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旅紀行ジャパン
2002年1月21日改訂
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2001年12月28日制作

宇治の平等院

平等院・鳳凰堂(パノラマ写真)

《 宇治・平等院・宇治上神社・興聖寺・萬福寺 》

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表 門

阿字池

阿字池

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 宇治の平等院は、現在は天台浄土系の単立寺院で朝日山と号する。本尊は阿弥陀如来。

 宇治関白・藤原頼通が父道長から伝領した別荘の宇治院を、仏教が衰える末法(まつぽう)の第一年と考えられていた1052年(永承7年)に寺に改め、翌年中心伽藍となる阿弥陀堂(鳳凰堂)を建て、定朝(じょうちょう)作の丈六の阿弥陀座像(釈迦の仏身長・丈六(1丈6尺)の座像(その半分の8尺・2.424m))を安置したことにはじまる。

 以来平安末まで、摂関家(せっかんけ 摂政・関白を出す家)の氏寺として一門の崇敬を受け、師実、忠実らによる諸堂塔の建立も続いて、全盛期を築いた。
 阿弥陀堂はさながら現世の浄土のようで、【極楽いぶかしくば、宇治の御堂(みどう)を礼すべし】とまでいわれ、経蔵は、一切経のほか天下の名宝が納められ、3月3日の一切経会は、摂関家一門の参詣で大いに賑わった。

10円玉の表

平等院阿弥陀堂(鳳凰堂)がデザインされている。

 しかし、寺地が都の攻防の要衝にあったため、中世以降たびたび戦禍にまきこまれた。平家打倒の兵を挙げて敗れた源頼政は観音堂の側の〈扇の芝〉で自害し、1486年(文明18年)山城国一揆の国人の集会はこの寺で行われた。
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阿弥陀堂(鳳凰堂)[国宝]

阿弥陀堂(鳳凰堂)

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 中世末には当初の堂舎のほとんどが焼失し、寺運も衰えた。建立当初から天台宗寺門派に属したが、近世にははじめ真言と浄土、のち天台と浄土の間に寺家の経営をめぐって争いがあり、確執は後世まで続いた。

 現在庭園は国の史跡・名勝に指定され、境内に阿弥陀堂や観音堂のほか、天台系単立寺院の最勝院、浄土宗の浄土院がある。
 創建当時のまま残っているのは、阿弥陀堂(1053年)だけで、本尊の阿弥陀如来座像をはじめ、51体の雲中供養菩薩像、建物が国宝となっている。
 千年近くの歴史を誇る平等院。院内には鳳凰堂や梵鐘など数多くの国宝があり、その当時の優美な姿を現在に伝えている。1994年(平成8年)、世界文化遺産に登録された。


鳳凰堂[国宝]

 阿弥陀堂が鳳凰堂と呼ばれるようになったのは江戸時代の初め頃で、建物全体が鳥が羽を広げた形に似ていることや、中堂の屋根の棟飾りとして一対の鳳凰がとりつけられていることから名付けられたとされている。
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本尊・阿弥陀如来座像[国宝]

本尊・阿弥陀如来座像

資料

 東向きに建てられた鳳凰堂は、本瓦葺きで、中堂は単層入母屋(いりもや)造りで正面三間、側面二間の母舎(もや)のまわりに一間の裳階(もこし 建物を囲む一段低い屋根)をつけ、正面14.2m、側面11.8mある。
 左右の翼廊は、切妻(きりづま)造りで、南北に五間づつ延び、更に東に三間折れ曲がっている。翼楼両端の二階部分は、実用的な意味はなく、中堂の持つ重量感を左右にそらし、全体的なバランスを生み出す役割があるという。

 本尊・阿弥陀如来座像[国宝]

 鳳凰堂中堂母舎の須弥壇(しゅみだん)に安置されている本尊・阿弥陀如来像は、藤原時代を代表する仏師定朝(じょうちょう)の晩年の傑作で、現在のところ定朝作として確証のある唯一のものだという。
 丈六の像高は約2.5m、寄木(よせぎ)漆箔(しっぱく 漆で付着させた金箔)の本尊は、定印(じょういん 写真左の様な手の形)を結び、相好(そうごう)円満、螺髪(らはつ 頭髪1本ずつが右回りに貝のように巻いている髪型)は細かく整えられ、伏し目がちで口は軽く結び、なで肩で、衣紋(えもん)も浅く流れるような線で彫られている。均整のとれた安定感は、いかにも貴族好みの優雅で女性的な感じを漂わせている。
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     雲中供養菩薩像(番外)

作成当時の極彩色に再現したもの

                      

雲中供養菩薩像・南20号

雲中供養菩薩像・南1号

雲中供養菩薩像(南20号)

雲中供養菩薩像(南1号)

資料

宇治・平等院のホームページ

雲中供養菩薩像[国宝]

 鳳凰堂中堂母舎内側の長押(なげし 柱をつないで柱面に打ち付けた化粧の横木)上の小壁(こかべ)に懸けならべられている52体の菩薩像は、定朝(じょうちょう)工房で1053年(天喜元年)に製作されたもので、南北二つのコの字形に本尊阿弥陀如来坐像を囲んで並んでいる。
 この群像は、南北半数ずつに分けてかけられ、各像には北側分は1から26までの、南側分は1から25までの番号がつけられている。南側の最後にある1体は、他の51体が国宝指定を受けた後に堂外から発見されたもので、番外となり、国宝の指定は受けていない。
 各像はいずれも頭光(輪光)を負い、飛雲上に乗って変化にとんだ姿勢をとっている。5体は比丘(びく)形(僧形)で、他は菩薩形。
 菩薩形の像は、多くが坐像で、色々な楽器を演奏したり、持物をとったり、合掌したりしている。菩薩形像のうち6体が舞い姿の立像。

 各像のゆったりとしたやわらかな肉どりや、穏やかな顔だち、自然な衣文(えもん 着衣のひだ)などは本尊・阿弥陀如来像に共通 している。

南20号

 右方になびく雲の上に置かれた蓮華座の上に正面を向いて立ち、踊る姿。 比較的厳しい表情をしているが、腰を捻って舞う艶麗なさまは平安時代後期の美意識をうかがわせる。

南1号

 左方になびく雲の上に左方を向いて跪き、拍板をとる姿。しっかりと刻まれた顔の造作と微妙な起伏をみせる肉取りは、少し古い時期の造形感覚をうかがわせ、この時期の古様と新様の振幅を示している。

浄土庭園

浄土庭園

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梵 鐘

梵 鐘

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 浄土庭園は、頼通の父道長による法成寺(ほうしょうじ)にもあり、平等院において完成の域に達した後、これを範として全国に伝搬した平安時代の代表的な庭園様式である。
 平安時代の庭園は、こぶし大の礫(れき)が敷き詰められた穏やかな洲浜(すはま)と浅い池が大きく広がり、自然と一体化した開放的な空間であったという。

梵 鐘 [国宝]

 梵鐘は、古来より「姿・形の平等院」といわれ、「音の三井寺(みいでら 滋賀県大津市にある天台寺門宗の総本山で園城寺(おんじょうじ)の俗称)」「銘の神護寺(じんごじ 京都市右京区にある高野山真言宗別格本山)」とともに日本三名鐘の一つに数えられている。鐘楼にある梵鐘は複製で、国宝の梵鐘は鳳翔館に展示されている。

鳳翔館

 平等院の宝物館で、いずれも国宝に指定されている鳳凰一対、梵鐘、雲中供養菩薩像51体の内半数の26体などを常設展示している。また数々の宝物とあわせて発掘調査による出土品も展示しており、必見である。
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