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続いて「同期の桜」で有名な東京の護国神社に当たる靖国神社に行った。ここも人で溢れ、駐車場も一杯で、バスの乗り降りは路上というありさまだった。 |
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「同期の桜」を熱唱する人たち |
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小泉総理の参拝問題で知られる靖國神社は、皇居の北西、千鳥ヶ淵のそばにある神社で、近代以降の国内外の事変や戦争で朝廷側か日本政府側で戦没した軍人・軍属などを慰霊・顕彰・崇敬などの目的で祭神として祀る神社である。 |
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軍歌集を手に・・・ |
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戦没者を祀る神社なので、制服を着用した旧軍人の姿が目についた。境内では「同期の桜」など、往時の軍歌を熱唱する人たちが大勢いたため、拝殿に向かう参拝者がなかなか中に進めず、大変な混雑だった。 |
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大きな菊の御紋のある靖國神社 |
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靖國神社拝殿は、明治34年(1901)に建てられたもの。普通の日の拝殿には白色の幕が掛かっているが、団体参拝の時や祭日は紫色の幕となるという。 |
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靖國神社拝殿 |
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靖國神社は単一宗教法人で、神社本庁には加盟していない。東京の九段に鎮座することから、単に九段あるいは九段下などと通称されることも多い。 |
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参拝客で賑わう拝殿 |
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バックに流れる「荒城の月」は、明治34年(1901)懸賞のかかった中学校(旧制)唱歌の応募作品として滝廉太郎が作曲した。原曲は無伴奏の歌曲であったが、大正6年(1917)山田耕筰によりピアノ・パートが補われ、その際、旋律にも修正が加えられた。山田耕筰版では、一番の歌詞でいえば「花の宴」の「え」の音を原曲より半音さげている。 |
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詩は、東京音楽学校が土井晩翠に懸賞応募用テキストとして依頼したもの。原題は「荒城月」。 |
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土井晩翠が詞を構想したとされる宮城県仙台市の青葉城址、同じく福島県会津若松市の鶴ヶ城址、滝廉太郎が曲を構想したとされる大分県竹田市(たけたし)の岡城址にそれぞれ歌碑が設置されている。JR豊後竹田駅では、列車が到着する際に歌付きでこの曲が流れる。 |
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作曲:瀧廉太郎 作詞:土井晩翠 |
1.春高楼の花の宴
めぐる盃影さして
千代の松が枝え
分け出いでし
昔の光
いま何處いづこ |
2.秋陣営の霜の色
鳴きゆく雁かりの数見せて
植うる劔つるぎに
照りそひし
昔の光
いまいづこ |
3.いま荒城の夜半の月
替らぬ光たがためぞ
垣に殘るは
ただ葛かづら
松に歌うとふは
ただ嵐 |
4.天上影は替わらねど
栄枯は移る世の姿
寫うつさんとてか
今もなほ
嗚呼ああ荒城の
夜半の月 |
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歌詞の大意 |
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1.春には、もとここにあった城の中で、にぎやかな花見の宴がはられたにちがいない。酒をくみかわす盃。城壁の大きな松の枝あいからは、月の光がさしこんでいたことだろう。そんな、昔の光はどこへいったのだろうか。
2.秋には、戦いにそなえて、陣営の中は、ぴーんと張りつめた雰囲気があり、空には、鳴きゆく雁の姿も見え、鎧に身をかためた武士たちの、槍や刀を照らしていた、あの昔の光は、どこにいってしまったのだろうか。
3.いま、荒れ果てた城あとに夜半の月がかかっている。昔と変わらぬ光を投げかけているが、誰のためなのだろうか。垣には、ただ葛が生い茂り、松の枝を鳴らしているのは、嵐のようなすさんだ風の音だけだ。
4.大自然の移りゆきは少しも変わらないのに、人の世は栄えたり、亡びたりをくりかえしている。その人間のはかなさを告げようとでもいうのだろうか。荒れ果てた城に、いま、月の光はこうこうと降りそそいでいる。 |
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東京の桜の開花の標準木とされている靖國の桜 |
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靖國神社本殿に祀られている祭神は、日本政府のために命を捧げた戦没者である英霊で、246万6532柱(2004年10月17日現在)が祀られているという。国籍は日本国民と死亡時に日本国民であった人(戦前の台湾・朝鮮半島などの出身者)に限られる。 |
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神楽殿の桜 |
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戊辰戦争の官軍側戦没者を祀ったことが靖國神社の起源。幕末の吉田松陰、坂本龍馬、高杉晋作なども合祀されている。戊辰戦争で官軍に反抗した幕府軍、幕府側に立って戦った新選組や彰義隊、明治維新の立役者でありながら西南戦争を起こした西郷隆盛は、賊軍であるため祀られていない。また、明治期の軍人、乃木希典や東郷平八郎も戦死ではないため、祀られていない。 |
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外人の質問に答える旧日本軍の軍服を着た男たち |
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母の像 |
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境内には、銃後を守った母の像がある。戦争で夫を亡くした母が子供を育ててくれたことに感謝し、昭和49年(1974)に建てられた。 また、軍用馬や軍用犬、伝書鳩の像もあり、英霊ばかりでなく、それを支えたものの慰霊もされている。この母の像を見ると、「母よ貴方は強かった」と思わずにはいられない。 |
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戦没馬の慰霊碑 |
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境内の一角に、昭和21年(1946)から昭和23年(1948)にかけて東京・市ヶ谷で開廷された極東国際軍事裁判において、連合国側の判事でありながら、ただ一人、被告全員の無罪を唱えたインド代表判事・パール博士の顕彰碑が建立されていた。 |
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ラダ・ビノード・パール博士の顕彰碑 |
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桜と菊の御紋 |
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靖国神社付属の遊就館には、零戦や人間魚雷・回天、大砲や戦車など、主に第二次世界大戦で使われた兵器類のほか、新館にはC56蒸気機関車などが展示されている。また、戦艦「武蔵」のブロンズ像や、海底や沈没艦艇から回収された遺留品なども見られる。 |
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遊就館本館(左)と新館(右) |
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靖國神社の入口に大村益次郎の大きな像がある。彼は東京招魂社(現・靖國神社)の建立に奔走し、場所決定後に暗殺された。明治26年(1893)に造られた日本初の西洋式銅像で、戊辰戦争の際、司令官として彰義隊が立て籠る上野寛永寺を見つめていた姿を模したものという。 |
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大村益次郎の銅像をバックに記念撮影 |
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撮影 2006年4月1日
OLYMPUS E-330 E-500
11-22mm 18-180mm 50mmMacro
800万画素
1,130枚 1,880MB
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今年の東京の桜は、長い冬にもかかわらず予想よりも早く開花し、4月1日というきりの良い日に満開となった。 |
隅田川の水上バスによる花見は、意外に楽しく、次々に現れる橋を撮影しているうちに、全部の橋を記録し、発表することにした。 |
画像と解説を完璧にそろえているサイトが見あたらず、私がやるしかないと思ったからである。手間暇かかったが、実地検証による正確な記録が生まれたものと自負している。 |
桜を愛でる旅は楽しい。これからも日本の国花である「桜」をテーマに全国を旅して感動を切り取ってゆきたい。 2006.4.23 〈 完 〉 |
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△▲△ 読者からのお便り △▲△ |
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2006年4月23日(日)曇 丹下誠司 様より インド通信
Re: 「東京桜めぐり」完成! 配信、ありがとうございます。日本の桜もあっという間でしたね。パル判事の画像の掲載も、ありがとうございます。ベンガル読みすると(パル判事も、カルカッタ最高裁から来られたはずです)、うちの事務所でも一人居ましたが、パールより、短く、パルが、音としては、より正確かもしれません。しかし、これは、和田さんの記述優先で! |
週末は風邪気味で、鼻がつまり、金曜日の夜から12時間寝て、翌朝直りました。遅れを取り戻し、今日やっと完成し、苦労して探し当てた荒城の月を聴きながら、祝杯にグレンフィディックのオンザロックを傾けているところです。
パール判事のエピソードは、忘れていましたが、記憶の奥にあり、感動しました。拡大画像で、南部宮司の説明が読み取れるようにしています。説明文を掲載しようかと迷いましたが、サラリとさせておきました。人それぞれの思いがあると思いますので・・・。
でも、インドのパール判事は、大した人物ですね。彼の難しいコメントは、何度か読んでやっと真意が分かりましたが、けだし名言です。連合軍側の感情を斟酌しながら、「・・・その時こそ正義の女神はその秤を平衡に保ちながら(勝者も敗者も過ちは五分五分で)、過去の賞罰の多くにそのところを変える(判決を逆転する)ことを要求するであろう」と、見事にその誤りを指摘していますね。この含蓄ある言葉に感動しました。
仏教を発明したインド哲学の国です、インド人をまた見直しました。(^^; パル判事でも良いと思いますが、南部宮司の書かれた通りの表現にしています。 |
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