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 旅紀行日本の裸祭り

2009年8月8日改訂

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天高し諏訪の依代御柱  北舟

2006年9月24日制作

力士たちの登場!

力士たちの登場!(諏訪大社十五夜相撲/長野県諏訪市)

 

諏訪大社十五夜相撲

諏訪御柱

 

はじめに

 平成19年(2007)9月16日(日)、長野県諏訪市に鎮座する諏訪大社(すわたいしゃ)上社(かみしゃ)本宮(ほんみや)で十五夜相撲が開かれたので、取材した。開始が朝9時ということで、JR八王子駅から朝一番の特急に乗っても茅野(ちの)に着くのが午前9時頃となって間に合わないので、前日、上諏訪のステーションホテルに一泊し、朝8時に茅野に入った。タクシーを利用すると、本宮には15分ほどで到着する。

車窓から眺める信濃路の秋の夕暮れ  2007.9.15 1740

車窓から眺める信濃路の秋の夕暮れ

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諏訪大社

すわたいしゃ
 NHKの大河ドラマ「風林火山」の舞台となっている信州(しんしゅう)諏訪地方に鎮座する諏訪大社は、信濃国一之宮(しなののくに・いちのみや)と呼ばれ、諏訪湖をはさんで、南に男神・建御名方命(たけみなかたのみこと)を祭神とする上社(かみしゃ)、北に妃神・八坂刀売命(やさかとめのみこと)を祭る下社(しもしゃ)が対座している。
 上社には本宮(ほんみや)と前宮(まえみや)があり、下社には春宮(はるみや)と秋宮(あきみや)がある。諏訪地方に分散して鎮座する二社四宮からなる巨大な諏訪大社の氏子は、6市町村にわたっている。

諏訪大社・2社4宮の位置関係

諏訪大社・2社4宮の位置関係

資料
 

 上社の本宮は諏訪市神宮寺(じんぐうじ)にあり、前宮は本宮から2km東方の茅野市(ちのし)宮川(みやがわ)安国寺(あんこくじ)にある。いずれも御神体の守谷山(もりやさん)を背景に山麓や小扇状地にあり、眼下には諏訪湖や平野が横たわり、東方には神々が天下るにふさわしい八ヶ岳連峰と神々が群あそぶ霧ヶ峰の溶岩台地を一望できる。

稔りの秋/諏訪大社上社前宮付近(長野県茅野市)

稔りの秋/諏訪大社上社前宮付近(長野県茅野市)

パノラマ写真(1400X1000)501KB

 

上社前宮

かみしゃまえみや
 時間が早かったので、途中、稔りの秋を迎えた稲田と前宮に立ち寄った。前宮は、諏訪の祭神が最初に居を構えた諏訪信仰発祥の地と伝えられ、かつては上社祭祀の中心地であり、本殿は豊富な水や日照に恵まれた高台にある。現在の社殿は昭和7年(1932)に伊勢神宮の用材を用いて建てられた。

諏訪大社上社前宮

諏訪大社上社前宮

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御 柱

おんばしら
 4宮は、それぞれ神域の四隅に御柱(おんばしら)と呼ばれる神木(しんぼく)を立てるしきたりで、7年に一度八ヶ岳山麓から数千人の氏子たちにより20数キロを旅して運ばれてきた樅木(もみのき)が使われている。
 長さ17m、直径約1m、重さ12tの巨木16本を伐り出し、木遣り唄にあわせて人力だけで曳き下る諏訪大社最大の神事が有名な御柱祭(おんばしらさい)と呼ばれる奇祭で、ときには死者も出る壮絶な大祭である。

前宮二之御柱(左前)と三之御柱(左奥)

前宮一之御柱(右前)と四之御柱(右奥)

前宮二之御柱(左前)と三之御柱(左奥) 前宮一之御柱(右前)と四之御柱(右奥)

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   前宮も4本の御柱が立っている。社殿の右前から時計回りに神域の四隅に立てる習わしである。御柱は、神が降臨する依代(よりしろ)と考えられている。 参照:http://onbashira.jp/index.htm

前宮四之御柱(右奥)のアップ

前宮四之御柱(右奥)のアップ

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諏訪大社上社本宮マップ

諏訪大社上社本宮マップ

拡大写真(1400X850)470KB 資料
 

上社本宮

かみしゃほんみや
 本宮の社殿は、幣殿と拝殿の左右に片拝殿が並ぶ諏訪造とよばれる独自の様式であり、参道から見ると本道がそっぽ(横)を向いているため、「大きく願いごとをしなければ聞いてくれない」といわれている。北参道は北に向かう参道で、南にある。東参道は東に向かう参道で、西にある。

諏訪大社上社本宮(北参道)

諏訪大社上社本宮(北参道)

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   諏訪大社は、風の神、水の神、農耕の神、狩猟の神、戦の神など様々な性格を持ち、諏訪明神として人気が高く、現在では分社だけでも沖縄を除く全国46都道府県に5,000社以上あり、摂社・末社を加えると1万余社になる。
石鳥居の左(西側)にある

雷電らいでん

石鳥居の左(西側)にある雷電像

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   かつては武士たちが軍神として厚く信仰した。武田信玄は、たびたび戦勝祈願や武運長久の祈祷を依頼し、諏訪明神の加護を期待して戦(いくさ)に臨んだ。戦場では諏訪法性兜(すわほっしょうのかぶと)を身につけ、諏訪明神旗を本陣に立てていたという。
石鳥居の北に立てられた本宮一之御柱(樹齢約200年、長さ17m、直径1.2mの

樅木もみのき

石鳥居の北に立てられた本宮一之御柱(長さ17m、直径1.2mの樅木(もみのき))

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 天高し諏訪の依代御柱  北舟 

てんたかし すわのよりしろ おんばしら 

相撲会場と受付

相撲会場と受付

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本宮には午前8時20分頃到着した。相撲会場は北参道から左手(西)に入った神楽殿の奥に設営されていた。

相撲観覧席の

神楽殿かぐらでん

相撲観覧席の神楽殿

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十五夜相撲じゅうごやずもう

 十五夜相撲は、正確には「諏訪大社上社十五夜祭奉納相撲」という。前日の15日(土)午前10時から上社拝殿前の斎庭(ゆにわ/さいてい)で相撲踊りを奉納する神事がある。奉納相撲は、16日(日)午前9時30分から午後3時まで上社境内で執り行われる。

神楽殿の西に設けられた土俵

神楽殿の西に設けられた土俵

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 延文元年(1356)の「諏訪大明神画詞」には、上社の神事には古くから相撲がつきものであったと記されており、現在諏訪大社で行われている十五夜相撲は、190年ほど前には行われていた記録が残っており、江戸時代に上社の辻で若者たちが相撲を取って楽しんでいたものが起源とされている。現在、地元の神宮寺区に保存会が結成され、区民全体が一体となって歴史的文化の保存に取り組んでいる。

土俵に立てられた

梵天ぼんてん

土俵に立てられた梵天

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   十五夜相撲は、「長野県無形民俗文化財」の指定に向け、2006年に県文化財保護審議会委員による視察が行われ、2007年秋にも指定通知が届くのではないかと期待が高まっている。

役相撲の格付と町内対抗相撲の対戦表

役相撲の格付と町内対抗相撲の対戦表

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   土俵は年に一度十五夜相撲のときに整備される。終わった後は一般に開放されるが、殆ど利用されないという。土俵には屋根が無く雨晒しになっているのは、御柱祭(おんばしらさい)のときに御柱の通り道になるためだという。

まわしを締める力士たち

まわしを締める力士たち

 

 神楽殿の北にある大国主社(おおくにぬししゃ)の東側の建物が支度部屋になっており、力士たちが相撲まわしを締めて、神前参拝の開始に備えていた。

準備が進む支度部屋

準備が進む支度部屋

   午前8時50分、化粧まわしと相撲まわしを締めた力士たちが支度部屋から現れ、一列縦隊で拝殿に向かった。

力士たちの登場!

力士たちの登場!

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