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町屋と鶏鉾
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鶏鉾が町屋の軒先をかすめて進んでいく。二階から至近に山鉾を覗き見ることができる。町屋の二階は特等席だ。 |
巡行ルートの変遷
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昭和30年までは、山鉾は寺町通や松原通を巡行していた。しかし、松原通が余りに狭いため、昭和31年からは寺町通と御池通に変更された。
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更に昭和36年からは現在の河原町通と御池通に変わった。松原通も寺町通も狭いために都大路を通るようになってしまった。昔の情緒を味わうことができる場所は、今となっては新町通しかない。
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戻り鉾
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新町御池の辻回しを終えた山鉾は新町通に入り、その後解散となる。長い緊張から解放された山鉾衆からは、思わず笑みがこぼれる。
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新町通は、京の情緒溢れる町衆の住む細い通りで、両側に並ぶ町家は、由緒ある旧家が目立つ。その軒先をかすめて山鉾が通って行く。 |
かっては家々の二階からたも網(魚をすくう網)などを使って囃子方に差し入れをし、お返しに囃子方が粽(ちまき)を二階に投げ入れる光景が見られたという。 |
今は危険だということで、巡行中の山鉾への差し入れも粽を巡行中の山鉾に積むことも禁止されている。 |
屋根方
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山鉾の屋根の上には、屋根方と呼ばれる4人の男が座っている。都大路を進むときには彼らの出番はない。
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屋根方は狭い通りを行くときに軒や電柱等の障害物をよけて鉾を安全に進行させる。具体的には、電柱を足で突っ張ったりして、山鉾を保護する。
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命綱をつけていない屋根方もみられ危険が伴う作業だが、専門職人が担当するので大丈夫だという。祭りを支える屋根方の職人気質は、京都の古い町並みとあいまって日本の伝統を想起させる。
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綾傘鉾 |
15番・綾傘鉾(あやがさぼこ)が徒歩囃子と共にやってきた。綾傘鉾は、山鉾の非常に古い形態を残している傘鉾の一つで、鶏の作り物をつけた傘と、棒を持った踊り手を中心とする棒振り囃子の行列として巡行する。 |
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棒振り囃子は、赤熊(しゃぐま)をかぶり棒を持った男が鉦・太鼓・笛に合わせて踊るもので、江戸中期には壬生(みぶ)村の人々により奉仕されていた。昭和54年に復興し、巡行するようになったという。 綾傘鉾
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棒振り囃子
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細い新町通のお囃子は絶品である。大通りとは響き方が全く違って迫力がある。山鉾巡行は細い通りで行われてこそ、魅力を発揮するのではないか。
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艶やかな赤い傘の下を男児の稚児6人が紋付袴姿の保護者に手を引かれて行進してきた。金色の烏帽子(えぼし)に華やかな狩衣(かりぎぬ)姿がまぶしい。
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綾傘鉾と長刀鉾だけが現在でも生稚児(いきちご)を擁しており、ほかの鉾は全て稚児人形に代わっている。山には稚児は乗らない。
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とある町屋の前で巡行が止まった。由緒ある旧家といった雰囲気の家だ。玄関先には祖母を中心に母と娘が立っている。3世代の女性の前で棒振り囃子が披露された。町衆の創り上げた素晴らしい伝統芸能にしばしみとれた。
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狭い新町通を慎重に進む月鉾。屋根方の出番だ。 月 鉾
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月 鉾
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宵山で見た月鉾がやってきた。音頭取の帯に挟んだ黄色に月鉾と書かれた手ぬぐいが誇らしげに揺れている。
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笑顔の音頭取
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22番・岩戸山(いわとやま)(写真20)。天照大神の岩戸隠れの神話から取材している。山とはいえ鉾と同じ形の曳山で、室町時代の狩野永徳の洛中洛外図屏風に見られる岩戸山には、すでに車輪が描かれているという。
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岩戸山
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京都新聞報道
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《 撮影 2002年7月17日 》
オリンパス CAMEDIA E-20 500万画素 600枚
800MB |
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もと山であった名残に真木(しんぎ)の代わりに屋上に真松(しんまつ)を立てている。内部に天照大神・手力雄命(たぢからおのみこと)の御神体を祀っており、さらに棟上に伊弉諾尊(いざなきのみこと)の御神体を安置している。
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岩戸山の2人の音頭取は都大路でも笑みがこぼれていたが、新町通では更ににこやかだった。
岩戸山
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山鉾巡行は、しめ縄切りや辻回しが有名だが、私が一番気に入ったのは新町通だ。見るものと演ずるものとの暖かい触れあいがあり、よそ行きの顔ではなく、普段の笑顔がある。祇園祭は町衆の祭りであることを実感する。
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祇園祭はその歴史・規模・内容・品位・情熱の全てにおいて素晴らしい祭りだ。日本三大祭りの一つに数えられるのは当然である。残念ながら今年の山鉾巡行は、雨のため観客が約7万人と例年の半分となってしまった。
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気がつけば、飲まず食わずで5時間がたっていた。ひたすら被写体を追ってシャッターを切り続け、2日間で500万画素970枚1330MBを撮影した。こんなに多くの写真を撮影したのは初めてである。祇園祭は人を惹きつける不思議な魔力を持つ祭りに違いない。(完)
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