面から火に煽られた人々が一斉に橋の上に逃れたが、この橋の上にも炎が走り、耐えかねた人々は次々と欄干から身を躍らせて隅田川に落ちていった。空襲が終わったあと、隅田川には死体が浮き、言問橋の上や河川敷にも死体の山が築かれていたという。

17 花川戸・浅草(左)と向島(右)とを結ぶ言問橋と隅田公園の千本桜

花川戸・浅草(左)と向島(右)とを結ぶ言問橋と隅田公園の千本桜

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桜橋さくらばし

 桜橋は、X型の歩行者専用橋で、西岸の台東区今戸(いまど)一丁目と東岸の墨田区向島(むこうじま)二丁目とを結ぶ。その名に恥じず、両岸の隅田公園に咲く千本桜を眺めるには最高の橋である。

18 今戸(左)と向島(右)を結ぶ桜橋と両岸の千本桜

今戸(左)と向島(右)を結ぶ桜橋と両岸の千本桜

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お花見クルーズの終点

 水上バス「竜馬」は桜橋近くで反転し、吾妻橋の西岸にある浅草水上バス乗船場に向かった。これまで18本の橋を見てきたが、桜橋上流には明治通りを通す白鬚橋(しらひげばし)を始め、まだまだ沢山の橋が架かっている。
 隅田川岸辺も船も花の宴  北 舟 

桜橋東岸の見事な桜

桜橋東岸の見事な桜

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 夏の隅田川花火大会では、桜橋が第一会場。第二会場の厩橋は正統派の打ち上げ花火があがるのに対し、こちらは花火コンテスト会場として、工夫を凝らした仕掛け花火が夜空を彩ってくれる。

隅田公園の満開の桜

隅田公園の満開の桜

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