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隅田公園近くの道路で待機していたツアーバスに乗り、昼食の弁当を食べているうちに、西郷隆盛の銅像で有名な上野公園に着いた。東京都が管理するこの公園は台東区にあり、正式には「上野恩賜公園」という。武蔵野台地末端の舌状台地「上野台」に位置することから「上野の山」とも呼ばれる。総面積約53万m²。 |
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上野公園は東京最古の公園で、現在も年間約1千万人が訪れるポピュラースポット。江戸時代から花見の名所として親しまれ、昼は陽光の下の桜を愛で、夜は雪洞(ぼんぼり)の明かりの下で夜桜の宴を楽しむ光景が東京の春の風物詩となっている。 |
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西郷どんの銅像 |
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この像は、明治31年(1898)に建立されたが、そのときの除幕式で初めて「除幕式」という言葉が使われたという。隆盛像は詩人・高村光太郎の父・高村光雲(たかむらこううん)(1852〜1934)の作。愛犬ツンは後藤貞行の作。 |
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慶応4年(1868)江戸城を無血開城させ、江戸を戦火から救った功績によって造られた。草履を履き、筒袖に兵児帯をしめた着流し姿で愛犬とともに立つ姿は、上野のシンボル的存在。 |
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しかし、西郷は写真が大嫌いで1枚も残っておらず、高村光雲は、西郷の知人から西郷が兎狩りを好み、飄然として桜島産の犬を連れ、自ら兎の罠を腰にして山登りするという話を聞いて制作。除幕式に参列したイト夫人は「うちの人はこんな顔ではないし、こんなみすぼらしい格好をしていなかった」と嘆き、2度と上京しなかったという。 |
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桜のトンネル |
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寛永寺を創建した天海僧正は、不忍池を琵琶湖に見立て、竹生島(ちくぶじま)に相当するものとして中之島(弁天島)を造成し、弁天堂が建てられた。昭和20年(1945)の空襲で焼失したため、昭和33年(1958)に再建された。 |
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竹生島の宝厳寺弁天堂と同じように、辨才天(弁才天 / 弁財天)が祀られている。 琵琶湖竹生島(辨才天) |
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人々々の不忍弁天堂 |
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♪ さくらさくら |
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バックに流れる曲は、日本古謡として歌われている「さくらさくら」。日本を象徴する歌として使われる。 |
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さくらさくら やよいの空は 見わたすかぎり
かすみか くもか にほひぞいづる
いざやいざや 見に行かん |
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もう一つのバージョンは、1888(明治21)年に発行された東京音楽学校の「筝曲集」(そうきょくしゅう)に収録された「さくらさくら」。古くからある琴の歌を「筝曲集」のために書き換えたもの。 |
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さくら さくら 野山も 里も 見わたす かぎり
かすみか 雲か 朝日に にほふ
さくら さくら 花ざかり |
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「朝日に匂う」は、本居宣長の「敷島の大和心を人とはば朝日ににほふ山桜花」からとられたもの。この歌はプッチーニの「蝶々夫人」にも登場する。 |
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左側通行の桜の並木道 |
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上野の桜は満開で、とても素晴らしかったが、大勢の花見客が押し寄せ、スムーズに前に進めない状態。1時間のフリータイムでは、旧寛永寺五重塔や上野東照宮までたどり着くことができなかった。 |
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雑踏警戒中の警視庁は、混雑を緩和するため、花見の宴のために陣取った場所を縮小する指導をしていたが、焼け石に水の状態。花見でこれほど混雑したところは初めてで、土日に上野で花見をしようなどということは、無謀に近いことだと知った。(^^; |
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花見客で満杯の上野公園 |
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上野を後にして、次は皇居北の丸公園に到着。昨年、千鳥ヶ淵の桜 として発表した千鳥ヶ淵は、長蛇の列が出来て1時間待ちという状態のため断念し、田安門に行った。 |
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田安門の桜のトンネル |
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田安門は江戸城の北部に位置し、建立以前のこの付近は田安台といわれた田園地帯だった。慶長12年(1607)には既に存在しており、現在の門は寛永13年(1636)に再建され、現存する門の中では最も古いものという。 |
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田安門の石垣と水墨画を思わせる桜 |
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皇居周辺案内図 |
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皇居は、徳川幕府の居城・江戸城であったものが、明治元年(1868)に皇居となり、明治21年(1888)以来、宮城と称されていたが、昭和23年(1948)、宮城の名称が廃止されて、皇居と呼ばれるようになった。 |
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皇居内には、天皇皇后両陛下が住まわれている御所(ごしょ)を始め、諸行事を行う宮殿、宮内庁庁舎などの建物がある。 |
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江戸城の北の丸があった場所に設けられた北の丸公園は、多くの文化施設を持ち、重要文化財の田安門や清水門などの旧江戸城の遺構も多く、皇居外苑や日比谷公園などと並んで都民のオアシスとなっている。 |
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牛ケ淵の桜 |
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元々太田道灌が江戸城を築城した際に、関東の守護神であった築土神社(旧田安明神)の旧地であり、後に徳川家康が入府した際、関東代官の内藤清成らの屋敷となったため、代官町と呼ばれた場所である。現在は環境省が管理する国民公園となっている。 |
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田安門西の千鳥ヶ淵の桜 |
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手漕ぎボートによる花見 |
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千鳥ヶ淵の南部に千代田区が運営する千鳥ヶ淵ボート場がある。手漕ぎボートに乗ってでゆっくりと桜見物が楽しめるとあって人気が高く、この日も大勢の花見客が手漕ぎボートに乗り、北限の田安門付近まで漕いできて、花見を楽しんでいた。 |
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千鳥ヶ淵の桜とボート |
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田安門の前の桜は今年も見事な花を咲かせており、東京で私が一番気に入っている桜である。お濠(ほり)の土手を這うように伸びた枝が水墨画のように立派で、石垣やお濠の水に映えてとても見事だった。 |
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田安門西の牛ケ淵の桜 |
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