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 特集!旅紀行

2010年6月8日改訂

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2006年4月8日制作

海峡を睨むルメル・ヒサリ(ルメル要塞)

                        海峡を睨むルメル・ヒサリ(ボスポラス海峡/トルコ)

ボスポラス海峡

トルコ国旗

魅惑のイスタンブール

ルメリ要塞

オルタキョイ
 第1ボスポラス橋の新市街側のたもとがオルタキョイ Ortakoy 地区。ここは海峡沿いに住むリッチな若者が集まるスポットで、毎週日曜日にはオルタキョイ・ジャーミー Ortakoy Camii の周辺でフリーマーケットが開かれる。

お洒落な海沿いのオルタキョイ

お洒落な海沿いのオルタキョイ

                                   拡大写真(1400x1050)254KB

撮影:高久雅喜

 地元民で混雑しているが、観光地化したグランド・バザールなどとは違う素朴さがある。店頭に並ぶのは、女性ムスリムには必需品の色とりどりのスカーフや皮小物、ビーズ細工、青い目の玉のお守り・ナザールボンジュウなど。トルコ版クレープのヨズレメを焼く屋台もズラリと並んでいる。夏には橋の下が屋外ディスコと化す。

トルコ版クレープのヨズレメを焼く綺麗な女性

トルコ版クレープのヨズレメを焼く綺麗な女性

                                   拡大写真(1400x1050)245KB

撮影:高久雅喜

オルタキョイ寺院
 第1ボスポラス橋のたもとに建つ白亜のオルタキョイ・ジャーミー Ortakoy Camii (オルタキョイ寺院)は、海のすぐそばにあるため、海峡クルーズの見所の一つとなっている。アブドゥルメジト I 世( Abdulmecit  在位1839〜1861)がドルマバフチェ宮殿を設計したニコゴス・バリアンに命じて1854年に建設させた。

海峡から見たオルタキョイ・ジャーミーと新市街

海峡から見たオルタキョイ・ジャーミーと新市街

                                   拡大写真(1600x1000)230KB

 
 広い窓から明るい光りが差し込み、日中の照明は不要。薄緑色の絨毯が爽やかで、心が和むモスクである。写真正面がキブラ壁で、その中央のくぼみがミフラーブ。イスラム教の聖地メッカの方向を示している。

オルタキョイ・ジャーミー内部

オルタキョイ・ジャーミー内部

                                   拡大写真(1400x1050)248KB

撮影:高久雅喜

ガラタ橋
 ガラタ橋 Galata köprüsü は、金角湾 Golden Horn Bay に架かる旧市街と新市街とを結ぶ橋で、この橋の上から釣り糸を垂れる光景が見られる。鯖(さば)や鰯(いわし)などの小魚が釣れる。

ガラタ橋の魚釣り

ガラタ橋の魚釣り

                                   拡大写真(1400x1050)234KB

撮影:高久雅喜

太公望

 イスタンブールでは海辺のあちこちで釣り糸を垂れる太公望たちが目に付く。フィッシングは、古今洋の東西を問わず、海に面した土地に住む人々の趣味と実益を兼ねた娯楽であり、トルコでも例外ではない。

トルコの太公望たち

トルコの太公望たち

                                   拡大写真(1400x1050)252KB

撮影:高久雅喜

トルコ行進曲
TURKISH MARCH  by Wolfgang Amadeus Mozart

♪トルコ行進曲  Reinmusik

 
 BGMに流れる軽快なテンポを持つピアノ曲は、オーストリアが生んだ作曲家ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト Wolfgang Amadeus Mozart (1756〜1791)が作曲した ピアノ・ソナタ第11番イ長調K.331「トルコ行進曲」。  
 神童と呼ばれたモーツァルトのピアノ・ソナタの中でも、広く愛奏されている作品のひとつ。第3楽章がこの有名な「トルコ行進曲」。オスマン・トルコの軍楽隊の進軍が目の前に迫ってくる。  
ルメリ要塞
 オスマン帝国の要塞ルメリ・ヒサル Rumeli Hisarι (ルメリ要塞)は、第2ボスポラス橋のヨーロッパサイドにある。コンスタンチノープルの攻撃に備え、黒海から南下してくる応援部隊を阻止するため、メフメット II 世の命により、1452年に1万人の労働者を動員し、幅700m弱の最狭部に僅か4ヵ月で完成したという。

ルメリ・ヒサル(左)と第2ボスポラス橋

第2ボスポラス橋
橋長:1,510m(中央支間長:1,090m) 施工:IHI・三菱重工・日本鋼管(1986〜88年)

ルメリ・ヒサル(左)と第2ボスポラス橋

パノラマ写真(1800x580)176KB

第2ボスポラス橋とアナドル・ヒサル(右)

第2ボスポラス橋とアナドル・ヒサル(右)

拡大写真(1600x990)197KB

 対岸には1391年にメフメット II 世の曾祖父バヤジット I 世が築いたアナドル・ヒサル Anadolu Hisarι があり、両岸の要塞により、ビザンチンの援護に駆けつけた西欧の艦隊を足止めさせた。

ルメリ・ヒサル博物館

ルメリ・ヒサル博物館

 ルメリ・ヒサルは、後に監獄として使用され、現在は劇場として利用されている。また、博物館として一般公開されており、夏場には各種コンサートが開催されるという。

要塞の出入口

要塞の出入口

ボスポラス海峡最狭部の要塞

ボスポラス海峡最狭部の要塞

拡大写真(1400x1050)190KB

 ボスポラス海峡の要衝に位置するルメリ・ヒサルは見通しが良く、風光明媚であることから、廃墟が修復されて一般に公開され、観光客で賑わっているが、対岸のアナドル・ヒサルは、廃墟のまま放置されている。

要塞の内部

要塞の内部

拡大写真(1400x1050)347KB

海峡を睨むルメリ・ヒサリ

海峡を睨むルメリ・ヒサリ

拡大写真(1600x1200)340KB

 トルコ語でルメリとはヨーロッパ、アナドルとはアナトリア(小アジア)を意味し、ヒサルは要塞。ルメリ・ヒサルはヨーロッパ側の要塞、アナドル・ヒサルはアジア側の要塞ということになる。

海峡最狭部に架かる第2ボスポラス橋

海峡最狭部に架かる第2ボスポラス橋

拡大写真(1600x1080)304KB

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