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▼ 千葉県香取(かとり)市香取に鎮座する香取神宮(かとりじんぐう)は、下総国(しもうさのくに)の一宮(いちのみや)で、旧社格は官幣大社。日本全国に約400社ある香取神社の総本社である。香取神宮の位置する山は、その形状から亀甲山(きっこうさん)と呼ばれる。正月三が日には50万人以上が参拝する。 香取神宮公式ホームページ |
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資料:香取神宮
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祭神は経津主大神 (ふつぬしのおおかみ)(伊波比主命 (いはひぬしのおおかみ))。創建は、紀元前643年と伝えられている。『常陸国風土記』によると、神代の時代に肥後国造の一族だった多氏が上総国に上陸し、開拓を行いながら常陸国に勢力を伸ばした。この際に出雲国の拓殖氏族によって農耕神として祀られたのが、香取神宮の起源とされているが、創建年が古すぎるとの異論もある。 |
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鹿島神宮と共に蝦夷に対する大和朝廷の前線基地であり、重要視されていた。平安時代に「神宮」の称号で呼ばれていたのは、『延喜式神名帳』によると伊勢神宮・鹿島神宮・香取神宮の三社だけであった。 |
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香取神宮本殿から鹿島神宮本殿までは約13km、鹿島神宮とともに東国三社と称された息栖(いきす)神社本殿までは約8kmと近く、いずれも東方に位置する。中世においては、香取海での「浦・海夫・関」の支配権を握っていた。 |
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▲ 大鳥居は、参道正面にある第二の鳥居で、鳥居の朱色と周囲の老杉の緑とが良く調和して、神域の入口にふさわしい美観を呈しており、特に、桜の時期は見事だという。 |
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▲▼ 木々鬱蒼(きぎうっそう)とした玉砂利参道の両側には、桜や楓が植えられており、春の桜・秋の紅葉は見事で、多くの参拝者の目を和ませてくれるという。湾曲した参道には多くの露店が並んでおり、殺風景な冬の参道を彩っていた。 |
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▼ 何とトルコ料理の「ドネルサンド」の露店があった。店主はトルコ帽を被っている。ドネルケバブは垂直の串にスライスした肉を上から刺していって積層し、水平に回転させながら外側から電熱器で焼き、焼けた部分から順次肉を削ぎ落としたもの。 |
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トルコでは、羊肉や鶏肉が使われ、レストランでは皿に盛って供されるが、屋台ではパンにサラダと一緒に挟む食べ方で、ドネルサンド(ドネルケバブサンド)としてテイクアウトメニューになっている。 |
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▼ 香取神宮の楼門は、本殿と共に元禄13年(1700)に徳川幕府の手により造営された。屋根は造銅板葺。壁や柱は丹塗。上下階のバランスが良く、香取神宮のシンボル的な建物となっている。昭和52年(1977)に国の重要文化財に指定されている。 |
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香取神宮の本殿は元禄13年(1700)に徳川幕府の手により造営された。桃山様式の三間社流造。屋根は檜皮葺。壁や柱は黒漆塗で、黒を基調とした特徴的な外観を呈している。昭和52(1977)年に国の重要文化財に指定されている。 |
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はつもうで かとりじんぐう ひわだぶき |
First visits of the year, Katori Shrine the roof of cypress bark. |
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