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和田義男

 旅紀行ジャパン

2004年3月2日改訂

♪栄華の墓場 TAM Music Factory

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2004年3月1日作成

高山屋台会館

役行者(高山屋台会館/飛騨高山)

高山陣屋 上三之町 飛騨の匠

飛 騨 匠ひだのたくみ

 古くから飛騨の国は、毎年税の代わりに匠(たくみ)を大和朝廷へ送っていた。毎年選ばれて都へ出た匠たちは、100〜150人を数え、奈良の都の宮殿や寺の建築に従事してその腕前をふるった。

 匠が都へ送られた期間は約600年、延べ7〜8万人の飛騨人が一年間都で働いたという。これらの人々を総称して飛騨工(ひだのたくみ)(飛騨匠)と呼ばれる。現代においても飛騨匠の技は、高山祭の屋台をはじめ数々の伝統工芸に継承されている。

宮川下流の雪景色

宮川下流の雪景色

春慶会館

春慶会館

春 慶 塗しゅんけいぬり

 春慶塗は飛騨匠の伝統工芸の一つである。漆塗法の一種で、木地に黄または赤で色付けし、透明な透漆(すきうるし)を上塗りして木目の美しさをみせる。一説に南北朝時代、和泉国堺の漆工春慶の創始と伝える。

 近世になり各地で各種の春慶塗が行われたが、現在は岐阜の飛騨春慶が主で、他に秋田の能代春慶、長野の木曾春慶などがわずかにその伝統を守っている。

 飛騨春慶は江戸初期、高山城主金森可重の子である茶人金森宗和が塗師成田三左衛門に盆類をつくらせたのに始まるといわれる。
 木地はへぎ目(削った面)を生かしたもの、変形鉋(かんな)で文様を彫るものがあり、それを淡黄色に着色し透明漆を塗る黄春慶が主である。茶道・宗和流(そうわりゅう)と関係深く、茶器類が多い。

飛騨春慶の名品

飛騨春慶の名品

拡大写真(1200X900)158KB 【E-1 28mm/28-108mm  F3.2 1/30秒 Flash ISO200】

からくり実演館

 全国の獅子頭を集めた獅子会館の一角にからくり実演館があり、からくり人形に命を吹き込んだ飛騨匠の技を見ることができる。お馴染みの茶坊主をはじめ、「牛若丸の乱杭渡り」や「大黒様の獅子舞」などが実演され、その精巧な技に感激する。

からくり実演館

拡大写真(1200X900)199KB 【E-1 28mm/28-108mm  F2.8 1/30秒 Flash ISO200】

牛若丸の乱杭渡り

牛若丸の乱杭渡り

拡大写真(1200X900)107KB 【E-1 152mm/100-400mm+EC14  F4.0 1/80秒 ISO200】

絡繰からくり

の匠の技や雪坊主  北舟

大黒様の獅子舞

盆に茶碗を乗せると動き出す茶坊主

大黒様の獅子舞 盆に茶碗を乗せると動き出す茶坊主

拡大写真(1200x900)135KB 【E-1 160mm  F4.0 1/160秒 Fl. ISO200】

拡大写真(1200x900)108KB 【E-1 66mm  F3.2 1/25秒 ISO200】

茶坊主から茶菓子を頂く観客

茶坊主から茶菓子を頂く観客

拡大写真(1200X900)125KB 【E-1 140mm/100-400mm+EC14  F4.0 1/160秒 Flash ISO200】

江名子川えなごがわ

 天正年間、金森長近が高山城を築城した頃、宮川に注ぐ江名子川は東方から攻め込む敵を防ぐ大切な堀の役割を果たしていた。城山の下に武家屋敷を構え、江名子川にも限られた橋しかかけられなかった。

 時代が進み、安定した平和が保たれ、城下町が拡大するに従って橋の数も増え、現在19の橋がかけられているという。川筋に沿う風景は落ち着いた情緒があり、特に雪景色は美しい。

江名子川の雪景色

江名子川の雪景色

拡大写真(1200X900)244KB 【E-1 46mm/28-108mm  F9.0 1/500秒 ISO200】

桜山八幡宮さくらやまはちまんぐう

 高山市桜町に鎮座するこの神社の起源は古く、仁徳天皇の65年、高山に隣接する地に2面4手4足の両面宿儺(りょうめんすくな)という怪人がいて反抗したので、天皇は難波根子武振熊(なにはねこたけふるくま)に命じて征伐した。このとき戦勝を祈願して祀ったのがこの神社であると伝えられる。

 その後、金森家の崇敬があつく、元和9年(1623)には居城北面の守護神として再興し、神領を寄進して別当を置いた。祭礼には2名の奉行を特派して神事を管理させたので奉公祭とも称した。天領になってからも代官・郡代の尊崇があつかった。
高山祭

資料

高 山 祭たかやままつり

 春と秋の2回行われる高山祭の秋祭がこの八幡祭で、10月9・10日に開かれる。
 10月9日は11台の屋台が神社正面の記念道路に曳き揃えられ、夜に入って提灯にあかりを入れ、所定の道順で曳き別れが行われる。(写真左)

 屋台にゆらめく灯りが江名子川の川面に映って時の流れが戻るかのような錯覚を感じるという。

 10月10日は朝から御神幸祭ののち、分霊を鳳輦(ほうれん)に奉還して氏子の巡幸が行われる。絢爛豪華な屋台による秋祭は全国から訪れる観光客で賑わうという。

桜山八幡宮

桜山八幡宮

拡大写真(1200X900)301KB 【E-1 28mm/28-108mm  F7.1 1/250秒 ISO200】

高山屋台会館

高山屋台会館たかやまやたいかいかん

 桜山八幡宮が経営する屋台会館は、神社の境内にあり、秋の高山祭に曳き出される11台の屋台を3・7・11月の年3回4台づつ入れ替えて展示している。

 専門の案内役が付き添うので、飛騨匠の技による見事な屋台(山車)をじっくりと鑑賞することができる。

 祭のときは、大勢の見物客でゆっくりと鑑賞できないので、お勧めのスポットである。 高山屋台会館の公式ページ

拡大写真(1600X1200)297KB 【E-1 28mm/28-108mm  F2.8 1/40秒 ISO200】

大八台だいはちたい

の車輪
 大八台は、高山で最初の三輪の屋台で、御所車の直径は1.56mある。中壇は平安調風の御殿造りで、かつては烏帽子(えぼし)、直衣(のうし)姿の童子たちが優雅な屋台囃子の大八曲を演じていたという。

役 行 者えんのぎょうじゃ

 役行者は、行神台(ぎょうじんたい)という名の屋台に祀られている。この屋台の創建は享保3年以前といわれ、最古の屋台の一つである。この地域を拓いた行者の徳を慕い、祭神として飾られている。

大八台の車輪

役行者

大八台の車輪 役行者

拡大写真(1200X900)231KB 【E-1 56mm  F3.1 1/10秒 ISO200】

拡大写真(1024x768)100KB 【E-1 136mm  F4.1 1/30秒 ISO200】

日本一の

鳳 輦ほうれん

(神輿)
 文政年間に造られた鳳輦(豪華な神社神輿)は明治8年の大火で焼失。現在はその後造られた二代目で、重さ約 2 トンの八角形の雄大な形態と美しさは、日本一の鳳輦といわれる。

日本一の鳳輦

拡大写真(1200X900)223KB 【E-1 28mm/28-108mm  F3.2 1/50秒 ISO200】

注:文中の表記は全て35mm換算によるもので、 「274mm/100-400mm」は50-200mmズームレンズの137mmで撮影したという意味である。

和田義男

 
撮影 2004年2月7日
 
OLYMPUS E-1

 
14-54mm 50-200mm EC-14

500万画素


 420枚  470MB
 

 今回も白川郷と同様、大雪に見舞われながらも全てのスポットを歩いて廻ることができた。
 飛騨匠という言葉は知っていたが、これほどまでに高度な技を持つ技術集団であるとは知らなかった。凄すぎる!と思った。
 落ち着いた町の佇まいは、そこで暮らす人々が心から町を愛していることが分かった。飛騨高山は、今も歴史文化が息づく、素晴らしい町である。〈 完 〉
高山陣屋 上三之町 飛騨の匠
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