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琴坂 1 |
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琴 坂
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源氏物語の碑から川上に向かって10分ほど歩くと、興聖寺(こうしょうじ)の門に至る。この門をくぐると、細くてなだらかな琴坂と呼ばれる参道が寺に向かって一直線に延びている。
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この参道は、脇を流れる小川のせせらぎが琴の音に似ていることから琴坂と呼ばれる。
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紅葉の名所として知られる琴坂の風景は、宇治十二景の一つに数えられ、昔から多くの人々に親しまれてきた。
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琴坂 2
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興聖寺は、曹洞宗永平寺派の寺で、宋の留学から戻ってきた道元が越前の永平寺を開く前の1236年、京都・伏見深草に興聖寺を建立したが、その後戦乱が続き廃絶した。 |
1648年(慶安1年)、淀の城主・永井尚政によって、宇治七名園の一つ・朝日茶園であった現在の場所に興聖寺が再興された。山号は仏徳山。 |
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道元禅師像
(資料) |
道元といえば越前の永平寺と思われがちだが、曹洞宗最初の寺は、この興聖寺である。
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琴坂の紅葉
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宋風の山門 |
山門を通して紅葉の琴坂がトンネルのように見える。
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中興の開山は万安英種(ばんあんえいしゆ)。道元の遺徳をしたう英種の峻厳枯淡な禅が、そののち興聖寺の伝統的な禅風となった。 |
江戸時代、興聖寺は畿内を中心に末寺250余ヵ寺、諸国から多くの雲水(うんすい)が集まって修行し、越前の永平寺、加賀の大乗寺、能登の総持寺、肥後の大慈寺とあわせて日本曹洞五箇禅林とうたわれた。 |
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興聖寺本堂
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現在、寺地は平等院の対岸、宇治川の清流に臨み、河畔から直線にのびる琴坂を経て宋風の山門を入ると、本堂以下の創建当初の諸堂が並ぶ。 |
興聖寺庭園
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境内には茶人でもあった尚政が植えた松、桃、梅、柳、桜、モミジなどが四季おりおりの景趣を添え、枯淡閑寂な雰囲気を醸し出している。 |
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