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和田義男

 旅紀行ジャパン

2005年9月14日改訂

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2005年8月25日作成

無動寺明王堂

無動寺明王堂(比叡山延暦寺)

夏の叡山延暦寺

無動

前作をご覧下さい

比叡山延暦寺
無 動 回 峰 横 川 西 塔 法 灯 東 塔 和田義男
 

はじめに

   比叡山延暦寺(ひえいざん・えんりゃくじ)は、西に京の都、東に琵琶湖を望む世界文化遺産である。2005年8月11日(木)、前日大阪で一泊し、朝6時起きして比叡山(叡山)を訪ねた。
 2001年11月に家内と初めて訪ねて以来4年ぶりである。前回は東塔(とうどう)と西塔(さいとう)の二箇所しか廻っていなかったので、今回は一人旅の身軽さで、南北の総延長7kmに点在する主要な堂塔伽藍を巡った。

 

比叡山坂本ケーブル

   JR大阪駅から新快速で京都駅に行き、湖西線(こせいせん)に乗り換えて叡山坂本駅で下車。朝8時から30分間隔で運行する比叡山坂本ケーブルのケーブル坂本駅まで徒歩20分。全長2.0kmと日本一の長さを誇るケーブルカーの所要時間は11分。
   0830発に乗り、無事東塔地区にあるケーブル延暦寺駅に着いた。自然の山林に囲まれているため、ケーブルカーから見る琵琶湖の眺めは良くない。京都駅から比叡山行きのバス便は便数が少なく、出発も遅いので、比叡山へはこのルートが便利だ。

日本一の長さを誇るケーブルカー

日本一の長さを誇るケーブルカー

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 昔は比叡山の東山麓を東坂本と呼んだが、今は単に坂本と呼ぶ。この町は、全国4千余の山王さんの総本宮・日吉大社があり、延暦寺の門前町として栄えてきた。

   山頂のケーブル延暦寺駅は、大正14年(1925)に建てられた洋風の駅で、平成13年(2001)に近畿の駅百選に選ばれている。駅を出ると左手に石鳥居があり、無動寺谷(むどうじだに)への参道がある。

ケーブル延暦寺駅

ケーブル延暦寺駅

 

無動寺谷むどうじだに

 

 「大辯才天女」の浮き彫りのある石鳥居は辯天堂の鳥居である。両脇には特異な風貌の狛犬(こまいぬ)が睨みを利かしている。ここから先は千日回峰の阿闍梨(あじゃり)で知られる無動寺の寺域となり、無動寺谷と呼ばれる。

無動寺参道入口

 

弁財天を護る狛犬

無動寺参道入口 弁財天を護る狛犬

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 無動寺谷は、はぐれ谷とも呼ばれるように殆ど人影を見ない。かなり急な無動寺坂を下ると、僧侶が参道を掃き清めていた。赤い燈籠は天堂の燈籠であり、僧侶に会わない限り、無動寺の寺域であるとは思えない。

無動寺谷の参道

無動寺谷の参道

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辨天堂べんてんどう

 

 1kmほど下ると右手に分岐する道があり、急な坂道を下ると辨天堂に着く。辨天堂は、回峰行の始祖・相應和尚(そうおう・かしょう)を護るために白蛇となって現れたという辯才天(べんざいてん/べざいてん)を祀っている。

大辨財天女だいべんざいてんにょ

大辨財天女

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  はぐれ谷辨財天女の蝉時雨   北 舟

はぐれだに べざいてんにょの せみしぐれ

 

 辨天堂の境内は鰻(うなぎ)の寝床のように細長く、狭い土地いっぱいに建物が建っている。鬱蒼とした木々に囲まれて昼でも薄暗い。正月の初巳*(はつみ)や巳成金**(みなるかね)の法要には、坂本や京都、大阪などから多くの参拝客が訪れるという。

  *初巳:正月最初の巳の日で辯才天に参詣する日 **巳成金:9月の巳の日の大祭

辯天堂の石鳥居

 

昼なお暗い辨天堂

辯天堂の石鳥居 昼なお暗い辨天堂

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阿迦井 あかい

 

 元の分岐点まで引き返し、更に参道の無動寺坂を200mほど下ると、左手に阿迦井があり、更に100mほど進むと、回峰行の根本道場である明王堂(みょうおうどう)に至る。この阿迦井は、行者(ぎょうじゃ)が明王堂の本尊・不動明王に捧げる阿迦(あか 清水)を取る井戸である。

無動寺坂の阿迦井

無動寺坂の阿迦井

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  八重葎阿闍梨の谷の阿迦井かな  北 舟

やえむぐら あじゃりのたにの あかいかな

無動寺むどうじ

明王堂みょうおうどう

 
 比叡山南部に広がる無動寺は、延暦寺という建物がないのと同様に、無動寺という名の建物はない。本堂に当たる明王堂のほか、僧坊に当たる法蔓院(ほうまんいん)や大乗院(だいじょういん)、善住院(ぜんじゅういん)などが点在している。  
 明王堂では本尊の不動明王(ふどうみょうおう)のほか、相應和尚(そうおう・かしょう)が祀(まつ)られており、千日回峰を満行(まんぎょう)した大阿闍梨(だいあじゃり)が不動明王に仕え、後進の行者を育て、信徒のために加持祈祷を行っているという。  

相應和尚そうおうかしょう

 
 回峰行の始祖・相應は、貞観7年(865)、薬師如来から「この峰を巡礼し、坂本において山王の霊場(日吉大社)に詣でて毎日遊行し、苦行すべし。」との霊告(れいこく お告げ)を受けた。それを行うことが常不軽菩薩(じょうふぎょうぼさつ)の行(ぎょう)であるという。  

明王堂内陣の不動明王像

明王堂内陣の不動明王像

資料

 
明王堂に建つ北嶺行門始祖・相應和尚の石像
明王堂に建つ北嶺行門始祖・相應和尚の石像

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常不軽菩薩じょうふぎょうぼさつ

 常不軽菩薩(じょうふぎょうぼさつ)の行は法華経に説かれており、この菩薩は行く先々で「あなたは必ず仏になれる。私はあなたを深く尊敬します。」といいながら人々を拝み続けたので、人々は気味悪がり、石を投げ、唾を吐きかけた。それでも菩薩はひたすら礼拝して、人々に仏の教えを伝えたという。
   相應は、薬師如来の霊告に従い、来る日も来る日も比叡山中を歩き続け、常不軽菩薩の行を実践した。

回峰行の根本道場・明王堂

回峰行の根本道場・明王堂

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比叡山延暦寺
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