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2003年8月12日改訂

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小天狗道中記
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♪島の祭り / KasedaMusicLabo

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2002年11月8日制作

鞍馬天狗(鞍馬駅/叡山電鉄)

鞍馬天狗(鞍馬駅/叡山電鉄)

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鞍馬駅

鞍馬寺の参道

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鞍馬寺(くらまでら) 昭和22年(1947)立教開宗した鞍馬弘教(くらまこうきょう)の総本山。鞍馬山(くらまやま)のうち42万uを寺領とし、三尊尊天(さんそんそんてん 護法魔王尊、毘沙門天、千手観世音)を本尊とする。
 宝亀元年(770)鑑真和上(がんじんわじょう)の高弟・鑑禎上人(がんさいしょうにん)が夢告により毘沙門天を祀る草庵を結んだことに始まる。延暦15年(796)造東寺長官の藤原伊勢人(ふじわらのいせんど)が王城鎮護の寺として伽藍を建立。爾来、公武の信仰あつく、はじめ真言宗、平安末から天台宗に転じ、その後は延暦寺の末寺となった。
 中世以来、牛若丸伝説で名高く、また毘沙門天信仰が高まると、鞍馬御師とか願人坊主と呼ばれた法師が毘沙門天の粁仏(すりぼとけ)や鬼一法眼(きいちほうげん)の兵法虎の巻と称するものを広く配布して歩き、鞍馬信仰は庶民社会に定着した。
 軍記文学、謡曲、歌舞伎、浄瑠璃、浮世草子など、鞍馬を題材にした文芸がさらに当寺を庶民になじみ深いものとした。寺宝には国宝の本尊・毘沙門天ほか多くの仏像、鞍馬経塚の出土品などがある。
 鞍馬寺は、京都では親しみを込めて「くらまさん 鞍馬山」と呼ぶ。江戸時代には松尾山(しょうびさん)という山号があったが、今は山号を持たない。「くらまやま」は、鞍馬山の地理的呼称である。
 2002年10月31日、京都北山の鞍馬に行った。JR京都駅から17系統のバスで出町柳(でまちやなぎ)まで30分、叡山電車で終点鞍馬まで30分で着く。

 鞍馬は山の中である。京都市左京区、鞍馬山麓の鞍馬川沿いにひらけた集落で、上賀茂から丹波へ通じる鞍馬街道が通る。
 駅に降りるとホームに天狗の面が飾ってあり、駅を出ると巨大な天狗の頭部が置かれていた。(見出し写真) 鞍馬は天狗の里である。
大天狗

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僧正が谷の天狗

 僧正が谷(そうじょうがだに)は木の根道が続く奥の院の大杉権現、不動堂、魔王殿の辺り一帯を指し、伝説によれば、この付近は古来から天狗が棲みつき、牛若丸(義経)はここで鞍馬の天狗をはじめ高雄・愛宕の天狗などから武芸を教わったという。

 天狗は古くから山岳信仰とかかわりがあり、修験者(しゅげんじゃ)が守護神としていたが、中世以降山伏の堕落もあり、天狗を妖怪や魔物とみなす風潮が生まれるなど、時代と共に姿やイメージも変化した。

 鞍馬・比叡・愛宕・飯綱・白峯・大峯・大山・彦山など全国各地の霊山には天狗伝承があり、大天狗・小天狗・烏天狗・木の葉天狗などの階層もつけられているが、中でも鞍馬山の大天狗は、僧正坊(そうじょうぼう)と呼ばれ、日本各地の天狗たちの総元締めとして、また、僧正が谷は総本山として語り継がれている。
烏天狗

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 駅を出て坂道をのぼると石段が見え、鞍馬寺(くらまでら)の仁王門に至る。参道に面する土産物屋や食堂、旅館などが門前町を形成する。

牛若丸と鞍馬

 牛若丸は京都に生まれ京都で育った。7歳から10年間、鞍馬山で昼は学問に励み、夜は毎日奥の院まで出かけて兵法修行を重ねたという。
02

鞍馬寺

鞍馬寺

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天狗 天狗は日本人の霊魂観から発する霊的存在で、さまざまに形象化されて庶民信仰の対象となり、絵画、彫刻、芸能に表現され、口誦伝承や民間文芸の主題となった。
 原始的神霊観に支えられているので、顕著な善悪二面性をもつが、天狗を信仰対象や芸術、芸能、文芸にとりいれたのは山岳宗教の修験道であり、一般的認識では天狗即山伏というような印象をもたれている。
 この宗教の世界では天狗の原質は山神山霊と怨霊である。したがって善天狗は修験道の寺院や霊場や修行者を守る護法善神で、〈南無満山護法善神〉といって礼拝される。
 護法童子、金剛童子としてまつられるのは山神(山の神)たる天狗である。このような山神天狗はその山の開山たる高僧や山伏に服属して、守護霊であるとともに使役霊となって、諸国を弁ずる。したがって疾走飛行自在であり、山上に食物や水をもたらすことができると信じられた。平安時代には天狗は天童や金剛童子と呼ばれていて、童子形で表現されたのはそのためである。
 特に有名なのは京都北山(きたやま)の鞍馬山で、天狗の絶大な除魔招福の霊力を、恐怖とともに信仰祈願する者が絶えない。この天狗の別称は大僧正(だいそうじょう)で、大魔王尊は僧正が谷に祀られている。牛若丸に武技を授けた天狗として名高いが、大僧正の名は上級山伏を大僧(だいそう)と呼ぶことからきているといわれる。

鞍馬の祭礼

 鞍馬寺の竹伐り会式(たけきりえしき)は、6月20日に本堂の前で大蛇に見立てた青竹4本を東西二手の山法師が山刀で切り競い、その年の豊凶を占う祭りである。
 10月22日の夜中に行われる鞍馬の火祭りは、鎮守の由岐(ゆき)神社の例祭で、門前の人々が松明(たいまつ)をもって「さいれーや、さいりょう!」と叫びながら練り歩く。鞍馬の山は火の海のように見え、広隆寺の牛祭、今宮神社のやすらい祭とともに京都三奇祭とされる。

鞍馬寺仁王門 

鞍馬寺仁王門

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 仁王門は湛慶(たんけい)作の仁王尊像を祀っており、俗界から浄域への結界をなす。

阿吽の寅

阿吽の寅

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 仁王門の前には一対の寅が睨みをきかせている。本尊の毘沙門天が寅の年・寅の月・寅の日・寅の刻に現れたという故事から寅が毘沙門天のお使いとなっている。阿吽(あうん)の寅と呼ばれる。
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童形六体地蔵尊

童形六体地蔵尊 仁王門を過ぎると、すぐに六体の地蔵尊に遭遇する。幼児の無垢な表情や仕草が表現されており、心が和む。

鬼一法眼社と魔王の滝

 仁王門を通過し、放生池を過ぎて間もなく、魔王の滝と書かれた石鳥居がある。魔王の滝は修験者が水垢離をしていたところで、現在は落石があり使用されていない。
鬼一法眼社と魔王の滝

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 魔王の滝に並んで鬼一法眼社(きいちほうげんしゃ)がある。 牛若丸に六韜三略(りくとうさんりゃく)の兵法を授けた武芸の達人・鬼一法眼が祀られている。
 鬼一法眼は一条堀川に住んでいた陰陽師(おんみようじ)といわれている。義経はその娘の手引きでこの兵法をひそかに写しとったという。
04

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由岐神社
 由岐神社は、元は御所の内裏に祀られていた。当時、天皇の病気や天下不穏の際に、社前に靭(ゆぎ 矢入れ)をかかげて祈願したところから、靭(ゆぎ)明神とも呼ばれた。祭神は少彦名命(すくなひこなのみこと)と大巳貴命(おおなむちのみこと 大国主命の別称)。

由岐神社

 京の御所に祀られていた由岐(ゆき)大明神は、天慶元年に都の大地震、天慶2年には平将門の乱(天慶の乱)と相次ぐ世情不安に、当時の朱雀天皇の詔勅により、天慶3年(940)9月9日御所の北方鞍馬の地に遷宮した。
 遷宮の際、京の鴨川に生えていた葦で松明(たいまつ)を造り、道々には篝火(かがりび)を焚き、神道具を先頭に行列は10町(1km)に及び、国家的一大儀式となった。
 鞍馬の地元民は大いに感激し、松明を持って供奉(ぐぶ)し、道筋に篝火を焚いて迎えたという。この儀式と由岐大明神の霊験を後生に伝え守ってきたのが鞍馬の火祭りの起源である。
由岐神社割拝殿

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由岐神社境内

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由岐神社割拝殿

 由岐神社は鞍馬寺の鎮守社で、豊臣秀吉の信仰があつく、慶長12年秀頼によって本殿と拝殿が再建された。
 拝殿は、中央に通路をとった割拝殿という珍しい拝殿で、桃山時代の代表的建造物であり、現在は国の重要文化財に指定されいる。
御神木

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 拝殿の下から通路を見上げると、注連縄(しめなわ)が張られた千年杉の御神木が見える。
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