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 感動写真集

2013年1月23日改訂

今 日

昨 日

♪納曽利 高麗小乱声〜当曲急

旅と写真は元気の泉

感動の裸祭CD完成!

町渡る狩衣褌秋の夕   北舟

 

Autumn evening,
going through the town wearing kariginu coat and fundoshi loincloth.

2013年1月19日制作

夕暮れの町内を渡御する 17:13

拡大写真(2000X1330)404KB

夕暮れの町内を渡御する/若宮八幡裸祭(大分県豊後高田市)
若宮八幡神社の神紋   豊後高田市無形民俗文化財   若宮八幡神社の神紋

若宮八幡裸祭'12

松 明

撮影原作・清原浩

  松 明 渡 御 濡 褌 入 水 還 御 '16 '13 '12 '11 '10 '09 '08 '07 '06 清原 浩
はじめに
 平成24年(2012)11月23日(金)と25日(日)の両日大分県豊後高田市(ぶんごたかだし)に鎮座する若宮八幡神社(吉成保雄宮司)で秋季大祭の川渡し神事(かわわたししんじ)が行われた。
   この作品は平成23年(2011)の若宮八幡裸祭'11に続くもので、今回で7作目となる。この裸祭の説明は平成18年(2006)の「若宮八幡裸祭り」に詳しい。  

【凡例】  ▲:上の画像の説明文  ▼:下の画像の説明文  〈画像の左クリック〉:別窓に拡大写真を表示

大分県

豊後高田市ぶんごたかだ の位置

大分県豊後高田市の位置

Google Earth
 
豊後高田ぶんごたかだ
 豊後高田市は、大分県北部の国東半島(くにさきはんとう)北西部に位置し、周防灘(すおうなだ)に面する。平成17年(2005)3月31日に西国東郡(にしくにさきぐん)真玉町(またままち)、香々地町(かかぢちょう)と合併して、人口2万6千余の新たな豊後高田市が誕生した。
若宮八幡神社わかみやはちまんじんじゃ と祭会場

若宮八幡神社と祭会場

Google Earth
 
若宮八幡神社わかみやはちまんじんじゃ
▼ 仁寿(にんじゅ)2年(852)12月の創建と伝えられ来縄郷(くなわごう)(六郷満山*の一つの郷)における宇佐神宮の別宮で産土神(うぶすながみ)とされている。毎年旧暦10月14、15、16日に神幸祭である川渡し神事が行われる。
*六郷満山(ろくごうまんざん):国東半島は「仏の里」と呼ばれ、古代、宇佐で生まれた八幡信仰は、やがて古代仏教と融合して「神仏習合」が生まれ、全国に広まっていった。六郷満山と呼ばれる国東半島の六つの郷では天台宗と結びつき、山間に多くの寺院を擁立して、独特の仏教文化が花ひらいた。
若宮八幡神社(

本宮もとみや

)拝殿

若宮八幡神社(本宮)拝殿

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撮影:和田義男

 
若宮八幡神社裸祭
 豊後高田市裸祭り保存会が主催する若宮八幡神社裸祭は、正式には、「若宮八幡神社秋季大祭/裸祭り」といい「御神幸の川渡し」とも呼ばれる。永保4年(1084)に荒行のひとつとして始められたといわれ今年で929回目となる。
若宮八幡神社/

下宮しもみや

若宮八幡神社「下宮」

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撮影:和田義男

   この神幸祭は狩衣(かりぎぬ)に褌(ふんどし)をキリリと締め込んだ輿丁(よちょう)と呼ばれる担ぎ手たちが宮神輿を担いで桂川を渡り、本宮(もとみや)から下宮(しもみや)へ渡御(お下り)して二泊した後、下宮から本宮へ還御(お上り)する夜の川渡し神事である。毎年旧歴10月14、15、16日の最も近い金・土・日に行われる。

日頃の感謝を込めて三本締め 2012.11.23 14:58

日頃の感謝を込めて三本締め 2012.11.23 14:58

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撮影:清原 浩

 

渡御(お下り)

 
   11月23日(金)は周防灘に注ぐ桂川の右(東)岸に鎮座する若宮八幡神社・本宮(もとみや)から左(西)岸下宮(しもみや)への神輿渡御(みこしとぎょ)が行われた。地元ではお下り(おくだり)と呼ぶ神事である。  

本宮もとみや

で出番を待つ宮神輿
本殿 玄関 拝殿  

本宮で出番を待つ宮神輿

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撮影:和田義男

  ▲▼ 若宮八幡神社本宮(もとみや)では陸組(おかぐみ)により神輿庫から宮神輿が引き出され御霊入れの儀が行われたのち、夕刻、豊後高田市役所そばで川組に引き継がれた。

御魂入れの儀/若宮八幡宮(本宮)

御魂入れの儀/若宮八幡宮(本宮)

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撮影:和田義男

 

▼ 祭の主役を務める川組は、赤線三本の襷を掛ける光田憲太郎新会長(38歳)以下赤組白組に分かれた約70人の若者たち。全員純白の狩衣(かりぎぬ)上衣に白晒しの腹巻・褌(若宮褌)を締め込み、豊後高田市役所玄関前で記念写真を撮った。

 

2012年川組オールキャスト / 豊後高田市役所玄関 16:00

2012年川組オールキャスト / 豊後高田市役所玄関 16:00

後藤 陽一郎副会長-岡部嘉洋副会長-光田憲太郎会長-近藤教夫副会長-河野太副会長

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撮影:渡邊 淳

若宮神輿を

陸組おかぐみ から引き継いだ川組

輿丁よちょう

たち / 豊後高田市役所前 16:33

若宮神輿を陸組から引き継いだ川組輿丁たち / 豊後高田市役所前 16:33

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撮影:清原 浩

手締めの出陣式 16:33

手締めの出陣式 16:33

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撮影:清原 浩

豊後高田市役所前を出発する川組神輿 16:34

豊後高田市役所前を出発する川組神輿 16:34

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撮影:清原 浩

 

▲▼ 初日の渡御(お上り)では赤組が先棒(さきぼう)につき、白組が後棒(あとぼう)につく。三日目の還御(お上り)では、白組が先棒につき、赤組が後棒につく。それに伴って、光田会長は、お先棒の色に合わせた鉢巻をしめるので、初日は赤鉢巻、三日目は白鉢巻となる。

 

桂川かつらがわ

右岸を南下する神輿 16:36

桂川右岸を南下する神輿 16:36

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撮影:渡邊 淳

町内を練り歩く川組神輿 16:42

町内を練り歩く川組神輿 16:42

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撮影:清原 浩

神酒所で手締め 16:48

神酒所で手締め 16:48

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撮影:清原 浩

 
大松明と祭太鼓
▼ 御玉橋(おだまばし)の南、桂川右(東)岸の河川敷が主会場となり、長さ16m、重さ5tonもの巨大松明(たいまつ)と特設ステージが設置され、「国東みさき太鼓」の豪快なリズム音がこれから始まる裸祭の雰囲気を盛り立てていた。 地元では世界一の松明だと鼻高々である。
大松明のそばで演奏する豊後みさき太鼓/本会場 16:42

大松明のそばで演奏する豊後みさき太鼓/本会場 16:42

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撮影:渡邊 淳

 
豊後みさき太鼓
▼ 裸祭の初日を担当する豊後みさき太鼓は、平成元年(1989)豊後高田市香々地(かかぢ)地区の活性化を目指して結成されたもので国の「ふるさと創生事業」の一つであるかつて岬村と呼ばれていたころ 龍神祭の安全祈願に太鼓と笛を鳴らしていたものを復活したという。
 発足以来活動を中断することなく自主運営を続け、香々地地区に留まらず、県内外で年間30〜40回の演奏に出掛け、海外公演も経験しているという。

光円寺こうえんじ

前を渡る神輿 16:54

光円寺前を渡る神輿 16:54

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撮影:清原 浩

先棒さきぼう

を受け持つ赤組 輿丁よちょう

たち 17:02

先棒を受け持つ赤組輿丁たち 17:02

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撮影:清原 浩

後棒あとぼう

を受け持つ白組 輿丁よちょう

たち 17:09

後棒を受け持つ白組輿丁たち 17:09

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撮影:清原 浩

町内を練り歩く

狩衣褌かりぎぬふんどし

姿の 輿丁よちょう たち 17:10

町内を練り歩く狩衣褌姿の輿丁たち 17:10

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撮影:清原 浩

  町渡る狩衣褌秋の夕  北舟 

まちわたる かりぎぬふんどし あきのゆう

Autumn evening, going through the town wearing kariginu coat and fundoshi loincloth.  

夕暮れの町内を渡御する 17:13

夕暮れの町内を渡御する 17:13

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撮影:後藤美香

 
火矢ひや による大たいまつの点火
 午後5時すぎ、裸神輿が桂川の会場に到着すると、御玉橋(おだまばし)の上から市弓道連盟のメンバーが大たいまつの稲藁(いなわら)めがけて火矢を射った。一矢(いっし)外れる毎にドーンと大太鼓が打ち鳴らされドッと笑いが上がる。
大松明に

火矢ひや

で点火する弓道チーム

大松明に火矢で点火する弓道チーム

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撮影:渡邊 淳

火矢を射る弓道連盟の達人たち

火矢を射る弓道連盟の達人たち

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撮影:和田義男

  ▼ 夕闇が迫る頃、空中を飛ぶ火矢はとても幻想的である。最初の3本はわざと外すという。直ぐに当たればあっけないからなのだろう。

火矢ひや

で大松明に点火 17:17

火矢で大松明に点火 17:17

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撮影:後藤美香

  ▼ やがて、何本かの火矢が大松明の先端部に命中し、たいまつが燃え上がった。その瞬間、会場から大きな拍手と歓声がわき、待望の「川渡し神事」が始まった。日本古来の武術を活かした素晴らしい演出である。

火矢ひや

で燃え上がった大松明 17:19

火矢で燃え上がった大松明 17:19

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撮影:後藤美香

  松 明 渡 御 濡 褌 入 水 還 御 '13 '12 '11 '10 '09 '08 '07 '06 清原 浩
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今 日

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