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天龍寺(世界文化遺産)
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天龍寺 |
京都市右京区嵯峨にある臨済宗天龍寺派の総本山。正称を霊亀山(れいぎざん)天龍資聖禅寺(てんりゅうしせいぜんじ)といい、名勝嵐山の中心的な寺院。京都五山の第一位。1339年(延元4‖暦応2)足利尊氏が夢窓疎石のすすめによって、吉野で崩御された後醍醐天皇の霊を慰めるため、北朝の光厳上皇の院宣(いんせん)を得て嵐山を背景とする亀山離宮を禅寺にあらためたのがはじまりである。 |
尊氏は多くの荘園を、北朝は売官による成功(じようごう)の収益を、室町幕府は天龍寺船を元(げん)に派遣してその貿易利益を当寺に寄せ、造営費用にあてた。1343年(興国4‖康永2)山門、法堂(はつとう)、寮舎などが建立され、翌年天皇の霊妓が完成し、45年(興国6‖貞和1)後醍醐天皇七周忌の年に落慶法会が営まれている。創建当初の寺域は、後嵯峨天皇が造営して後醍醐天皇に伝領された離宮亀山殿を中心に、東は釈梼堂大路、西は亀山、南は嵐山、北は法金剛院に及んで、すべて36町余、現寺地の10倍以上の広さであった。 |
夢窓派の拠点として室町前期が全盛期で、1342年五山第2位に列し、その後第1位にも列した。また五山版と呼ばれた禅宗関係書籍を盛んに出版して文学史上でも大いに貢献したが、室町期だけでも6回も火災にかかり、中世末には寺勢も衰え、多くの寺領も失った。近世になって寺領1720石、伽藍も復興したが、1864年(元治1)の禁門の変の際、兵火によって全焼し、その後の再興は昭和初年までかかった。 |
塔頭(たつちゆう)は全盛期には100余寺、現在は境内に松巌院寺、慈済院、弘源寺、三秀院、妙智院、寿寧院、等観院、永明院、宝厳院、境外に臨川(りんせん)寺、金剛院、宝寿院がある。 |
境内の諸建築は明治以降の再建であるが、方丈の庭園は開山夢窓疎石の作庭になり、創立当初の姿を伝えている。曹源池(そうげんち)の中央には鋭い立石を組んで岩島を構成し、背後には豪快な滝口を組み、前に石橋を渡すなど、峻厳な禅院らしさがうかがえる。夢窓疎石は各地の寺院で作庭しているが、なかでも当寺のものは西芳寺庭園とならんで著名である。寺宝のうち《応永鈞命絵図》(重要文化財)は室町期の地図として史料的価値が高い。 |
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嵐山といえば渡月橋だが、1994年(平成6)12月、世界遺産「古都京都の文化財」の一つとしてユネスコに登録された天龍寺(てんりゅうじ)を抜きにしては語れない。 |
勅使門と放生池
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勅使門脇の放生池(ほうじょうち)では水面を埋めるほど
の蓮が参拝者を出迎える。夏の早朝、ポンという開花の
音が聞こえる。蓮は精進料理の食材として重宝される。
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夢想礎石(むそうそせき)が開いた天龍寺は、嵐山を借景とする庭園が極めて有名で、紅葉の時期には多くの観光客で賑わう。(見出し写真)
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夢窓疎石
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天龍寺十境の一つである嵐山は、元は天龍寺の境内であった。ほんらい紅葉の名所であったが、吉野で亡くなった後醍醐天皇の霊を慰めるため、夢想国師によって吉野から多くの桜が移植された。
天龍寺十境 吉野山の桜
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方 丈
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方丈は、禅宗様式伽藍の一つで、住職の居室である。玄関には禅宗らしく大きな達磨(だるま)の水墨画が掲げられている。
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方丈中央には、藤原時代につくられた本尊・釈迦如来像が祀られている。 |
天龍寺は、創建以来650年の間に8回の火災があったが、幸い本尊はその火難を蒙らず、天龍寺現存の仏の中で最古のものとなっている。 |
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曹源池(方丈)庭園
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池の鯉
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創立当時、夢想礎石により自然の地形を大きな築山に見立てた曹源池(そうげんち)庭園がつくられた。爾後、度々の兵火にもかかわらず、この庭園は生き残り、当時の趣を今に伝えている。
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滝組竜門瀑、石橋、岩島といった石組を立てたダイナミックでしかも繊細な趣の池庭で、方丈からの眺めを重視した構成や石組の手法は、室町時代以降発展する枯山水庭園や護岸石組に影響を与えたという。
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せせらぎと紅葉
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天龍寺庭園は、特別名勝・史跡となっている。 |
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庭園はかなり広く、紅葉を楽しみながら曹源池のほとりを一周することができる。
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小川が流れるそばを老夫婦がベンチに腰掛けて紅葉を眺めていた。やがて訪れる冬の厳しさを前に、ゆったりとしたときが流れていた。
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禅 宗
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禅宗は仏教の一派で、印度の僧、達磨(だるま)大師(紀元6世紀)を初祖に仰ぐ。
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《 撮影 2002年11月11・16日 》
オリンパス CAMEDIA E-20
500万画素 550枚 690MB
ワイド・エクステンションレンズ使用 |
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その精神は直指人心見性成仏(じきしにんしんけんしょうじょうぶつ)を旗印とし、ひたすら座禅を修して、人間本来の姿に目覚めることが釈尊の説いた仏法を正しく受け継ぐことであると説くところにある。 |
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中国より伝わった我が国の禅宗は、臨済(りんざい)・曹洞(そうとう)・黄檗(おうばく)の三宗に分かれており、天龍寺は臨済宗の総本山である。
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六波羅蜜
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一、布施(ふせ) お互いに尊敬し助け合いましょう
一、持戒(じかい) 世の中の規則を堅く守りましょう
一、忍辱(にんじょく) 何ごとも辛抱づよく貫きましょう
一、精進(しょうじん) 自分の勤めを真剣に励みましょう
一、禅定(ぜんじょう) 常に心の落ちつきを保ちましょう
一、智慧(ちえ) 信心の心を開いて正しく見ましょう
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雲一つない秋晴れに恵まれ、トロッコ列車、保津川下り、天龍寺探訪と盛りだくさんの京都の秋を堪能した1日だった。日本は本当に美しい国である。これからも生ある限り、自然の移ろいに心を向けるゆとりを持ちたいものだと思った。(完)
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