ホームページお知らせお便りコーナー俳句・海の風景ホームページ奮闘記作者のプロフィール
Wa☆Daフォトギャラリー  Wa☆Daフォトギャラリー  

2011年10月21日改訂

ログイン時刻

 

 

 

今 日

昨 日

♪「我は海の子」「海」メドレー

颱風の波に諍ふ褌衆   北舟
拡大写真(2400X1800)647KB

Guys of loincloth, resisting the waves of typhoon.

2000年7月16日開設

海に向かって叫ぶ!/二番觸(西中区) 11:08

見付天神裸祭'11

海に向かって叫ぶ!/西中区二番觸(静岡県磐田市遠州灘)
2011年の日記   10月
wadapho.jp 内検索  
  9月 10月 11月

「徒然日記」目次


 
2011年10月21日(金)曇
 
 
■■■     感動写真集〈 第164集 〉「バリ島再訪!」 完成! ■■■
 
   昨日、本年第30集/通算第418集となる作品をアップした。

             感動写真集〈 第164集 〉「バリ島再訪!」     撮影・原作 : 丹下誠司  監修:和田義男


  この作品は、丹下さんが2005年9月23日〜24日インドのダム建設現場から帰任の際に、バンコクを経由して、バリ島に一泊旅行したときの記録で、丹下さんの第11作である。

写真撮影は、今から6年ほど前になるが、島の暮らしは、当時も今もさほど変わっていないと思うので、「バリ島は招く!」に続くバリ島シリーズとして発表させていただいた。2頁43枚の短編である。お時間のあるときに、ごゆるりとご覧頂きたい。
 
 
 
プロフィール

拡大写真(800x600)99KB

 
 
撮影 ・原作 : 
 

丹下誠司たんげせいじ

 

職業:大成建設(株)勤務

住居:東京都国分寺市
趣味:インドの神像収集
    (前任地のインドネシアの絣(イカット)も100枚ほどのコレクションがあります)

撮影後記

  私は、一人旅が大好きです。集団で動くのは、どうも苦手な私です。自分のペースを乱されたくないという気持ちがここでも一番にあると思います。また、旅する先に、訪ねて行ける人がいる・・・その意味は大きいです。旅の目的にもなるからで、あてども無く旅するのが苦手なのも、私の貧乏性の性格を表していると思います。
 さて、バリ空港の建設工事で、当時一緒に乗り込んだ所長は、その後、ジャカルタで倒れて、苦しむこともなく、そのまま天国に召されてしまいました。インドネシア駐在歴25年以上の猛者で、59歳でした。
  翌年の4月には、その所長の墓参りで、ジャカルタから2名のインドネシア人(ゴザリさん、パアラントさん)が日本を訪ねて来てくれました。横浜市青葉区の徳恩寺のお墓には、彼らがジャカルタから持って来た、故人の大好きだったマンゴスチンとイチを供えてくれました。
 いつまで経っても、懐かしい思い出として、心に残る海外勤務。実際に仕事を担当しているときは、苦しく大変な思いばかりで嫌なのですが、工事が終わって何年か経ってみると、心に残って思い出せるのは、楽しかったことばかりです。これが、海外勤務の醍醐味だと思います。
  今回も、和田さんのご好意で、我が心の故郷インドネシア、そのバリ島の画像発表の機会を頂けたことに感謝しています。ぜひ、皆さんの、旅の目的地の一つとして、神々の宿る島=バリ島を考えて頂けたらと思います。テリマカシ バニャック(ご一読、大変にありがとうございました)。

★☆★彡

参考図書

バリ島の心地よいホテル  坪田三千代、増島実  平凡社
インドネシア全二十七州の旅  小松邦康   めこん
バリの魂、バリの夢  大竹昭子   講談社文庫
バリ島楽園紀行 とんぼの本  佐藤由美他  新潮社
好きになっちゃったバリ  下川裕治編   双葉社
地球の歩き方 バリ島  2005〜2006   ダイヤモンド社
定本インド花綴り  西岡直樹  木犀社 (順不同)

感動写真集〈 第164集 〉「バリ島再訪!」

撮影・原作 : 丹下誠司  監修:和田義男

  平成23年(2011)10月20日 作品:第30作  画像:(大41+小2) 頁数:2 ファイル数:92 ファイル容量:34MB
   平成12年(2000)〜平成23年(2011) 作品数:418 頁数:1,641 ファイル数:69,760 ファイル容量:11,501MB
 
 

【編集子が選ぶ名作】

ウブドの田植え

ウブドの田植え

拡大写真(2400x1600)610KB

 
 
バリ人の素顔を見事に活写!
 10月16日(日)に発表した「バリ島は招く!」に続き、本日10月20日(木)丹下誠司さんの第11作「バリ島再訪!」が完成した。実は、この作品は、4年ほど前に丹下さんからお送りいただいていたものだが、バリ島の名所旧跡をはじめ、風光明媚なリゾート・ビーチや華やかな海洋レジャーなどには全く触れておらず、正直なところ、期待はずれで、ちっとも面白くないと思った。編集する私が面白くないのだから、ましてや読者もガッカリされるだろと思い、丹下さんには失礼したが、お蔵入りにしていたのである。
 
 といっても、私が観光客としてバリ島を訪れ、世界に知られる観光地としての晴れ姿を紹介した後で、普段着のバリ人を描いたこの作品を発表しようとの構想があった。バリへの旅立ちが今年になってしまい、丹下作品の発表が大きく遅延してしまったことについては、お詫び申し上げる。
 私の「バリ島は招く!」をご覧になった後で、この作品を見て頂ければ、観光客の表面的な観察ではとても描けない、素顔のバリ人を見事に活写した丹下ワールドに魅了されることだろう。

  行きずりの観光客に過ぎない我々夫婦ですらリピーターになろうかというバリ島であってみれば、若いときにデンバサール空港の建設に携わり、家族とともにバリで暮らした丹下さんにしてみれば、バリ島を愛する気持ちは、人一倍強いのは当然であり、インドに単身赴任していたとき以上に地元住民との交流が広く深く行われたことは、この作品を見ればとてもよく分かる。
 また、人によっては関心が薄い日常生活も、かなり深いところまでカメラを持ち込んで活写しているのは、さすが人間愛に燃える丹下さんだと感心する。そこに住んでいた人が久しぶりに再訪したときの懐かしさや感激が原動力になっているに違いない。素晴らしい作品をお送りいただいた丹下さんには、心から感謝申し上げたい。〈 完 〉 
                                                  2011.10.20 監修 和田義男 
 

 
2011年10月18日(火)晴
 
 
■■■     特集!旅紀行第105集 「バリ島は招く!」 完成! ■■■
 
   10月16日(日)、本年第29集/通算第417集となる作品をアップした。

               特集!旅紀行第105集 「バリ島は招く!」     撮影・制作:和田義男

  この作品は、平成23年(2011)9月23日(金)から28日(水)までの6日間、家内と共にH.I.S.手配によるインドネシア・バリ島への個人旅行を記録したもので、51ヵ国目の海外作品となった。
 
 10頁242枚の感動巨編で、取材と編集あわせて24日間かかった。天候にも恵まれ、イスラム化されたインドネシアにあって唯一バリ・ヒンドゥーを固持しているバリ島民の風俗・気質・文化などを詳しく紹介した。今後、バリ島旅行の決定版となる自信作である。どうかお時間のあるときに、ごゆるりとご覧頂きたい。
 
 

和田義男

  
撮 影

2011年9月23-28日


OLYMPUS  E-5

 

12-60mm


1230万画素 2600枚 6.37GB
 

 本日10月16日(日)51ヵ国目の海外旅行となった感動巨編「バリ島は招く!」が遂に完成した。旅行日とあわせると、完成に24日を要した労作である。そして、自信作でもある。バリ島への旅は、この作品を見れば、殆どのことが分かるので、今後、本作品がバリ島紹介の決定版となることだろう。
 そう断言できるのは、出入国手続は勿論、バリ島三大舞踊を網羅し、取材先はほぼ完璧と言えるからである。強いていえば、ちょっと遠くて行けなかったバリ島最大のプサキ寺院を収録できなかったことくらいだろう。

特集!旅紀行第105集 「バリ島は招く!」

撮影・制作 : 和田義男

  平成23年(2011)10月16日 作品:第29作  画像:(大188+小54) 頁数:10 ファイル数:489 ファイル容量:210MB
   平成12年(2000)〜平成23年(2011) 作品数:417 頁数:1,639 ファイル数:69,668 ファイル容量:11,467MB

 
 
   黄金のバリの獅子舞善と悪  北舟 

おうごんの ばりのししまい ぜんとあく

Good and evil, a golden lion dance of Bali.

 
 

編集子の選ぶ傑作

聖獣バロンの前で自害する戦士 / バロンダンス

聖獣バロンの前で自害する戦士

拡大写真(2400X1800)648KB

 
 

バリ島民の歓待

 バリ島は本当に素晴らしい。南国の楽園だといっても過言ではないのは、レピーターが数多くいるからである。私がラウンジで知り合った日本人男性は、東南アジアに拠点を置く会社の社長さんのようだったが、バリ島へは、日本への帰国の都度立ち寄り、トータルすると既に滞在200日を超えているという。
 バリ島の魅力は何だろうかと考えてみると、熱帯地方にもかかわらず過ごしやすく自然環境が素晴らしいとかハワイに比べると物価が安く、円高で使い勝手がよいとかの理由もあるが、最大の魅力は、心から示される歓待にあると思われる。
 ラウンジでは、二回目から「和田さん、おはようございます。」と必ず名前をつけて挨拶してくれるし、常に笑顔で対応し、人によっては合掌してくれる。仏(死者)ではないので、拝まれると変な気持ちになるが、嫌な気はしない。その応接ぶりは、とても自然で、作り笑いのような笑顔ではない。これは、小さいときからの躾教育が大きいと私は思っている。日本人も、この点、バリを見習っても良いのではないかと思う。我々夫婦もレピーター候補になりつつあるのは、いうまでもない。(^^;
 
 
   夕焼けてケチャックダンスの意に沿へり  北舟 

ゆうやけて けちゃっくだんすの いにそえり

The evening glow, just as wanted for the kecak Dance.

 
 

編集子の選ぶ傑作

円陣を組んであぐらをかいた男たち / ケチャックダンス

円陣を組んであぐらをかいた男たち

拡大写真(2400X1700)591KB

 
 

バリ島は招く!

  私が大学生の頃、リーダーズ・ダイジェスト(リーダイ)という日本語の本があった。現在もアメリカ本社は存続しているようだが、その後の読書離れにより、この会社は随分前に倒産し、今は、日本語のリーダイは、絶版となってしまった。私だけでなく、特に団塊の世代は、今でも懐かしく感じると思う。殆どが英語版の翻訳だったが、海外の事情がよく分かり、定期購読して、毎月の発行が楽しみだった。
 その中に、「バリ島は招く!」という一編があった。バリ島は、精神文化を重んじる国で、あるとき、旅行客が木彫像が見事で気に入り、買いたいと申し出たところ、その職人はまだ未完成なので売れないと断ったというエピソードが紹介されていた。それから46年経った現在でもこの話が頭の片隅に残っているのは、 江戸時代の職人気質(しょくにんかたぎ)のように金儲け以前に自分自身の矜持を大事に考える価値観に共鳴し「いつかバリ島に行ってみたい」という憬れがあったからだろう。
 はからずも今回、その憬れが実現したのだが、頭に描いたバリ島のイメージと現実とは必ずしも一致するものではなかった。しかし、そのエピソードが生まれた島民気質は、十分に体験することができた。帰国後、私はバリの素晴らしさを余すこと無く伝えるために、かなりの日数を費やして編集にエネルギーを傾注した。そして、この自信作のタイトルをかつてのリーダイと同じ「バリ島は招く!」にした。
 先ほど「バリ島は招く!」をGoogleで検索したが、一件もヒットしなかった。明日からはこの検索で私の作品がヒットすることになるかと思うと、それだけでワクワクする。半世紀近く前にたまたまリーダイでバリ島と出会ったことが懐かしく、当時の日本リーダーズ・ダイジェスト社に感謝申し上げたい。〈 拝 〉 2011.10.16 和田義男
 
 
   磯の香や目にも涼しきバリ寺院  北舟 

だんがいの うるわつじいん なつどとう

Smell of the seashore, cool-locking is the Bali temple.

 
 

編集子の選ぶ傑作

タナロット寺院の全貌 / 展望所より南を臨む

タナロット寺院の全貌 / 展望所より南を臨む 15:55

パノラマ写真3000X1300)754KB

 
 
2011年10月17日(月)午後4時頃、Googleで「バリ島は招く!」を検索したところ、約99,300件がヒットし、第1頁の8番目に旅の写真館「WaDaフォトギャラリー」(和田フォト)海外写真集という見出しのトップページが表示され、「バリ島は招く!」というフレーズが初めて表示された。沢山ヒットしているが、他はバリ島だの、招くといった部分一致なので、完全一致は私のサイトだけで、internetの初出である!今日は一日中、推敲に追われ、これで完成と言える状態になった。今晩は、久しぶりに愛飲のスコッチ・グレンフィディックで乾杯しよう! 10/17 22:38
 
 
「バリ島は招く!」検索結果 2011.10.17 16:00
「バリ島は招く!」検索結果 2011.10.17 16:00
 

 
2011年10月17日(月)晴
 
 
■■■ 旗本の越中褌  ■■■
 
   田沼意次が失脚した後、天明7年(1787)に老中首座に付いて寛政の改革を行った第八代将軍徳川吉宗の孫に当たる松平越中守定信が質素倹約策を強力に推し進め、その一環として六尺褌の布を半分にした三尺褌を考案し、越中守の名をとって越中褌と呼ばれるようになったする説が、江戸時代から流布されていたらしく、江戸時代の百科事典といわれる守貞謾稿(もりさだまんこう)にもそれが誤りであることが書かれている。   
    幕府の旗本たちも越中守の指導に従って質素倹約に努め、褌も六尺褌から越中褌に代えて倹約に努めた。商売上それを知り得る立場にあった吉原の遊女から旗本が越中褌をしているという話が広がり、その風評から越中褌が越中守の考案だということになったらしい。  
   喜田川守貞が天保8年(1837)から30年間書き続けて完成させた全35巻から成る守貞謾稿には、越中褌の起源が記載されており、越中という大坂の妓(ぎ)が客に片袖を送り、客が褌に縫い直して身につけたのが始まりだと記している。  
   ちなみに越中褌は、肉体労働を伴わない医者や神職、僧侶、文化人、商人の間で用いられていた。武士の場合は、隠居後に用いる例もあるが、武士は六尺褌が当たり前だったので、吉原の遊女が珍しがって、この事実が明らかになった。松平定信の失脚により、旗本の越中褌がどうなったかは明らかではないが、旗本は慢性的に貧しい生活を余儀なくされたので、その後も愛用されていたのではないかと推測する。  

 
2011年10月3日(月)晴
 
 
■■■ Wa☆Daフォトギャラリー累計アクセス1,800万件突破! ■■■
 
  ▼ 今朝出勤後、パソコンを起動し、メールチェックなどを行った後、Wa☆Daフォトギャラリーにアクセスしたところ、2000.7.16からの累計アクセスが午前10時8分54秒に18,000,099件となっており、今朝10時前に累計アクセス件数が1,800万件を突破したことが分かった。2011年6月7日(火)に1,700万アクセスを達成してから118日、8,474/日だった。   
   1,700万アクセス達成時は、100万件を得るのに130日、7,692/日だったので、一日平均782件増加した。前回、アクセス件数が下がった原因は、3.11東日本大震災によるものだったが、今回、増加に転じたことは有り難く、国民が日常生活のリズムを取り戻しつつある左証であろう。しかしながら、かつて1日1万件を上回るアクセスを得ていたことを考えると、未だに正常に戻っていないとも推測できる。日々のアクセス件数が社会の景気や人心のバロメーターになっているのは、興味深いことだが、毎日1万アクセスが当たり前となる日を目指して、これからもクオリティの高い作品を多数アップしてゆきたい。  
   なお、このペースで推移すれば、来年5〜6月頃にアクセス2,000万件を突破するだろう。当面の目標が視野に入ってきたことは、とても嬉しい。  
 
累計アクセス1800万件を超えたトップページ

累計アクセス1800万件を超えたトップページ

 

 
2011年10月1日(土)晴
 
 

我が褌人生

 高知の漁師町に育った私は、小学生低学年で親から教わった黒猫褌(高知では「いどくい」)かフリチンで泳いでいた。金持ちは水褌か海水パンツを着用していた。銭湯では、漁師町ゆえ越中褌姿が多く、早く大きくなって褌を締めたいと思った。
筆者愛用の健康下着

筆者愛用の健康下着

 大学1年生のとき、発汗による湿疹に悩む私に医務長から勧められたことがきっかけで、現在に至るまで46年間下着として越中褌を愛用している。清潔で涼しく快適な越中褌は、高温多湿の気候風土にマッチした健康下着であり、今となってはトランクスや、ましてブリーフなどはあり得ない休日にはたまに六尺褌を締めることがあるが、六尺は祭や水泳に適しており、日常の下着は、越中に限る。写真下は、本邦初公開の筆者の下着姿だが、夏の暑い時期は書斎では甚兵衛を脱いで、褌一丁でパソコンに向かうこともある。
 日本の褌は、越中褌にしろ六尺褌にしろ、日本の伝統文化の原点ともいえる衣装である。海外には数多く出かけるが、海外の文化や考え方、センスの違いなどにカルチャー・ショックを受けたとき、日本人とは何かを自問することがある。その際、日本人としての IDENTITY (アイデンティティ/日本人らしさ)を真っ先に感じるのは、いつも身にまとっている褌だった。
 私は世界を旅するうちに日本がどこからも侵略を受けず、いにしえの文化を今に伝える素晴らしい国であることに気付いたがとりわけ世界に例のない裸褌文化の躍動する裸祭に魅了され12年間に92種142の作品を和田フォトギャラリーに発表し、1日1万アクセスをいただく日本一のサイトと評価されるようになった。「裸褌文化」は、筆者が提唱する言葉である。

▼ 平成20年(2008)1月13日(月)午前11時から東京都中央区湊一丁目に鎮座する鐵砲洲稲荷神社(中川文隆宮司)で第53回寒中水浴大会が開催され、神楽殿から鐵砲洲囃子が流れるなか、参加者約60名が白鉢巻・白越中褌(女性は白衣)姿になって氷柱で冷やされた直径10mの円形水槽に胸まで浸かって冷水を浴びたこの神事は関東最長の歴史を誇る寒禊で東京の春を呼ぶ新年の風物詩として知られている。

鐵砲洲囃子をバックに氷水の寒中水浴/ 鐵砲洲稲荷神社(東京都中央区湊)  2008.1.13

鐵砲洲囃子をバックに氷水の寒中水浴/ 鐵砲洲稲荷神社(東京都中央区湊)  2008.1.13

拡大写真(1800X1350)526KB

撮影:星 宏幸

▼ この年満60歳の厄年を迎えた筆者は、中川宮司のご高配により、神事の寒中水浴の後、私を誘ってくれた三木芳樹さんや地元の平野五郎さんと共に赤褌(あかふん)に締め直して還暦記念水浴を行った。 鐵砲洲寒中水浴'08

還暦記念赤褌水浴を果たした3人(左から三木芳樹さん・筆者・平野五雄さん)

還暦記念赤褌水浴を果たした3人(左から三木芳樹さん・筆者・平野五雄さん)

▼ 平成23年(2011)の初秋静岡県磐田市に鎮座する矢奈比賣天神社(やなひめてんじんしゃ)において700年余の伝統を有する見付天神裸祭(みつけてんじんはだかまつり)(国指定重要無形民俗文化財)が開催された事前に和田グループ(第三期)を募集し水曜日の浜垢離(はまごり)に5人、土日の御大祭(ごたいさい)に8人が参加した。 見付天神裸祭'11

二番觸にばんぶれ

潮練り込み!/見付天神裸祭「浜垢離」 2011.8.31

二番觸の潮練り込み!/見付天神裸祭「浜垢離」 2011.8.31

拡大写真(2600X1950)951KMB

和田グループ代表の六尺褌・白丁姿 / 見付天神裸祭

和田グループ代表の六尺褌・白丁姿 / 見付天神裸祭  2011.9.3

 御大祭では、早朝、東京の自宅の風呂場のシャワーで禊をし、松本邸で新しい六尺褌を締め、お借りした白丁を身にまとって天神様の社殿にあがらせていただいた。六尺褌を締めて祭を激写したのは初めてのことだが、「褌を締めてかかる」の喩えどおり、裸祭には気合いの入る六尺を締め込むのが最良で、見付天神裸祭に臨む和田グループ全員の連帯感とあいまって、勇壮で美しい裸祭の感動を体感することができた。これからも気力体力の続く限り、この裸祭に参加したいと思っている。
 写真は、筆者の六尺褌姿であるが、締める位置は、越中褌と全く同じで、臍下三寸(約10cm)の丹田(たんでん)であることがお分かりいただけると思う。違うのはきつく締めるかどうかで普段着の越中褌は緩褌(ユルフン)気味に締め六尺褌はきつく締めると気分が引き締まる。緊褌一番(きんこんいちばん)の喩えは、六尺褌をきつく締めることをいっており、越中褌や畚(もっこ)褌では、気合いが入らない。

▼ 人前に自分の褌姿を晒すのは、平成20年(2008)正月の寒中水浴がその嚆矢だが、今年で4回目の寒禊を果たし、意気軒昂である。新年に神々への感謝とご加護を祈念して斎戒沐浴するのは、戦前まで普通の行事であり、新しい褌を締め、気分を一新して新年を迎えることの清々しさは、体験しないと分からないかも知れない。 鐵砲洲寒中水浴'11
  初春の褌新たに六十路かな  北舟 

はつはるの ふどしあらたに むそじかな

The beginning of spring, age in the sixties wearing a new loincloth.

喜寿(77歳)の水浴となる羽場左近さんと/第56回鐵砲洲稲荷神社寒中水浴大会  2011.1.9
喜寿(77歳)の水浴となる羽場左近さんと 10:53

喜寿(77歳)の水浴となる羽場左近さんと/第56回鐵砲洲稲荷神社寒中水浴大会(東京都中央区湊一丁目)

 ともあれ、毎年、鐵砲洲から始まる私の褌人生は、家族の理解を受け、誰憚ることもなく続けられるのが有り難い。好きなことを好きなだけ実践することが長寿の秘訣であると信ずる筆者は、これからも大いに我が褌人生を謳歌して行きたい。
  森繁久弥主演の「ふんどし医者」(1960年)という映画があったが、さしずめ、私は「褌カメラマン」といったところであろう。自分自身の褌姿を堂々と公表しているサイトは見あたらないので、これも道楽の極みである。 (2011年10月1日 64歳)
 

特集!旅紀行(海外写真集)   世界の名城 感動写真集
旅紀行ジャパン   奉納相撲   多摩川紀行
旅紀行日本の祭り 旅紀行日本の裸祭り 旅紀行日本の花
Wa☆Daフォトギャラリー

今 日

 和田フォトギャラリー

昨 日

 Copyright (C) 2000-2011 Yoshio Wada. All Rights Reserved. 
ホームページお知らせお便りコーナー俳句・海の風景ホームページ奮闘記作者のプロフィール