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 旅紀行ジャパン
2002年7月7日改訂
BGM
写真をクリックすると新しい窓が開き拡大写真(1200x523172KBが表示されます。 2001年10月14日開設
神戸の中心部
六甲山麓に細長く広がる神戸の中心部
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風見鶏見上げる人の夏夕べ
  
People looking up a weathercock
in the summer evening.

風見鶏の館

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うろこの家
 ひときわ目をひく天然石の外壁。魚のうろこにも見えるところから名の由来がある。

 1905年(明治38年)、外国人の高級借家として居留地に建てられたもので、明治後期に北野の地に移築された。

 アンティークの家具調度品や、古マイセンなど西洋の名だたる磁器のコレクションを公開している。

 隣接するうろこ美術館ではトロワイヨン、ルオー、キスリンなどの西洋名画が展示されている。
 

  
異人館街

 1868年(慶応3年)の神戸開港に伴い、 現在の神戸市役所の西側一帯に外国人のための居留地が設けられたが、 来日する外国人の増加などにより、しだいに住宅地が不足しはじめ、 神戸港を一望できる山の手が新たな住宅地として注目されるようになった。これが、現在北野町・山本通に残る異人館街のはじまりである。

 現在、北野・山本地区の異人館街は、国の「重要伝統的建造物群保存地区」に指定されており、 この地区の景観の保護に力が注がれている。地区内には国の重要文化財に指定された「風見鶏の館(旧トーマス邸)」、「うろこの家」、「萌黄(もえぎ)の館(旧シャープ邸)」をはじめ伝統的建造物に指定された洋風建築が34棟あり、 重要な観光資源となっている。

風見鶏の館

 風見鶏の館は、異人館街の一角に建つ神戸を代表するシンボルだ。尖塔の上にいただいた風見鶏、山々の緑にひときわ映える色鮮やかな赤レンガの外壁は、他の異人館を圧倒する風格を備えている。

 この館は、1909年(明治42年)にドイツ人貿易商G. トーマス氏によって建てられ、1914年(大正3年)まで自宅として使用されていた。ドイツ人建築家の設計により建てられたもので、ドイツの伝統様式を取り入れた室内は重厚な雰囲気で、1階の各部屋の天井のデザインが異なるなど意匠も凝っている。

歩道に映し出された風見鶏

 風見鶏の館は、神戸っ子にとってもデートと夕涼みのスポットとして人気が高い。夏場だけライトアップされていて、とんがり帽子の屋根の上の風見鶏が、黒い空をバックにクッキリと浮かび上がっている光景がみものだ。館の前はちょっとした広場になっていて、屋外コンサートが開けるようになっている。

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南京町(通称「中華街」)

 1868年(慶応3年)の神戸開港に伴い、外国人のための居留地が設けられたが、 日本と通商条約を締結していなかった当時の中国「清(しん)」の人々はその中に住むことが許されず、居留地の周辺に住ようになったのが南京町のはじまりである。

 やがて、雑貨商や飲食店などが軒を連ねるようになり、昭和初期には世界各地の珍品が揃い、 全国各地から買物客が押し寄せるほどの賑わいを見せた。

 第二次世界大戦中の空襲で大打撃を受けたが、関係者の努力で見事に復興し、今では100軒近い店が軒を連ね、横浜・長崎と並ぶ日本三大中華街のひとつとして全国的に有名である。元町駅近くの一等地にあり、多くの観光客で賑わっている。

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フロインドリーブ

 神戸は、開港後、多くの異人が住み着き、多くの国から異文化が持ち込まれ、ひと味違った異国情緒あふれる街となった。街並みも洗練されていて、多くの若者の心を惹きつけている。

 フロインドリーブは、教会だった建物をレストランに改造したもので、女性を中心とした若者に人気のあるスポットだ。レストランは2階にあり、異国情緒豊かな高い天井と大きな窓で囲まれたゆったりとした空間のなかで、パンやサンドイッチを主体とした特製の料理を楽しむことができる。本店は北野のハンター坂にあり、フランスパンやドイツパンなどを販売している。フロインドリーブとは、友情を意味するドイツ語だそうだ。

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北野工房のまち

 旧北野小学校は、全国的な少子化による児童数の減少と阪神淡路大震災の被害により、隣接するふたつの小学校との統合が決定され、1996年(平成8年)閉校となった。同校は、1908年(明治41年) に開校され、閉校時で87年の歴史を誇る小学校であり、卒業生らによる校舎保存の要望を受けて校舎を再利用することになり、1998年(平成10年)に「北野工房のまち」がオープンした。

 かって異人さんたちが通勤路として通ったトアロードの一角にある「北野工房のまち」は、文字どおり“工房”の集まりだ。洋服、靴、和紙、パン、珈琲、ビール、洋菓子、和菓子、アイスクリーム、押し花、写真など、1階と2階にあった教室を半分に区切った工房が並んでいる。

 一区画8坪という狭いスペースの半分が職人の生産の場に当てられ、職人自ら客を迎えるというコンセプトは、全国的にも珍しい試みである。

 校庭は大型観光バス21台収容可能な駐車場となり、毎日多くの観光客が訪れる。異人館の見学もこの駐車場が利用される。観光スポットとしてだけでなく、地元民からも歓迎されているユニークな試みだ。

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神戸ルミナリエ

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神戸ルミナリエ

 神戸市中央区の旧居留地を舞台に2週間に渡って行われた神戸ルミナリエが2001年12月25日(月)に終わった。阪神・淡路大震災の犠牲者への鎮魂の思いを込め、1995年に始まったルミナリエも今年で7回目。最終日も250mに渡って続く光りのアーチに人の列が途切れることはなかった。

 夜店の数も多く、日本中から集まった感じで、市役所までびっしりと並んでいた。寒いのでたこ焼きやお好み焼きなどが飛ぶように売れていた。最終的に人出は519万人となり、過去最高を記録した。

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インフィオラータ2002

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インフィオラータ2002

 2002年(平成14年)のゴールデンウィーク、4月27日から3日間、異人館で知られる神戸市の北野坂(きたのざか)で、道路にチューリップの花びらを敷き詰めて巨大な絵を描くイベントがあった。このイベントの正式名称は、インフィオラータこうべ「北野坂」2002という。 

 インフィオラータ infiorata とは、イタリア語で「花を敷き詰める」という意味。通りや広場に花びらで絵模様を描くもので、イタリアのジェンツァーノ市をはじめヨーロッパ各都市で盛んに行われている。 神戸市では、阪神・淡路大震災の復興支援として1997年に始まり、すっかり神戸の春の風物詩として定着した。今年は北野坂のほか3会場で行われた。 

 北野坂会場での主催は、北野町や山本通りの自治会などで構成するインフィオラータこうべ「北野坂」実行委員会で、神戸市などが後援している。 

 使用されているチューリップは、富山県砺波(となみ)市と新潟県亀田郷の農家から、球根栽培のために肥料にしてしまう花を提供してもらったもの。花びらに傷がつかないよう、一本ずつ手作業で集めたものだという。

 花絵は、長さ約300mの車道上に12枚描かれ、一枚につき、10mx5mの広さに37,000本のチューリップ(花びらと茎)が使われる。花絵のまわりは、芝生を敷き詰めている。使用したチューリップは合計45万本、縁取り用チップ200袋(16,000リットル)、芝生1,000u、約1,000人のボランティアが従事した。

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