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▲▼ 総本社・諏訪大社(長野県)の祭神である諏訪大明神(建御名方神)は、狩猟や漁業を守護する神であることから、漁業が盛んだった福間浦の漁師たちが江戸時代前期に諏訪大社から祭神を勧請(かんじょう)して創建したものといわれている。 |
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諏訪大社を初め、諏訪神社では昔から相撲が盛んで、毎年9月26日・27日に行われる秋季大祭(放生会ほうじょうえ)では、神社境内の土俵で子供相撲大会が開催される。 |
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↓常設土俵 |
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▼ 諏訪神社の社務所には、江戸時代後期の絵師・斉藤梅圃(さいとうばいほ)(1816-1875)が描いた「福間浦鰯網図」が保管されており、福津市の文化財で唯一福岡県有形民俗文化財に指定されている。宮秀文宮司に立ち合って頂き、特別に撮影させて頂いた。 |
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社務所に保管されている絵馬「福間浦鰯網図」 2015.2.13
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▲▼ 「福間浦鰯網図」は、庄屋今林徳十郎外19名が安政4年(1857)5月に奉納した縦横146cm×222cmの巨大な絵馬で、福間浦の当時の風俗や漁法がリアルに描かれている。福間浦は、現在の福間海岸のことで、福津市西福間に当たる。 |
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額縁には、「奉懸」「當浦鰯網中」「安政卯年在丁巳五月吉日」の文字が彫り込まれている。「當浦」とは勿論「福間浦」のこと。奉納者は、「福間」という文字を入れなくても当然分かると思って文字数を節約したのだろう。当時はそれだけ名の知れた漁村だった。 |
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福岡県有形民俗文化財の巨大な絵馬「福間浦鰯網図」 奉納:庄屋今林徳十郎外19名 安政4年(1857)5月
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絵馬に描かれた人々は、総勢約480人。カラフルな色柄物の六尺褌を締めた漁師たちが鰯網漁(いわしあみりょう)を営む姿が生き生きと描かれている。この漁法は、大地引網(おおじびきあみ)で、地引網は、現代でも遠浅の砂浜で行われている。遠景に、玄海島、小呂島、相の島、津屋崎の渡半島などが描き込まれている。 |
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水揚げされた浜辺では、鰯を奪って逃げる人やそれを追いかける漁師などが実にリアルに描かれている。福間浦は、江戸時代後期に大規模な漁業が営まれ、大変な賑わいを見せていたことが分かる。 |
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● 画像のどこかをポイントすると「追っかけシーン」の場所が表示されます。 |
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▼ 諏訪神社拝殿の天井に八幡縁起図(はちまんえんぎず)と呼ばれる巨大な絵馬(200cmX242cm)かかっている。安政4年(1857)に家門栄昌祈者が鰯大漁の際に奉納したもので、作者は同じ斉藤梅圃(さいとうばいほ)である。左上に朝鮮人が描かれているので、神功皇后の三韓征伐の様子を描いた絵といわれている。 |
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拝殿の天井にある巨大な絵馬「八幡縁起図」 奉納:家門栄昌祈者 安政4年(1857)
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正月3日に開催される「福間浦玉せり」は、福間浦共有財産組合(廣渡金次郎会長)主催による大漁・安全・無病息災を祈願する漁師たちの裸祭で、300年以上の歴史を有する。福津市の緑町区(みどりまちく)と南町区(みなみまちく)の氏子たち約60人が褌(へこ 締込み)一丁の裸形となり、海で清めた直径31cm、重さ12kg
の大玉を先頭に「わっしょい、わっしょい」と威勢の良い掛け声を上げながら諏訪神社を参拝。拝殿前で玉を競り合った後、約1.3km西方の福間海岸まで行進し、砂浜や海の中で勇ましく玉を競り合う。その後、町内の家々を訪問し、大玉を鴨居にぶつけて玄関を清め、玉を競り合って家内安全・無病息災を祈願する。 |
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「 |
福間浦玉 |
せり」のポスター(2種類) |
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緑町区 |
の拠点・ |
緑町 |
公民館 |
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今年の「玉せり」で密着取材したのは南町区(みなみまちく)。最初に南町区の拠点である南町公民館に行った。 |
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南町区 |
の拠点・ |
南町 |
公民館 2015.1.3
08:40 |
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▼ 南町公民館の床の間には、直径31cm重さ約12kg
の松の木の芯をくり抜いた南町区の大玉が安置されていた。 |
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南町 |
公民館の床の間に安置された |
南町区 |
の大玉 |
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南町区の大玉は、1年間、床の間に安置されていたため、乾いていて白っぽくみえたが、永年にわたり使い込まれてきたらしく、へこみや傷があり、風格を感じるものだった。 |
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南町公民館に行くと、玉洗い当番が褌を締めている最中だったので、早速、その様子を撮影させてもらった。 |
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▼ 地元で「締込み」と呼ばれる褌は、締めやすいように全幅の布を三分の一に折りたたみ、ロール状にしておく。 |
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氏子たちが締めていたのは、前垂れに「南」のロゴがプリントされた南町区の共用褌で、綺麗に洗濯されて保管されていたもの。 |
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褌を締め終わった三人は、午前9時ころ、南町区の大玉を持って玉洗いに出発したので、後を追うことにした。 |
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▲▼
当番三人の出で立ちは、褌一丁の裸形で、しかも裸足である。彼らは、大玉を交代で持ちながら、共有会館に向かった。 |
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福間漁港の入口に鎮座する和田津美(わだつみ)神社は、通称「リュウグウサマ」と云い、船の神様である。その右隣に和田津美神社の境内社として海の神である事代主神(ことしろぬしのかみ)通称恵比須大神が祀られた恵比寿神社があり、「玉せり」は、かつては恵比寿神社の祭礼であった。 |
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「玉せり」は漁師の祭で、昔は正月15日まで漁止めで、その間は直方(なおかた)方面に酒の仕込みの手伝いに出ていたため、十日恵比須の翌日の11日に「玉せり」が行われていた。その後、種々の変遷を経て、現在は、筥崎宮の「玉せせり」と同様、正月3日に諏訪神社の正月行事として行われている。 |
「玉せり」の起源は詳らかではないが、あるとき、玉取り恵比須に上げてあった玉が転げ落ち、漁民たちが競って拾い上げて元の場所に奉納したことに由来するといわれている。 |
また、福間浦は、江戸時代、福岡市の箱崎浦と共に黒田藩の浦奉行下にあったことから、同じ浦行事(漁村行事)として玉取祭(箱崎は玉せせり、福間は玉せり)が盛んに行われるようになったともいわれている。 |
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▼ 和田津美神社の左隣に社務所があり、共有会館と呼ばれている。かつては神社の前に漁協があり、魚市場でセリが行われていた。現在のような道路はなく、砂浜の所々に松や竹が生えたトウヨウと呼ばれる砂山があり、漁民たちは、そこに上がって鰯(いわし)などの物見をし、魚が来たとわかると漁に出掛けた。 |
福間漁港は、平成9年4月に25億円をかけて完成。港ができるまでは砂浜に船を引き揚げるのが大変な作業だったという。現在、漁業者は南町20軒、緑町1軒で、組合員は30人ほど。 |
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和田津美神社に隣接する社務所「共有会館」で共有の玉を受け取る 09:03
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▲▼
三人は、共有会館に立ち寄って共有玉を受け取ると、2つの大玉を担いで福間海岸(福間浦)に向かった。 |
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2つの大玉を担いで福間海岸(福間浦)に向かう 09:04
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玄海灘に面する弓なりの砂浜が南北に3kmほど続く白砂青松の南部が、福津市に合併する前の福間町の地先海岸だった福間海岸で、現在は、福間海水浴場として親しまれている。かつては、この界隈は福間浦と呼ばれる長閑(のどか)な漁村だった。 |
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↓津屋崎 |
↓津屋崎海岸 |
↓宮地浜海岸 |
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▲▼ 福間海岸に到着した裸たちは、浜辺に流れ着いた海藻を拾い、二つの大玉を海水に浸して洗い清めた。 |
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▲▼
南町区の玉洗い当番一行は、玄海灘の海水で清めた二つの大玉を共有会館に納め、御神酒を頂いてから南町公民館に引き揚げていった。中を覗くと、床の間に二つの大玉が置かれており、取り違えないように、共有玉には「共有」と墨守した紙が貼られていた。 |
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午前10時から和田津美神社境内で諏訪神社・宮宮司を迎えて、南町区・緑町区の長老・役員による「玉せり」の安全祈願式が開かれたあと、裸たちが全員集合する午前11時ころまで、両町区の長老・役員たちによる直会があるため、すでにその準備がなされていた。 |
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共有会館の床の間に安置された二つの大玉 09:13
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▼ 間もなく緑町区の大玉を担ぎ、駆け足で福間海岸に向かう褌一丁の集団が現れたので、後を追って取材した。 |
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▲▼ 福間海岸に到着した裸たちは、浜辺に流れ着いた海藻を拾い、三つ目の大玉を海水に浸して洗い清めた。 |
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しょうがつや ふどしいっちょう たまあらい |
The New Year, washing a ball wearing fundoshi loincloth. |
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海藻をこすりつけて玉を洗う緑町区の氏子たち / 福間海岸 09:20
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玉を納めた後
御神酒で身体を暖める / 共有会館 09:24
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▲▼ 7人の裸衆は、海で清めた緑町区の大玉を共有会館に納め、御神酒を飲み干したあと、駆け足で緑町公民館へ帰って行った。
これで、玉洗いが終わった三つの大玉が共有会館に揃った。 |
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