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仁和寺 |
仁和寺(にんなじ)は888年(仁和4年)、宇多天皇(うだてんのう)によって創建された。宇多天皇は退位の後に出家し、30余年の間、仁和寺で真言密教の修行に励んだ。以来、明治維新まで30代、約1000年にわたり皇子皇孫が仁和寺の門跡(もんぜき)(住職)に就任、仁和寺は旧御室御所(きゅうおむろごしょ)として親しまれてきた。 |
仁和寺の広大な境内は、御室御所跡として史跡に指定され、伽藍(がらん)の建造物は、その多くが国宝や重要文化財に指定されている。 |
千年以上の歴史と、多くの文化財を所有する仁和寺は、1994年(平成6年)ユネスコの世界文化遺産に登録された。 |
境内の一角に植えられている御室桜は古来より、京洛(きょうらく)(京都)の春の最後を飾る花として多くの人々に親しまれている。 |
所在地:京都市右京区御室大内33番地
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二王門 |
仁和寺を訪れると、まず最初に目に入るのが二王門だ。実に堂々とした建築物で、道路から一段高い位置に建てられているため、雄大さが一層協調されている。
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二王門の名称の由来は、この門に寺域全体の守護尊である二王像を収めているところにあり、一般的に山門とも南大門とも呼ばれる。
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仁和寺の二王門は、知恩院の三門や南禅寺の山門と共に、京都の三大門と呼ばれ、共に同じ時代を代表する建築物として知られている。
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知恩院や南禅寺の門が禅宗様式(唐様)であるのに対し、仁和寺の二王門は和様であることに違いがある。
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二王門は、江戸時代初期の1637年〜1644年(寛永14年〜正保元年)にかけて建てられた。
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五重塔
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五重塔
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五重塔(ごじゅうのとう)も江戸初期に建立された。形態的には二王門と同様に和風に建てられており、各層の屋根の大きさがあまり違わないという、近世の五重塔の様式をよく伝えている。
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全高33mと、規模としてはあまり大きなものではないが、小高い位置に建てられているため、市内の各地から眺めることができる。
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とりわけ背景の松の緑との調和がよく、古くから御室の塔(おむろのとう)として多くの人々に親しまれてきた。
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塔とは元来ストウーパを意味し、仏舎利すなわち釈尊の遺骨を祀る「塔婆」のことである。日本の五重塔は、インドのストウーパの上部が発達して大きくなり、下部の基盤の部分が次第に小さくなって隠れてしまい、今日見るような姿になったという。
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五重塔の初重(第一層)には壇が設けられ、東西南北の各方向にそれぞれ四方仏が安置されており、内部の柱や天井まわり、壁面などは極彩色の仏像で飾られている。
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塔の中心には、初重の下の礎石から、最上層に至るまで「心柱」という太い柱が通されている。この柱は礎石から五層目の屋根まで、他の構造物とは一切接触しない仕組みになっていることから、地震などの震動エネルギ−を自身の構造物の中で吸収することができるので、台風や地震でも倒壊することがないという。
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金 堂
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金 堂 |
仁和寺では、本尊の阿弥陀三尊像を祀る本堂を金堂(こんどう)と呼ぶ。金堂は京都御所より下賜されたもので、慶長年間に建立された紫宸殿(ししんでん)(内裏(だいり)(天皇の居所)の正殿)の遺構だけに、建物の姿や形が非常に洗練されている。
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御所から仁和寺に移築された時の変更は少なく、屋根が「桧皮葺(ひわだぶき)」から「本瓦葺(ほんがわらぶき)」になったことと、仏堂にするため内部に「須弥壇」(しゅみだん)を設けたことぐらいだという。 |
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金堂は平安時代の建築様式である寝殿造(しんでんづくり)の様式を残すものとして、我が国の建築史上きわめて重要な位置を占めるところから、国宝に指定されている。
仁和寺は真言宗御室派と称する宗派の総本山になっているので、仁和寺・宗派ともに最も重要な儀式や法要がここで営まれることになっているほか、毎朝の勤行(ごんぎょう)は参拝者すべてに公開されている。 |
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宸 殿
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仁和寺御殿 |
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仁和寺の境内の一角、二王門を入った左手には、御殿(ごてん)と呼ばれる本坊が置かれている。 |
ここが御殿と呼ばれるのは、かつて仁和寺に御室御所(おむろごしょ)が置かれていたためだ。御殿は、江戸初期に再建された時、京都御所より賜った「常御殿」を中心にして構成されていたが、1887年(明治20年)に焼失した。仁和寺御殿の再建は1909年(明治42年)に始まり、宸殿(しんでん)などの建造物と宸殿南側の庭園が1914年(大正3年)に完成した。 |
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宸 殿 |
御殿は、優美な桧皮葺(ひわだぶき)の屋根、木曽の御料林の最高級の用材、神経の行き届いた細部の意匠など、宮殿にふさわしい建物である。
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宸殿 上段の間
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なかでも宸殿(しんでん)は外観・内部ともに、優雅かつ上品なたたずまいを見せている。宸殿の襖絵は、京都御所の御用絵師であった原在泉画伯(1849〜1916)による大和絵で、四季の風物が見事に描かれている。 |
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宇多天皇 |
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仁和寺の開山(初代の住職)、第59代宇多天皇(うだてんのう)(867〜931)は、先帝の崩御に伴い、御年21歳で即位した。
当時日本の政治は藤原一門に独占されていたが、かつてのように天皇が自ら政治を行う天皇親政に改めた。
また、その一方では、菅原道真(すがわらのみちざね)を登用し、道真の進言により永らく続いた遣唐使の制度を廃止するなど、我が国の歴史に残る改革を進めた。
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897年(寛平9年)、在位10年にして醍醐天皇に譲位、899年(昌泰2年)に出家、宇多法皇(ほうおう)(出家した上皇)となる。904年(延喜4年)、仁和寺に法皇の御所である御室(おむろ)を建立し、931年(承平元年)65歳で崩御するまで、この御室御所に住んだ。
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