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祇園祭 京都の梢園社(現、東山区八坂神社)と同社を勧請(かんじょう
神仏の分霊を迎えて祀ること)した地方の祭礼。京都の梢園祭は、山鉾(やまほこ)
の巡行を中心とした盛大な祭礼として、東京の神田祭・大阪の天神祭と共に日本三大祭の一つに数えられ、現存する山鉾29基すべてが国の重要民俗文化財に指定されている。〈夏の季語〉 |
祇園祭は、貞観(じょうがん)11年(1869)京中や全国に疫病が流行り、清和(せいわ)天皇が神泉苑に長さ2丈(約6m)の矛(ほこ 鉾
諸刃(もろは)の剣に長い柄(つか)を取り付けた武器)66本(当時の国の数)を立て、祇園社の神輿を迎えて疫神の退散を祈ったことに始まる。 |
古くは梢園御霊会(ごりようえ)といい、6月に行われていたが、現在は月遅れの7月に催される。祭礼はぼほ1ヵ月に及ぶが、その間、神社側で行う行事のほか、氏子の住む町(鉾町)が独自に行うものがかなりの部分を占め、町衆を主体とするこの祭礼の特色を示している。 |
山鉾の巡行は応仁の乱でいったん中絶するが、のちに復興し、南蛮文化の流入に伴い山鉾の装飾はいっそう豪華になり、江戸時代を通じてたびたび大火にあいながら、よく今日に盛観を伝えている。 |
室町時代以降、各地の大名が京都をまねた町作りを行い、いわゆる〈小京都〉の出現をみるが、その際、京都のシンボルとして梢園社が勧請され、それに伴って梢園祭も導入される場合が多く、京都の梢園祭の地方都市への伝播が進んだ。 |
ことにその中心をなす山鉾は地方都市の祭礼に大きな影響を与え、梢園社勧請の有無を問わず、山車(だし)の出る祭りの形態を全国に普及させることとなった。 |
山鉾 やまほこ。 山車(だし)の一種。京都の祇園祭りでは、形や形式に関係なく、屋台の屋根の上に薙刀(なぎなた
長刀)や月などの金属の象徴を飾ったものを鉾といい、屋根の上に松(まれに柳)の生木を飾ったものを山という。車輪が固定され直進する構造のため、交差点で方向転換作業が必要となる。辻回しと呼び、山鉾巡行の見せ場となっている。 |
山には曳山(ひきやま)と舁山(かきやま)がある。舁山にも車輪があり、牽引して進むが、辻回しの際は担いで方向転換する。〈夏の季語〉 |
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2002年7月16日、台風7号が過ぎ去り、京都では、日本三大祭りの一つに数えられる祇園祭の宵山が催されたので、夕刻に出かけた。 |
JR三宮駅から快速に乗ると50分で京都駅に着く。駅ビルをエスカレータで2つ下り、東に歩いて市営地下鉄烏丸(からすま)線に乗り、2駅北にある四条(しじょう)駅で下車。 |
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四条通
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四条駅から四条通に出ると、京都駅までは曇り空だったのに外は土砂降りだった。どうするか困ったが、長刀鉾(なぎなたぼこ)が見えたので、そこに行くことにした。 山鉾マップ
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長刀鉾は、烏丸通を東に渡った四条通の北側にある。粽(ちまき
無病息災の護符)や扇子などを売る売店があり、何かを買うと中に入れるというので、長刀鉾のパンフレットを買って中に入れてもらった。 |
長刀鉾は、財団法人・長刀鉾保存会が管理運営しており、多くの浄財により、長刀鉾収蔵庫と会所が2000年(平成12年)5月に新築になったとのことで、中は新しかった。 |
山鉾巡行では、常に長刀鉾が先頭を行くことになっており、32基ある山鉾の中で最も重要な鉾だという。 長刀鉾 |
山鉾の組み立ては、1本の釘も使わず、ほぞ(材木の端につくる突起)とほぞ孔(ほぞあな)による櫓組(やぐらくみ)と独自の縄結びだけで、高さ25m、約12tonの鉾が完成する。 |
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長刀鉾は、その頂きに三条小鍛冶宗近(さんじょうこかじむねちか)作の大長刀を飾ったことに始まるという。宗近は一条天皇永延(えいえん)の頃(987年)の刀工で、謡曲小鍛治などで有名である。 |
長刀は天保(てんぽう)時代から竹製の模造品(竹に漆を塗り錫箔を押したもの)に変わっている。金属製だと重くて揺れが大きく、危険だからだという。本物は町内の宝物として秘蔵されており、見ることができない。
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長刀は、鉾立(ほこたて
鉾の組立)の際、その正面が八坂神社や御所に向かないよう南向きに取り付けられる。長刀は矛ではないが、今となっては長刀鉾だけが最も矛に近いシンボルになっているという。
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長刀鉾の入口
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浴衣には長刀の「長」の文字がデザイン化されていて、なかなか粋だ。織田信長の書と伝えられる。浴衣は毎年デザインを変えて新調するという。 |
入口のある会所1階表の間の下駄箱に靴を入れ、2階に上がると、大勢の見物客が大きな窓から長刀鉾を見学していた。外は相変わらず大雨が降り続いている。 |
見学窓の右隅に長刀鉾への渡り廊下があり、そこから出入りするようになっていた。
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しめ縄切りの練習
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明日の本番は如何に?
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幸運なことに、丁度、稚児(ちご 社寺で祭礼の行列に美装して出る児童)によるしめ縄切りの練習が始まった。前の人が座って見物していたため、人垣の後から望遠で撮影することができた。
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しめ縄切りは、山鉾巡行の際、四条通麩屋町(ふやちょう)で行列の先頭を行く長刀鉾の稚児が四条通を横断して張られている1本のしめ縄を切断する神事である。四条通の東端に八坂神社があるので、これにより山鉾は神域に入ることが許される。
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長刀鉾の稚児と禿
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長刀鉾は、唯一、生稚児(いきちご)が乗る鉾である。江戸時代までは船鉾(ふねほこ)以外はみな生稚児だったが、天保10年に函谷鉾(かんこぼこ)が稚児人形を用いたのを皮切りに、他の鉾はみな人形となってしまったという。
なお、稚児が歩いて巡行する綾傘鉾(あやがさぼこ)には、6人の生稚児がいる。
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平成14年度の長刀鉾の稚児には大森一星(おおもりいっせい)君(9歳
小学校4年生 写真上)、お供の禿(かむろ 幼童)には同級生の堤亮太(つつみりょおた)君と中村史哉(なかむらふみや)君(写真下の2人)が選ばれた。
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昔は町内50余軒の中から稚児当番が廻ってくると、自分の所に適当な年齢の男子がいなくても稚児を出さなければならず、親戚知人から雇い稚児をしていたという。
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現在、長刀鉾町(長刀鉾を運営する氏子の住む町)に住む人は減少し、夜間人口は零となっている。
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このため、役員は、地域にこだわらず、小学校3〜4年生の男子で資質・気品・健康状態に問題のない子をスカウトしてくるそうだが、近年の少子化で希望者が少なく、京都中を捜し廻るという。禿2人は、稚児の親戚や友人から選ばれる。
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稚児の練習の後、鉾にあがることが許された。豪華な内装をじっくりと鑑賞することができた。
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女人禁制の長刀鉾
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長刀鉾は、現在でも女人禁制の伝統を守っている唯一の鉾である。稚児や禿も男子しかなれない。地元の方の説明によると、神様が嫉妬するといけないから女人禁制だという。見物客も例外ではなかった。
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他の山鉾でも巡行の時は未だに女人禁制で、昨年南観音山(みなみかんのんやま)と函谷鉾(かんこぼこ)が巡行時に女性を乗せて話題になった。 京都新聞
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しばらくして、浴衣姿の男子が乗ってきて、鉦(かね)の準備を始めた。紐をしっかりと梁に結びつけ、欄縁に腰を掛け、後向けに落ちないよう紐を持ち、鉦すり(撞木)で鉦を叩く。
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祇園囃子
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やがて祇園囃子(ぎおんばやし)の演奏が始まった。お囃子は、「コンチキチン」などと呼ばれる。一度聞けば耳に残るこの言葉は、鉦の音を言葉で表したものだ。
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祇園囃子は、歴史が古く、京都の祇園祭をお手本に、祭囃子としてほぼ全国に及んでいる。
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京都の梢園囃子は、鉦・太鼓・笛によって演奏されるが、鉦がきわめて印象的である。笛は能管(のうかん
能・狂言・歌舞伎などで使う横笛の一種)を用いる。その旋律やリズムは多彩で、山鉾ごとに演奏される曲目が異なり、一つの鉾が有するレパートリーは約30曲ある。
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先頭に立つ長刀鉾は、地囃子・上げ・神楽・唐子・裏・流し囃子・朝日・青葉・鼓・霞・筑紫など26曲を伝える。
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長刀鉾と駒形提灯
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2階表の間の中央には神殿が設けられ、和服姿の女性が拝んでいた。
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1階表の間には、改築の際の浄財を寄付した人々の札が掛けられていた。右上から左下に100万円、50万円、30万円...の寄付が法人や個人からなされたことが読み取れる。札の前では長老が役員の作業を見守っていた。
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見るもの聞くもの全てが珍しく、あっという間に時が流れた。幸いにも、いつの間にか雨が止んでいる。入口の役員の方にお礼をいい、長刀鉾を後にした。
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