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旅紀行ジャパン
2002年1月21日改訂
BGM

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2001年12月12日制作

京都・銀閣寺

京都・銀閣寺

《 銀閣寺・清水寺・三十三間堂 》

1/3 2/3 三十三間堂
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細長い本堂

細長い本堂

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 三十三間堂は、正式名を蓮華王院(れんげおういん)といい、天台宗の寺院である。
 もともとは、後白河上皇の離宮・法住寺殿(ほうじゅうじどの)の広大な敷地の一角にあり、1164年(長寛2年)、平清盛が後白河上皇に寄進したものである。
 創建当時は、五重塔や不動堂などを従え偉容を誇っていたが、度重なる災害ですべてを消失し、現在残っている本堂は1266年(文永3年)の再建である。その後、室町・桃山・江戸・昭和と4度の大修理を経て、700年間保存されてきた。

本堂の内部

 南北に細長いお堂は和様の入母屋・本瓦葺きの総檜造りで、長さ66間、約120mあり、文句なしに日本一の長さだ。正面の柱間が33あるところから三十三間堂と通称されており、33という数は、観音の慈悲が33相に示現するということにちなんでいるという。
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雷神像(国宝)
 



資料

雷神像 (国宝)

俵屋宗達の雷神


 


資料

千手観音坐像(中尊) (国宝)

二十八部衆立像 と千手観音立像

日本唯一の千体観音像

 三十三間堂の見どころは、長大な堂内をびっしりと埋め尽くすようにして立つ湛慶(たんけい)作の千手観音像(せんじゅかんのんぞう)である。本像の千手観音坐像(中尊)(国宝)を中心に、左右に10段50列で500体ずつ千手観音立像が並んでおり、合計1001体の観音像が整然と並んでいる光景は圧巻だ。うち124体は創建当時からのものである。
 千手観音は、正しくは「十一面千手千眼観世音菩薩」といい、頭上には11の顔をつけ、自分の両手のほか両脇に40本の手を持ち、その1本の手が25種類の世界で救いの働きをするので、40を25倍して「千手」となる。
 千一体の観音像の表情や衣は皆違い、仰いだ角度のまま一つ残らず拝めるように安置されており、その中には、会いたいと願う人の顔が必ずあると伝えられている。

雷神と風神(国宝)  

 堂内両端のひときわ高い雲座に乗った雷神(北)と風神(南)は、動的で力強い鎌倉彫刻の面目躍如とした名作である。古代人は、自然や天候に対する恐れや感謝の心から空想的な二神を創造し、風雨をつかさどり五穀豊穣をもたらす神々として信仰した。
 この像からほとばしる迫真の気勢は、後世の人々に雷神と風神のイメージを決定づけ、これをモデルにした江戸時代初期の絵師・俵屋宗達(たわらやそうたつ)の名画は、広く知られる。雷神像は、現在でも雷様のイメージとして定着しており、興味深い。

二十八部衆立像(国宝)

  観音像の前列と中尊の四方にある28体の仏像・二十八部衆立像は、千手観音とその信者を守る神々で、インド起源のものが多い。檜材による寄木造りで、鎌倉時代の巨匠運慶の子・湛慶等の作である。目にはより写実性を高めるため、水晶を嵌め込む玉眼(ぎょくがん)という技法が用いられている。
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本堂西側の外縁

本堂西側の外縁

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通し矢


資料

 江戸時代、本堂西側の外縁では120mの軒下を一昼夜で何本の矢を射通すかという「通し矢」が盛んで、堂内にはその記録が多くの絵馬に残されており、和佐大八郎が13,053本中8,133本を射止めたという大記録が伝えられている。

 現在でも1月15日の成人の日に本堂の西庭で全国弓道大会が催されている。当日は無料で開放され、成人式を迎えたばかりの若い人も含めて1,500人が競技に参加し、2万人の人出で賑わうという。
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三十三間堂の池

三十三間堂の池

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池 泉

 鎌倉時代の造園法によって再現されている。

太閤塀

太閤塀

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 太閤塀(たいこうべい)は、南大門とともに豊臣秀吉ゆかりの桃山期の気風にあふれた重文・建造物である。
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朱塗りの鐘楼

平清盛が後白河上皇に寄進した三十三間堂。
その朱塗りの鐘楼に当時の栄華が忍ばれる。

朱塗りの鐘楼

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《 撮影 2001年10月27日 》 

オリンパス CAMEDIA C-3040ZOOM 300万画素

本堂の南端

本堂の南端

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平家物語と三十三間堂

 平家物語は、後白河法皇の冶世における平家の興亡を描いたものである。
 平家物語では「清盛の父・忠盛が都に得長寿院という寺院を造り、三十三間の御堂に一千一体の仏像を据えて鳥羽上皇に献上した。その恩賞として忠盛を但馬国の国司に任命し、内裏の清涼殿・殿上の間に出仕することを許可した。」旨の記述があり、史実と異なる内容となっている。いずれにせよ三十三間堂の建立は、平家の隆盛に大きく寄与したという。

 紅葉にはまだ早かったが、天候に恵まれ、散策には絶好のコンディションだった。国宝がゴロゴロと転がっているような感じを受ける京都。その歴史的重みをじっくりと体感することができた。(完)
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