ホームページお知らせお便りコーナー徒然日記俳句・海の風景ホームページ奮闘記作者のプロフィールリンク
 

和田義男

 旅紀行ジャパン

2004年3月2日改訂

今 日

昨 日

雪傘 TAM Music Factory

    写真をクリックすると新しい窓が開きパノラマ写真(1200x900)289KBが表示されます(以下同じ)。

2004年3月1日作成

宮川に架かる中橋(飛騨高山)

宮川に架かる中橋(飛騨高山)

高山陣屋 上三之町 飛騨の匠

JR高山駅

JR高山駅

拡大写真(1200x660)140KB

 2004年2月7日(土)、飛騨高山に行った。前日に白川郷に行き、夜は高山駅前のホテルに宿泊したので、混雑する場所は早朝にまわることができた。 雪の白川郷

高山市たかやまし

 高山市は、岐阜県北部の高山盆地にある。昭和11年(1936)市制。人口66,430(2000)。

 古くは飛騨国府が置かれたといわれ、金森長近(かなもりながちか)が飛騨全域を支配して城下町を経営して以来、飛騨の政治・経済・交通の中心地となった。

 その後、幕府直轄地となって陣屋(じんや)が置かれた。明治以後も高山県庁などが置かれ政治の中心であったが、昭和9年(1934)に高山本線が全通して産業が急速に発展し、周辺山地の森林資源を背景に家具、建具などの木工業が盛んになった。
 また300年の伝統をもつ春慶塗(しゅんけいぬり)、飛騨工(ひだのたくみ 飛騨匠)の流れをくむという一位細工、酒造業も盛んである。
 宮川の両岸に発達した市街地には、国の重要伝統建築物保存区域に指定された上三之町(かみさんのまち)の町屋など城下町の古い町並みがみられ、国史跡の高山陣屋、重要文化財の町家、室町時代建造の国分寺などの古社寺も多い。
 高山祭は、4月14〜15日(日枝神社)、10月9〜10日(八幡神社)の春秋2回行われ、国の重要民俗文化財に指定された屋台(山車)が絢爛豪華な祭り絵巻を展開する。 高山市の公式ページ

高山陣屋前

高山陣屋前

拡大写真(1200X900)244KB 【E-1 56mm/28-108mm  F8.0 1/400秒 ISO200】

丁髷ちょんまげ

 

丁髷の車夫

拡大写真(1200X900)244KB 【E-1 566mm/100-400mm+EC14  F6.3 1/320秒 ISO200】

陣屋前朝市

 最初に高山陣屋に行った。早朝にもかかわらず、陣屋前には既に朝市がたっていた。雪が舞い、路面が凍結していても、おばさんたちは一向に気にしていない様子。いつものように店を開き、客を待っていた。

 女の子が二人、店番をしていた。今日は土曜日なので、学校は休みなのだろうか。安いので漬け物や豆餅などを土産に買った。

店番の二人

店番の二人

拡大写真(1200X900)259KB 【E-1 28mm/28-108mm  F6.3 1/200秒 ISO200】

  高山の陣屋の朝市寒の餅 北舟 

朝市のおばあさん

朝市のおばあさん

拡大写真(1024x768)99KB 【E-1 234mm  F4.5 1/250秒 ISO200】

お安いですよ!

お安いですよ!

拡大写真(1200x900)233KB 【E-1 28mm  F7.1 1/200秒 ISO200】

高山陣屋たかやまじんや

 元禄5年(1692)徳川幕府は金森氏を上ノ山(かみのやま)(山形県)に転封したあと飛騨を幕府直轄領(天領)とした。それ以来、明治維新に至るまでの177年間に25代の代官・郡代(だいかん・ぐんだい)(検地により石高が増えたため途中で代官所から郡代所に昇格)が江戸から派遣され、天領の行政・財政・警察などの事務を行った。

 この役所を「高山陣屋」と称した。明治以後は県庁、郡役所、支庁、県事務所など地方の役所として使われてきた。戦災に遭わなかったため、全国で唯一現存する郡代・代官所として貴重であり、国史跡に指定されている。

冬の陣屋

冬の陣屋

パノラマ写真(1200x900)192KB 【E-1 28mm/28-108mm  F9.0 1/400秒 ISO200】

 文化13年(1816)に改築した当時の玄関が残っている。10万石格を示す2間半の大床(おおどこ)や、大名も使用をはばかったといわれる青海波(せいかいは)模様が目を引く。御用場は事務室。寒いために火鉢が置いてある。

玄関の青海波

御用場

玄関の青海波 御用場

拡大写真(1024x768)199KB 【E-1 28mm  F3.5 1/30秒  Fl.  ISO200】

拡大写真(1200x900)147KB 【E-1 28mm  F2.8 1/30秒  Fl. ISO200】

御白州おしらす

 砂利が敷かれて白く見えるので白州といい、犯罪者を吟味(取調べ)するところである。一般市民は白州、由緒ある浪人や御用達町人は板縁、武士・僧侶・神官は縁側で吟味を受けたという。

 三角形の角材を並べた責台(せめだい)。1枚40kgもある抱石(だきいし)。責台に被疑者を正座させ、膝の上に抱石をのせて拷問した。壁には責めに使った箒尻(ほうきじり)と呼ばれるたたき棒。罪人を運ぶ囚人駕籠。拷問による自白を強要した当時の生々しい取調べの様子が連想される。

御白州と拷問の道具

御白州と拷問の道具

拡大写真(1600X1200)264KB 【E-1 28mm/28-108mm  F2.8 1/30秒 Flash ISO200】

御蔵おくら

 元禄8年(1695)に高山城三之丸から移築され、年貢米を収蔵したこの御蔵は、当時2棟あったが現存するのは1棟のみ。日本最古で最大規模の御蔵であるという。

 年貢米俵は、天領俵とも菊俵とも呼ばれ、玄米4斗に込米(こめまい)1升を入れて1俵とした。込米は年貢米の自然乾燥などによる減量を補うために納める米で、付加税となる。

年貢米俵

雪国らしい回廊

年貢米俵 雪国らしい回廊

拡大写真(1200x900)222KB 【E-1 28mm  F2.8 1/30秒  Fl. ISO200】

拡大写真(1200x900)222KB 【E-1 56mm  F4.5 1/125秒 Fl. ISO200】

雪に埋まる陣屋

雪に埋まる陣屋

拡大写真(1200x680)127KB 【E-1 28mm/28-108mm  F20.0 1/160秒 ISO200】

雪の宮川(中橋から上流

雪の宮川(中橋から上流)

拡大写真(1200X900)289KB 【E-1 46mm/28-108mm  F9.0 1/500秒 ISO200】

高山陣屋 上三之町 飛騨の匠
Wa☆Daフォトギャラリー

今 日

 和田フォトギャラリー

昨 日

 Copyright (C) 2000-2006 Yoshio Wada. All Rights Reserved. 

ホームページお知らせお便りコーナー徒然日記俳句・海の風景ホームページ奮闘記作者のプロフィールリンク