ホームページお知らせお便りコーナー徒然日記俳句・海の風景ホームページ奮闘記作者のプロフィールリンク
 

Wa☆Daフォトギャラリー

 旅紀行日本の裸祭り

2012年10月28日改訂

今 日

昨 日

♪和楽器「越天楽」

爽けしや神に捧ぐる浦安の舞  北舟

 

Refreshing air of autumn, offering a dance of peaceful seashore to gods.

2009年10月11日制作

「浦安の舞」奉納/見付天神拝殿

拡大写真(2000X1500)409KB

「浦安の舞」奉納/見付天神拝殿(静岡県磐田市)

国指定重要無形民俗文化財

神紋:八弁菊   矢奈比賣天神社   神紋:剣梅鉢

見付天神裸祭

浦安舞

 平成21年(2009)9月26日(土)27日(日)、一泊二日の日程で静岡県磐田市(いわたし)で行われた見付天神裸祭(みつけてんじん・はだかまつり)の御大祭(ごたいさい)を密着取材した。
 9月26日(土)東京駅新幹線ホームで群馬の新尺俊勝さんと合流し午後1時ころ磐田市に到着。旧東海道見付宿(みつけじゅく)の見付天神入口にある江戸時代の寛政12年(1800)創業の老舗割烹旅館「大孫(だいまご)」にチェックインしたあと、二人で御大祭の主要ポイントを下見して最終チェックした。
見付天神裸祭日程表
見付天神裸祭日程表

拡大写真(2000X1400)634KB

資料:見付天神裸祭保存会

▲ 見付天神裸祭は、8日間にわたって執り行われるが、浜垢離(はまごり)と御大祭(ごたいさい)以外は、神事が中心で、ひたすら清め祓うことに主眼が置かれており、汚れや穢れを嫌う日本の神道の特徴が良く現れている。
見付天神裸祭の開催場所(静岡県磐田市)
見付天神裸祭の開催場所(静岡県磐田市)

拡大写真(1800X1270)416KB

資料:見付天神裸祭保存会

▼ 裸祭りのガイドブックには、裸祭の「こころえ」が解説されているが、その中で、裸祭の参加条件が5つ挙げられている。その中の5項目目には、「身なりの正しい者」と規定されており、具体的には、@ 町印の手拭いの鉢巻
A 晒布の腹巻・褌 B 腰蓑 C 黒足袋 D 草鞋 が参加条件となっている。
 福代事務局長によると、保存会が最も力を入れているのが祭り衣装の統一で私が指摘するまでもなく国の重要無形民俗文化財に相応(ふさわ)しい、美しく格調高い伝統文化の保持を目指していた。
見付天神裸祭の心得
見付天神裸祭の心得

拡大写真(2000X1400)664KB

資料:見付天神裸祭保存会

▲ 西区の水陣のように比較的新しい祭組は、衣装統一がスムーズに行われているが、古くからある祭組は、以前かなり乱れた時機があり、それが尾を引いていて、衣装統一が進まないという。未だに衣装違反を続けている人は、Wa☆Daフォトギャラリーに公開された写真を見てそのかっこ悪さを自覚し、国の重要文化財に指定された重みをもう一度噛みしめて頂きたいと思う。
はだか祭に於ける青年會員の正装(大正中期)
はだか祭に於ける青年會員の正装(大正中期)

拡大写真(1800X1150)561KB

資料:見付天神裸祭保存会

▲ 写真上は今から90年ほど前の大正(1912〜1926)中期に見付町青年會が発行した「はだか祭に於ける青年會員の正装」と題する記念写真。この頃から既に衣装違反が見られたのか、正装をアピールする写真が作られている。現在の正装も90年前と全く変わるところがない。
見付天神裸祭の歴史
見付天神裸祭の歴史

拡大写真(2000X1400)661KB

資料:見付天神裸祭保存会

▼ 写真下は、今から100年ほど前の大正元年(1912)に発行された「静岡懸見付天神社大祭之圖」で、御大祭の様子が描かれ、一枚3銭で売り出された。「矢奈比賣神(やなひめのかみ)」の大きな幟(のぼり)が立ち裸っぽたちによる道中練りの様子が描かれている。右上には、「真夜中丑刻(うしのこく)(午前1時〜3時頃)ニ御輿シ渡り之圖」として、暗闇の「おわたり」も描かれている。
大正元年発行の「静岡懸見付天神社大祭之圖」
大正元年発行の「静岡懸見付天神社大祭之圖」

拡大写真(1800X1350)726KB

資料:見付天神裸祭保存会

▲ 昭和34年(1959)までは御大祭は宵の祭と夜中の祭の二部に分かれて翌朝まで催行されていたため御輿渡御(おわたり)が丑刻となっているが、その後、夜中の1時過ぎには終了するように改められて今日に至っている。
見付天神裸祭「御大祭」の主な会場
見付天神裸祭「御大祭」の主な会場

拡大写真(1210X720)203KB

見付宿場通りみつけしゅくばどおり

(旧東海道)と見付天神入口/静岡県磐田市) 2009.9.26 13:27

マウスカーソルで画面のどこかをポイントすると説明が現れます。

見付宿場通り(旧東海道)と見付天神入口/静岡県磐田市) 2009.9.26 13:27

拡大写真(1600X950)317KB

▼ 見付天神入口の近くに褌・腰蓑・足袋・草鞋など祭用品を販売する店があったので、新尺さんはこの店で必要品を調達した。主要ポイントの下見の後、見付天神裸祭保存会事務局長の福代陽一(ふくよ・よういち)さん宅に行き、新尺さんを紹介し、打ち合わせを行った。
褌・腰蓑・足袋・草鞋など全てが揃う祭用品店
褌・腰蓑・足袋・草鞋など全てが揃う祭用品店

拡大写真(1800X1450)472KB

 新尺さんは、保存会副事務局長の松本直希(まつもと・なおき)さんが所属する西中区の二番觸(にばんぶれ)(二番町)に参加することになった。また、3日前の浜垢離(はまごり)に参加した3名のうち、相模原市の庄俊之(しょうとしゆき)さんが引き続き福代さんが所属する東中区の御瀧車(おんたきぐるま)(宿町しゅくまち)にお世話になった。
見付天神社(

矢奈比賣やなひめ

天神社)表参道入口
見付天神社(矢奈比賣天神社)表参道入口

拡大写真(2000X1550)583KB

▲ 矢奈比賣(やなひめ)神社(見付天神)の表参道入口には、保存会の看板が置かれており、「裸祭りの練りに参加するときは腰みのを必ず着用して下さい そのほか 白さらし・白ふんどし・黒足袋(たび)・草鞋(わらじ)・鉢巻き これが正調の姿です 誰でも参加できる裸祭りですが、正しい形、正しい行動で楽しく格調の高いお祭りにしましょう」と表示されており、衣装統一に力を入れている様子が窺われた。
 神社まで約300mある参道を進むと間もなく右手に東区梯団の宮本(みやもと)(住吉町すみよしちょう)会所(旧住吉町公会堂)がありその奥に比佐麻里(ひさまり)祭と書かれた一対の巨大な幟(のぼり)が立てられていた。総社の古い記録に飛蘇鞠(ひそまり)祭とあり、祭事始めの無言の参列や神輿渡御の際に灯火を消したり人声を禁じるなど、厳粛な祭事に徹する祭りを表すものというが、その文字の詳しい意味は宮司にも分からないという。
巨大な

くす

の御神木のある大鳥居
巨大な楠の御神木のある大鳥居
a
 

悉平太郎しっぺいたろう

伝説
 
▼ その昔、見付宿には人身御供(ひとみごくう)の悲しい習わしがあり、それを救った霊犬・悉平太郎(しっぺいたろう)の伝説は今に語りつがれており、これが裸祭りの起源ともいわれている。
 旧暦8月10日近くになると、府中と呼ばれていた見付の里の娘のある家の棟に白羽の矢が立ち、8月10日の真夜中に見付天神へ人身御供として娘を差し出すしきたりになっていた。もしこれを拒めば、里中に大きな災いがかかるといわれていたので、家族の者は泣く泣くこれに従う泣き祭りを続けていた。
 14世紀・延慶(えんぎょう)のある年、たまたまこの里へ立ち寄った旅の六部(ろくぶ)(巡礼僧)がこの話を聞いて、「神が人身御供を出せていうのはおかしい」と思いその日に山に上がり、密かに窺っていると、丑三つ時(うしみつどき)(午前2時ころ)に怪物が現れ、生娘(きむすめ)を入れた長持ちの周りを小躍りしながら「信州信濃の悉平太郎(しっぺいたろう)に知られるな」とつぶやいたのを耳にした。
赤鳥居と

悉平太郎しっぺいたろう

の銅像

赤鳥居↓

悉平太郎の像↓

見付天神裸祭の碑↓

 
赤鳥居と悉平太郎の銅像

拡大写真(1600X1150)547KB

  ▲▼ 六部は、信州に行き、苦労の末、悉平太郎は長野県赤穂村(現・駒ヶ根市)にある光前寺(こうぜんじ)の飼い犬であることを突き止め、住職にお願いして、翌年、身代わりとなった悉平太郎は、怪物と悪戦苦闘の末、遂にこれを斃(たお)し、その正体は年老いた狒々(ひひ)であったことが分かった。しかし、悉平太郎も気息奄々(きそくえんえん)で、見付で息を引き取ったといわれている。  

霊犬悉平太郎れいけんしっぺいたろう

700年祭」を予告する垂れ幕
「霊犬悉平太郎700年祭」を予告する垂れ幕
  ▼ 光前寺の伝承では、この犬は早太郎(疾風太郎)と呼ばれ寺へたどり着いてから死んだという。当時の見付天神社僧・一実坊弁存は、謝恩のため、6年かけて「大般若経」600巻を写経して光前寺に納め、その写経は、今も光前寺に現存している。  

悉平太郎しっぺいたろう

の銅像

悉平太郎の銅像

▲ 「光前寺縁起」によれば怪物を退治したのは延享(えんきょう)元年(1308)であり、「大般若経」の施入(せにゅう)は正和(しょうわ)5年(1316)とある。この伝説により見付天神の赤鳥居のそばに悉平太郎の銅像が建ち、磐田市と駒ヶ根市は、友好都市の協約を結んでいる。見付天神では、来年の2010年9月11日の裸祭りにあわせて「霊犬悉平太郎700年祭」を実施する。

粟餅あわもち

の製造直売所/見付宿場通り(旧東海道)
粟餅の製造直売所/見付宿場通り(旧東海道)

拡大写真(1400X1050)270KB

▲ ちなみに、人身御供の長持ちには、必ず粟餅(あわもち)を入れたといわれ、氏子たちは、御大祭(ごたいさい)には五穀豊穣を祈念して神前に粟餅を献上してきたという。現在では、磐田菓子粟餅組合が組織され、大祭当日はもとより、年間を通して磐田の名物となっている。柔らかくてとても美味い牡丹餅(ぼたもち)なので、お土産にお勧めする。1個100円で売られている。
磐田市教育委員会による見付天神裸祭の説明
磐田市教育委員会による見付天神裸祭の説明

拡大写真(1600X1200)276KB

▲ 悉平太郎の銅像のそばに「国指定重要無形民俗文化財 見付天神裸祭」と書かれた石碑があり、その近くに磐田市教育委員会の説明板がある。これらは、平成12年(2000)に裸祭りが静岡県指定から国指定の重要文化財に昇格したことを記念して設置されたもの。これを機に、平成14年(2002)には、従来の実行委員会を改編して見付天神裸祭保存会が発足し、裸祭りは保存会が主催する祭礼となった。

六ッ石と山神社

六ッ石と山神社

拡大写真(1600x1400)757KB

▲ 赤鳥居をくぐり、更に奥に進むと、「六ッ石」と呼ばれる楼門の礎石があり、その右手に大山祇大神(おおやまずみのおおかみ)を祀る山神社(やまじんじゃ)がある。知らないと見過ごしてしまいそうな小さな祠の神社である。
小さな

ほこら

山神社やまじんじゃ

小さな祠の山神社

▼ その奥の石段を上ると見付天神の拝殿に至る。広大な鎮守の森に鎮座する寄せ棟造の立派な神殿である。

鎮守の森に鎮座する見付天神の拝殿 13:40

鎮守の森に鎮座する見付天神の拝殿 13:40

拡大写真(2000x1100)567KB

▲▼ 見付天神の正式名称は矢奈比賣(やなひめ)神社であるが、矢奈比賣という女神がどのような神様なのか宮司にも分からないという不思議な神社である。学問の神様として知られる菅原道真を合祀しているため、見付天神と呼ばれている。

鬼踊りが行われる拝殿の内部

鬼踊りが行われる拝殿の内部

拡大写真(2000x1300)533KB

▲▼ 鈴木宮司が3日前の浜垢離で使用した鉢巻には「矢奈比賣天神社(やなひめてんじんしゃ)」と表示されており、写真下の幣殿に安置された神社の旗印にも同様の表示があり妙案であると思った。そこで、この作品のタイトルも「矢奈比賣天神社」と表記し、矢奈比賣の神紋・八弁菊と菅原道真の神紋・剣梅鉢をあしらった。
神輿が安置される

幣殿へいでん

内部
神輿が安置される幣殿内部

拡大写真(2000X1470)487KB

▼ 拝殿の西(左)側に小さな御池(みいけ)があり神々が降臨する神籬(ひもろぎ)が立てられていた。御大祭の前日に当たる9月5日(金)午後8時から行われた「御池(みいけ)の清祓(きよはらい)」のために立てられたものである。

神籬ひもろぎ

が立てられた

御池みいけ

神籬が立てられた御池
▼ 御大祭の前日御池の中央に神籬(ひもろぎ)を立て天神地祇(てんじん・ちぎ)(よろずの神々)を招き奉(たてまつ)御大祭の無事執行と氏子崇敬者の安泰を祈願する「御池の清祓」は伊勢神宮と見付天神社でのみ行われる神事であるという。

女竹めたけ

8本が立てられた祭壇と

御池みいけ

女竹8本が立てられた祭壇と御池

拡大写真(1600x1100)464KB 2008年の写真:見付天神裸祭保存会
▼ 関係者が茣蓙(ござ)に着座すると、鈴木宮司は伊勢神宮遙拝所(ようはいしょ)の扉を開ける。祭式は屋外だが、座礼で行われる。参列者は、宮司以下神職、先供、舞姫総代一般参列者。献饌(けんせん)宮司が祝詞(清祓詞)を奏上する。
 その後、浜垢離で採取した海水(塩湯しおゆ)と砂桶、大麻(おおぬさ)を持った神職たちが拝殿内や境内を清めたのち、先供が先導して、歩きながら参道、赤鳥居、大鳥居、宿場通りまで清め、祓い終わった大麻は先供が受けて中川に流す。祭場にもどると、関係者全員に小祓いが配られ、浜垢離と同様に身体を祓った後、庭燎(にわび)と呼ばれる篝火(かがりび)に投じる。
篝火のそばで行われる

御池みいけ

清祓きよはらい

篝火のそばで行われる御池の清祓

拡大写真(1600x1000)320KB 2008年の写真:見付天神裸祭保存会
 見付天神の下見を終え、旧東海道に引き返し、御旅所の総社(そうしゃ)を目指して西に歩いていくと、「東海道五十三次之内 遠州見付宿 本陣跡」があった。道路の拡幅工事が行われたせいか中山道の馬篭宿などのような一見に値する古い家屋は残っておらず、一抹の寂しさを感じた。
遠州見付宿の本陣があった場所/見付宿場通り(旧東海道)
遠州見付宿の本陣があった場所/見付宿場通り(旧東海道)
▼ 見付天神から御旅所の総社まで、片道約900mの道のりである。内訳は、天神〜天神入口:300m 天神入口〜総社入口(旧東海道):500m 総社入口〜総社:100m。総社の入口には「御祭禮」と書かれた巨大な住吉提灯(長提灯)が掲げられていた。
 また、見付の旧東海道に面して小路がいくつもあり、その小路に通ずる祭組は、11〜12ヶ町あり、祭礼が始まると、それぞれ「角の提灯」と称して、これと同じ形の小振りの提灯を立てている。

総社そうしゃ

淡海国玉おうみくにたま

神社)入口/見付宿場通り(旧東海道)
総社入口/見付宿場通り(旧東海道)

拡大写真(1600X1100)355KB

▼ 総社参道の西(左)隣りに白壁が美しい日本最古の木造洋風建築の小学校校舎「旧見付学校」が保存されており、無料で一般公開されていた。時間があれば、是非、見学したいスポットである。
日本最古の木造洋風建築の小学校校舎[「旧見付学校」
日本最古の木造洋風建築の小学校校舎[「旧見付学校」

拡大写真(2200X1700)576KB

▲▼ 参道の石鳥居の奥に楼門があり、高さが低いため、神輿の通過には注意を要する。地脇の輿番は、神輿の鳳凰を取り外してくぐり抜けるという。その奥の広い境内の中央に総社が鎮座しており入口に御廣前(おひろまえ)の提灯が掲げられていた。「御廣前(廣前)」は、神前の敬語で、神の御前又は神社の前庭のこと。

総社そうしゃ

淡海國玉おうみくにたま

神社)
総社(淡海國玉神社)

拡大写真(1400X820)268KB

▼ 大国主命(おおくにぬしのみこと)を祀る総社の正式名は、総社淡海國玉神社(そうしゃ・おうみくにたまじんじゃ)といい、かつては遠江の国(とおとおみのくに)(現在の静岡県の大井川以西の領域)を統括する総社であり、見付天神よりも格式の高い神社だったが、現在は、見付天神の管理下に置かれている。
 畳敷きの拝殿は、三分の二ほど畳が片付けられて板間になっており、神輿を安置する準備がなされていた。

総社拝殿内部

総社拝殿内部

拡大写真(1600X950)293KB

▼ 午後4時から見付天神幣殿で5人の女子による「浦安の舞」が奉納された。毎年、4梯団から2人ずつ小学6年生の女子が舞姫に選ばれ、8人が練習を重ねてこの日に備えてきた。本職の巫女のように、素晴らしい舞を見せてくれた。

舞姫の登場/見付天神幣殿 16:15

舞姫の登場/見付天神幣殿  16:15

拡大写真(1600X2000)359KB
▲▼ 浦安の舞は近代に作られた神楽(かぐら)(巫女神楽みこかぐら)の1つで舞姫(巫女)が舞う。昭和8年(1933)の昭和天皇御製「天地(あめつち)の神にぞ祈る朝なぎの海のごとくに波たたぬ世を」が歌詞となっている。一人舞二人舞、四人舞などがあるが、正式は四人舞で、前半の扇舞と後半の鈴舞とがある。
 「うら」は心を指す古語であり、「うらやす」で心中の平穏を表す語であるとされる。また、日本書紀に「昔伊弉諾尊目此国曰 日本者浦安国」とあり、他の文献にも日本国の異号として「浦安国」とあることから、神祇*(じんぎ)の安寧慰撫(あんねいいぶ)と国の平穏無事が題名の「浦安」の語に込められている。
*神祇(じんぎ):天神と地祇(ちぎ)(地の神、国土の神)。天つ神と国つ神。かみがみ。

「浦安の舞」奉納/見付天神拝殿  16:15

「浦安の舞」奉納/見付天神拝殿  16:15

拡大写真(2000X1500)450KB
  爽けしや神に捧ぐる浦安の舞 北舟 

さやけしや かみにささぐる うらやすのまい

Refreshing air of autumn, offering a dance of peaceful seashore to gods.

小学6年生の舞姫たち

小学6年生の舞姫たち

拡大写真(2000X1500)409KB
Wa☆Daフォトギャラリー

今 日

 和田フォトギャラリー

昨 日

 Copyright (C) 2000-2018 Yoshio Wada. All Rights Reserved. 

ホームページお知らせお便りコーナー徒然日記俳句・海の風景ホームページ奮闘記作者のプロフィールリンク