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続いて宮宮司から南町区と緑町区にそれぞれの大玉が手渡され、浜辺で同時に二組の玉せりが行われた。 |
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緑町区(左)と南町区の同時玉せり / 福間海岸 2015.1.3 11:34
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緑町区の玉せり 【弐】 / 福間海岸
〜玉を担いで撤収する〜 11:36
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▲▼ 個別の「玉せり」が2分ほどで終わると、裸たちはそれぞれの大玉を担いで浜を後にし、町内に向かった。 |
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それぞれの町区に向かう 〜信号待ちの裸たち〜 11:39
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▼ 浜の「玉せり」のあとは、それぞれの町区で、町内巡りが行われたので、南町区の裸たちと行動をともにした。 |
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南町区の町内巡り 【壱】
〜露地に入る裸たち〜 11:40
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▲▼ かつて福間浦と呼ばれた漁村は、現在の福津市西福間で、細い路地が入り組み、あちこちに小さなお堂や神社がある。古色蒼然としたあんこ屋、氷屋、かまぼこ屋などが軒を連ね、古き良き時代の面影が残っている。 |
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南町区の町内巡り 【弐】
〜「祝いめでた」を唄う〜 11:41
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南町区の町内巡り 【参】
〜鴨居にコツンと当てるお浄め〜
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南町区の町内巡り 【四】
〜玄関の前で玉せり〜 11:42
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▲▼ 町内巡りは、写真の様に一軒づつ家庭訪問し、玄関先で「祝いめでた」を唄った後、玄関ドアの鴨居に玉をコツンと当ててお浄めしたあと、「玉せり」を行い、家内安全・無病息災を祈念する行事である。 |
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南町区の町内巡り 【六】
〜お菓子を褌に挟んで次の家へ向かう〜 11:43
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かつての福間浦は、南、北、中の旧浜三町があり、それぞれが玉を持っていた。現在は、南町と緑町に再編されたので、余った玉が共有玉になったものと考えられる。 |
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昭和35年(1960)頃までは、浜三町の各町ごとに裸たちが家々を回り、「祝うたあ」といって神棚にコツコツと玉を当て、御神酒を振りかけてもらう
おめでたい「玉入れ」の行事が行なわれていたという。現在の町内巡りは、その名残であろう。 |
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南町区の町内巡り 【七】
〜商店の鴨居に玉をぶつける〜 11:44
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南町区の町内巡り 【八】
〜玄関で「祝いめでた」を唄う〜 11:46
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南町区の町内巡り 【九】
〜次の家を訪問〜 11:48
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南町区の町内巡り 【拾壱】
〜路上で玉せり〜 11:50
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南町区の町内巡り 【拾弐】 〜
本松家の玄関で親子の記念撮影〜
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南町区の町内巡り 【拾参】
〜鴨居に玉入れ〜 11:51
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南町区の町内巡り 【拾四】
〜手拍子で「祝いめでた」を唄う〜
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南町区の町内巡り 【拾五】
〜玄関前で玉せり〜 11:52
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みっかはや たまもてつどう ふどししゅう |
The third day of the New Year, fundoshi men gathering with a ball. |
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▼ 今年も無事に「玉せり」が終わり、南町区の大玉は、南町公民館の和室床の間に安置され、1年間を過ごすことになった。多くの氏子たちに触られ、海水と御神酒がたっぷりとしみ込んだ大玉は、黒っぽく艶やかで、幸運を呼び込む宝珠にふさわしい重みがあった。 |
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▲▼ 「玉せり」に参加した氏子たちは、公民館で更衣した後、直会(なおらい)に参加する。役目を終えた共用褌は、このあと綺麗に洗濯され、来年に備える。 |
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共用褌は洗濯して来年に備える /
南町公民館 12:08
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南町区の取材を切り上げ、緑町公民館に行くと、町内巡りを終えた裸たちが焚き火を囲んで暖を取っているところだった。こちらも更衣後、直会があるという。皆さん、お疲れ様でした。また、来年、お会いしましょう! |
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焚き火で暖を取る裸たち / 緑町公民館 12:14
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昭和24年(1949)3月13日生(65歳)
元防衛事務官
住居: 福岡県宗像市(むなかたし)
趣味: 硬式テニス(中級と上級の間)
読書(本を積み上げるのが得意) |
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あとがき |
● 今回の撮影については、近くに住んでいながら、和田さんから福間海岸の玉競りの話しを聞くまで、全く知りませんでした。地方の小さな裸祭なので、大きく報道されることがなかったためと思われます。
筥崎宮(はこざきぐう)(福岡市)の「玉せせり」のようなものかと想像しながら写真を撮りに行くことにし、兄嫁の出身地である南町区に密着して取材することができました。その結果はご覧のとおりで、筥崎宮とはひと味違った趣があり、300年を超える独自の伝統文化が今も息づいていることに感動しました。
日本の社会も地域によっては、多様化や過疎化で伝統文化を継承する祭が変質してきたり、その存続が危ぶまれているところがありますが、この地では、関係者の努力により、子供から大人まで全ての年齢層の氏子たちが多数参加し、現代も江戸時代と寸分違わぬ褌一丁の裸形で「玉せり」が催行されていることは、大変素晴らしいことだと思います。中には親子の参加もあり、伝統の祭礼は、このようなかたちで過去〜現在〜未来へと伝承されていくことを知りました。
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「玉せり」の将来を考えると、福間町の祭として、その年の成人式を迎える若者の参加を広く一般に募り、南町区や緑町区に加わることで町民全体の祭として発展してゆけば良いのではないかと思いました。来年は、今年果たせなかった緑町区の密着取材を行い、取り損ねたシーンを追加して、現代の「玉せり」の全貌を明らかにしたいと思っていますので、ご期待下さい。
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謝 辞 |
このたびの「福間浦玉せり」の取材に当たり、地元の方々には大変お世話になり、誠に有り難うございました。とりわけ、密着取材に快く応じて下さった諏訪神社・宮秀文宮司や南町区の皆様には、衷心より御礼申し上げます。
引き続き、来年も取材に伺いますので、今後ともご指導ご鞭撻のほど、どうかよろしくお願い申し上げます。皆様方の益々のご発展とご多幸を心より祈念しております。有り難うございました。 〈 拝 〉 |
★☆★彡 |
感動写真集〈 第202集 〉/日本の裸祭り〈第187集/100種〉「福間浦玉せり」 |
撮影・原作:吉田好幸 監修:和田義男 |
平成27年(2015)2月16日 作品:第3作
画像:(大104+小12) 頁数:4 ファイル数:242 ファイル容量:76MB
平成12年(2000)〜平成27年(2015) 作品数:483 頁数:1,967 ファイル数:89,593 ファイル容量:18,508MB |
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【編集子が選ぶ名作】
名作アニメーション |
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拡大写真/海辺の玉取祭(2400X1650)554KB |
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吉田好幸さんは、平成26年(2014)8月4日、処女作「津屋崎祗園山笠'14」でWa☆Daフォトギャラリー(和田フォト)にデビューし、感動写真集・第43代同人となられた。爾来、和田フォトの福岡支店長として、九州男児の躍動する裸祭の取材に力をお貸し頂いている。 |
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本日、吉田好幸同人の第二作「福間浦玉せり」が完成した。 4頁116枚というこの感動長編は、「感動写真集」シリーズの第202集、「日本の裸祭り」シリーズの第188集・第100種を飾るにふさわしい堂々たる作品となった。 |
吉田さんの素晴らしいところは、地元の利を生かし、撮影後何度も諏訪神社や福間に足を運んで補充取材をして頂いたことで、足らざる所を補ってここに大作を発表することができた。 |
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この作品の編集を始めたころ、福岡県有形民俗文化財に指定されている「福間浦鰯網漁絵馬」が諏訪神社の社務所に保管されていることを知り、先日、宮宮司のご高配で撮影させて頂き、この作品の最初の頁に掲載して、江戸時代に豪快な鰯網漁が行われ、福間浦が殷賑(いんしん)を極めていたことをお伝えすることができた。時代が変わり、鰯網漁が廃れた今日でもその子孫たちが江戸時代と寸分違わぬ褌一丁の裸形で「玉せり」を続けていることは、本当に素晴らしいの一語に尽きる。
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玉取祭といえば、福岡市の筥崎宮「玉せせり」が大規模で全国的に知られているが、福津市の「玉せり」は、規模も小さく、地元の吉田さんでさえもご存じなかったほどの無名の裸祭だった。吉田さんの密着取材のお陰で、一人の装束違反者もなく、子供から老人まであらゆる年齢層の福間っ子たちが誇りを持って伝統の裸褌文化を継承していることを知り、深い感動を覚えた。 |
かつては、若者だけという勇壮な「玉せり」は、過疎化や高齢化の波を受けて人手不足となり、年齢制限を撤廃して今日に至っていると聞くが、あらゆる年齢層が参加することで、より親しみ深い裸祭になったと思われる。長老や小学生低学年の男児までもが安心して参加できる裸祭こそ、現代の日本社会にふさわしいものだと思う。 |
「福間浦玉せり」は、和田フォトに掲載されたことで、全国区の仲間入りを果たし、今後、名が知られてゆくに違いない。吉田さんは、来年、緑町区の密着取材を計画しておられる。二年にわたる密着取材で完璧な作品ができあがったところで、この裸祭が無形民俗文化財の指定を受けることを祈念しつつ、永久保存版CDを制作し、主催団体である福間浦共有財産組合や諏訪神社に奉納したいと思っている。〈 完 〉 2015年2月16日 監修 和田義男 |
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