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旅紀行ジャパン

2002年1月21日改訂

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2001年12月28日制作

宇治の平等院

平等院・鳳凰堂(パノラマ写真)

《 宇治・平等院・宇治上神社・興聖寺・萬福寺 》

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宇治茶の店

宇治茶 鎌倉時代、栄西禅師が中国の宋から持ち帰った種を京都栂ノ尾(とがのお)高山寺(こうざんじ)の明恵上人(みょうえしょうにん)に贈り、上人はこれを栂ノ尾に植え、喫茶の効能を認めて、宇治に移し植えたのが始まりとされる。
 江戸時代に入り、山城の国・宇治田原湯屋谷(うじたわらゆやだに)の永谷宗円翁(ながたにそうえんおう)によって宇治製法といわれる青製煎茶法(あおせいせんちゃほう)が創案され、宇治茶となって全国で飲まれるようになり、今日の日本の煎茶製法の礎(いしずえ)となった。
 鎌倉末期に始まる宇治茶は、中近世を通じ貴族や武士の保護を受けて発展した。幕末維新期に一時衰退したが、その後茶貿易への積極的参加、生産過程の近代化などによって活路を見いだした。
 現在も碾茶(てんちや)や玉露のような高級茶に特色があるが、市制施行以後住宅地化が進み、市域内の茶園は減少している。
 2001年12月8日(土)、絶好の行楽日和になり、京都・宇治を訪ねた。今年最後の撮影旅行である。
 平等院の鳳凰堂は東向きに建っているので、午前中に行かないと逆光になる。そこで朝早く出発。JR三ノ宮駅から京都駅まで新快速で50分。奈良行き快速に乗り換え、15分ほどで宇治駅に着いた。

宇 治

 宇治は、京都府南部にあり、1951年(昭和60年)宇治町ほか1町3村が合併して宇治市となった。人口約18万5千人。
 中心市街の宇治は、宇治川が京都盆地へ流れ出る谷口に位置する。景勝地で京都に近いため、平安京貴族の別荘地となった。
 宇治は、宇治茶で知られるが、輸送用機器、化学、電気機器などの近代工業も発達している。国道24号線、JR 奈良線、京阪宇治線、近鉄京都線が通ずる。
 世界文化遺産の平等院と宇治上神社(うじがみじんじゃ)をはじめ黄檗山(おうばくさん)萬福寺(まんぷくじ)など古社寺が多く、宇治川の天ヶ瀬(あまがせ)ダムとともに観光客が多い。

宇治川

 京都府宇治市から京都盆地へ流れ出す宇治川は、琵琶湖を水源として流出する唯一の川で、京都・大阪の府境付近で桂川、木津川と合流して淀川と名を変えるまでの流路の長さは約30km。上流は瀬田川といい、宇治市に入って宇治川と名を改める。
 宇治の地は古くから水陸交通の要地であり、また、幾多の著名な合戦の場となった。源氏物語の舞台ともなり、藤原摂関家(せっかんけ 摂政・関白を出す家)によって別荘や平等院が造営されたのは、宇治川の清流がおりなす山河の美が王朝人を魅了したからである。
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宇治橋

宇治橋

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宇治橋 1300年以上も昔、646年(大化2年)に初めて架けられたと伝えられる我が国最古の橋。この橋は、古今和歌集や源氏物語をはじめとする文学作品、絵画や工芸品といった美術作品に描かれるなど古くから景勝の地・宇治の象徴として親しまれてきた。
 現在の橋は、長さ155.4m、幅25m。1996年(平成8年)3月に掛け替えられたもので、木製の高欄に疑宝珠があしらわれるなど、この橋の豊かな歴史と文化にふさわしいデザインが施された。

日本一の石塔・十三重石塔(塔の島)

 南から北に流れる宇治川に架かる宇治橋の上流の中洲部分に中の島がある。宇治橋寄りが橘島、その上流に塔の島がある。日本最大の石塔である十三重石塔(重文)は、高さが15mあり、律宗僧・叡尊が建立した。
 彼は殺生禁断の思想から網代(あじろ)の木具や漁具を埋め、その上にこの石塔を建てて、魚霊の供養と宇治橋の安全を祈った。

宇治川・橘島にある柿本人麻呂の句碑

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宇治川

宇治川

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源氏物語 平安中期の物語。全54巻。主人公・光源氏(ひかるげんじ)を取り巻く貴族の雅な愛の物語で、作者は紫式部。現代では全編を三部構成と見る説が有力である。

 第1部は、1桐壺(きりつぼ)、2帚木(ははきぎ)、3空(うつせみ)、4夕顔、5若紫、6末摘花(すえつむはな)、7紅葉賀(もみじのが)、8花宴(はなのえん)、9葵、10賢木(さかき)、11花散里(はなちるさと)、12須磨、13明石、14澪標(みおつくし)、15(よもぎう)、16関屋、17絵合、18松風、19薄雲、20朝顔、21少女(おとめ)、22玉鬘(たまかずら)、23初音(はつね)、24胡蝶、25蛍、26常夏(とこなつ)、27(かがりび)、28野分、29行幸(みゆき)、30藤袴(ふじばかま)、31真木柱(まきばしら)、32梅枝(うめがえ)、33藤裏葉(ふじのうらば)
 第2部は、34若菜上、35若菜下、36柏木(かしわぎ)、37横笛、38鈴虫、39夕霧、40御法(みのり)、41幻(まぼろし)。(番外)雲隠(くもがくれ)

もののふの八十(やそ)氏河(うじがわ)
の網代木(あじろぎ)にいざよふ
波の行く方しらずも

【柿本人麻呂】万葉集巻三264

 この歌は、柿本人麻呂が近江の国(滋賀県)から都に上るとき、宇治川の辺りまで来て作ったもの。万葉の歌にしばしば見られる「無常感」が川の流れに託されている。
 もののふは八十の枕詞。八十氏(やそうじ)と宇治川とがかけ詞になっている。宇治川は支流の多い川で、それに多くの部族に分れていることを示す八十氏という言葉に掛けている。
  網代は、川に杭を打ち、その間に竹で編んだ簀(す)を置いて魚を取る(やな)のことで、網代木はその杭のこと

源氏物語の碑

源氏物語の碑

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 宇治川の橘島と東岸にかかる朝霧橋の東のたもとに、54帖に及ぶ源氏物語の末巻を飾る宇治十帖(うじじゅうじょう)を記念する碑が建っている。

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 第3部は、42匂宮(におうみや)、43紅梅、44竹河(たけがわ)、45橋姫、46椎本(しいがもと)、47総角(あげまき)、48早蕨(さわらび)、49宿木(やどりぎ)、50東屋(あずまや)、51浮舟、52蜻蛉(かげろう)、53手習、54夢浮橋(ゆめのうきはし)
 橋姫以下10巻は、舞台が宇治に移って物語が展開することから、一般に宇治十帖(うじじゅうじょう)と呼ばれる。

宇治の紅葉

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源氏物語ミュージアム

 記念碑からさわらびの道を15分ほど歩くと、源氏物語の宇治十帖にちなんで1998年(平成10年)秋にオープンした新名所・宇治市立源氏物語ミュージアムがあり、源氏物語の雅(みやび)な世界が再現されている。

源氏物語ミュージアム

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宇治の散り紅葉

 宇治川東岸、興聖寺(こうしょうじ)に至る琴坂の南側に、墓地を挟んで見事な紅葉が残っていた。
 地面に散りばめられた紅(くれない)の散り紅葉(ちりもみじ)の何と素晴らしいこと! 
 白壁と紅葉と散り紅葉が詩情をそそる。これが今年の紅葉の見納めとなった。
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