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旅紀行日本の裸祭り 

2008年3月8日改訂

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♪千年女王
 

黒石寺蘇民祭(岩手県水沢市)

渦の中心を指示する親方と山さん

2002年1月26日制作

 西大寺会陽(岡山) 黒石寺蘇民祭(岩手) 四天王寺どやどや(大阪)
 

記録保存すべき国指定無形民俗文化財

 旧暦1月7日夜から翌暁にかけて行われる蘇民祭(そみんさい)は、厳寒積雪の中で行われる裸の夜祭りで、修験道(しゅげんどう)の性格をもった寺のなごりを残している。平成14年(2002)は、2月18日〜19日に開催された。

本尊・薬師如来座像

 蘇民祭は、薬師信仰千古の歴史にのっとり、五穀豊穣と災厄祓いを願って、裸参り、柴燈木登(ひたきのぼり)、別当登(べっとうのぼり)、鬼子登(おにごのぼり)と続き、祭りのクライマックス・蘇民袋争奪戦に至る水と炎の織りなす勇壮な裸祭りである。江戸時代後期に傑出した紀行文を多数残した旅行家・菅江真澄(すがえますみ)は、蘇民祭を見て「世に珍しきあらがい祭りなり」と記している。現在、国から記録保存すべき無形民俗文化財に指定され、黒石寺・藤波洋香(ふじなみようこう)住職が主催し、黒石寺蘇民祭保存協力会青年部が祭りを取り仕切る。

本尊・薬師如来坐像

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黒石寺

 岩手県水沢市にある黒石寺(こくせきじ)は、天台宗の古刹で、「くろいしでら」ともいう。山号は妙見山。729年(天平元年)行基菩薩の開基で、当初は東光山薬師寺と称したが、延暦年間の蝦夷征伐の戦火に遭って寺は焼失した。

 807年(大同2年)飛騨(岐阜県)の工匠が方七間の薬師堂を再建し、849年(嘉祥2年)慈覚大師円仁が復興して妙見山黒石寺と改名した。(写真左は蘇民袋争奪戦の舞台となる薬師堂)
 最盛期には伽藍48宇を数えたといわれる黒石寺も、1261年(弘長元年)の野火、1590年(天正18年)の兵火、1840年(天保11年)の祭火に見舞われ、1881年(明治14年)にも火災に遭って伽藍一切を焼失。
 現在の本堂と庫裏は、1884年(明治17年)に再建されたものである。本尊は薬師如来坐像で、胎内に862年(貞観4年)に作成された造像記があり、古代東北の仏教信仰を伝える貴重な作例となっている。薬師如来坐像は、1957年(昭和32年)国の重要文化財に指定された。

蘇民祭

 蘇民祭はその名のとおり蘇民将来(そみんしょうらい)を祭り、五穀豊穰、家内安全を祈願する祭りである。岩手県には水沢市(現奥州市)のほかにもいくつもの場所で、この時期に蘇民祭が行われており、岩手県全体の蘇民祭が国の無形民俗文化財に指定されている。
蘇民将来 護符の一種。晴明判(魔よけの星象吼)や〈蘇民将来子孫〉などの文字を記した六角柱または八角柱の短い棒で、房状の飾りや紐をつけて帯に結び下げるようになったものもある。正月に、牛頭天王(ごずてんのう)と縁の深い京都の八坂神社はじめ、信濃国分寺八日堂、愛知の津島神社、新発田の天王社など各地の社寺で配られる。また岩手の黒石寺薬師堂では、正月7日に蘇民祭といって数百本の六角形のヌルデの木が入った蘇民袋を裸の男たちが東西に分かれて奪いあう行事があり、これを得たものはその年幸運であるという。
 蘇民将来には、紙や板の札に〈蘇民将来子孫之門〉とか〈蘇民将来子孫繁昌也〉と書いて家の戸口に貼って魔よけとしたり、畑に立てて虫よけとする風習もある。《備後国風土記》には、旅に出た武塔神(素戔嗚(すさのお)尊)が宿を請うたところ、富裕な弟の巨旦(こたん)将来はことわったが、貧しい兄の蘇民将来は宿にとめ歓待したため、茅の輪(ちのわ)の護符を腰につけるように教えられ疾病を免れたと語られている。
   

ふんどし奨励

 黒石寺蘇民祭の裸男たちは、みな白の六尺褌である。並幅(約35cm)の晒木綿を半幅に折り、前袋式に締めている。水褌(すいこん)と同じ長さの人もいれば、横廻しを幾重にも重ねている人もいて統一されていない。激しい揉み合いがあるので、西大寺会陽のように前垂れ式だと緩みやすいので、前袋式に締めるのが正解だろう。
 蘇民祭の創生期にはふんどしを締めていたが、激しい争奪戦で横廻しを強く引かれて内臓破裂で死亡した事故があり、それ以来素裸となったいきさつがあったといわれる。素裸の習俗は相当長く続いたようだが、明治になって素裸が禁止された。 現在、観光化されて多くの見物者が訪れるようになり、ふんどし着用が義務づけられている。

 蘇民祭は、ふんどし男のほか、上半身だけ裸で下半身はズボンをはいている男もおり、かなりまちまちないでたちだ。足には黒足袋に草鞋(わらじ)か地下足袋を履いている。鉢巻はしていない。

夏参り

夏参り

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資料

祭りの概要

1 裸参り(夏参り又は祈願祭)

 午後10時から厄年連中、一般祈願者、善男善女が角燈(かくとう)と呼ぶ提灯を持ち、雪を踏みしだいて瑠璃壺川(るりつぼがわ 山内川)に入り、水垢離をして身を浄め、「ジャッソー・ジョヤサ」の掛け声で、薬師堂、妙見堂を巡り、五穀豊穣、災厄消除の祈願を行う。
 これを三度繰り返す。ふんどしをしている人も三度目の水垢離にはふんどしを外すのが作法だった
らしい。 ジャッソーは「邪正・邪<よこしま ジャッ>を正<ただす ソー>」、ジョヤサは「常屋作・とこしえの住
まいを作る/家内安全」という意味だという。
 凍えるばかりの冷たさである。三個の桶を使って水垢離をとる間、カメラマンや観光客のシャッターがひっきりなしに切られ、ストロボが光り、裸体が闇に浮き上がる。寒くて体が震えている人もいる。
   
 「夏参り」という呼称は、古くは女性の参加の折、下着1枚の着用を認めたことから夏姿で参るという意味だという。明治になって男も素裸禁止となり、夏参りの言葉が定着した。
 
2 柴燈木登(ひたきのぼり) 午後11時30分から鐘の合図で行列をつくり腰をかがめて、「イヨーイヨー」 の掛け声で、柴、たきつけ、ごま殻、塩をもって進む。堂前に生松割木を井桁に積み上げる。若者達は裸になり、柴燈木(ひたき)の上に登って火の粉をあびながら山内節(やまうちぶし 山内とは木炭を作ること、またそれを生業とする人)をうたい気勢をあげる。
ジャッソウ ジョヤサ ジャッソウ ジョヤサ(以下「掛け声」)
1 ハァー 揃(そろ)た揃たよ 皆様揃た 秋の出穂(でほ)より なおよく揃た (掛け声)
2 ハァー 場所だ場所だよ 山内(やまうち)場所だ 上は妙見(みょうけん) その下薬師  (掛け声)
3 ハァー 場所だ場所だよ 山内場所だ 奥は大師(だいし)の ありゃ座禅石(ざぜんせき)   (掛け声)
4 ハァー 一度ござれや 山内薬師 五穀豊穣(ごこくほうじょう) ありゃ守り神   (掛け声)
5 ハァー 柴燈木(ひたき)登りや 別当(べっとう)登り  鬼子(おにご)登りで ありゃ夜が明ける (掛け声)
   
3 別当登(べっとうのぼり) 翌午前2時から別当(住職)と蘇民袋を捧げもった総代が守護役に前後を守られ、法螺貝、太鼓等を従えて進む。薬師堂にのぼると護摩をたいて厄払いと五穀豊穣を加持祈祷する。
4 鬼子登(おにごのぼり) 午前3時半から儀式の主要な役割を果たす「役付き」たちは寺務所の井戸で素裸で水垢離をとり、身を浄める。鬼子は7歳の男子2名で、麻衣をつけ、鬼面を逆さに背負い、丈夫な人におぶさり、午前4時から庫裏を出発して薬師堂にのぼる。
 
5 蘇民袋争奪 薬師堂では早くからいい場所に陣取った裸男たちが「ジャッソージャッソー」と景気の良いかけ声をかけ、盛り上がっている。特に外陣と内陣の間に立てられた格子が特等席で、裸男たちがとりついて溢れ、見物客も群がっている。午前4時30分頃から小間木(こまぎ 蘇民将来(そみんしょうらい)=護符)を入れた蘇民袋の争奪戦が始まる。
 蘇民袋は麻布でできており、その中に小間木と呼ばれる長さ1寸(約3cm)の六角形の護符が五升舛山盛り分入っている。小間木は桂の木の一年目の若枝で作る。六つの面には蘇民、将来、子孫、門戸、☆、黒石寺、が印されている。
 麻袋は素裸の小刀を持つ親方により切り裂かれ、小間木が床にばらまかれる。裸の群衆が群がり、堂内は熱気に包まれ、騒然となる。
渦の中心を指示する親方と山さん

 裸男のみならず見物人の多くも混じり、40〜50分ほどもみ合いが続く。1個の空の蘇民袋を求め、もみ合いは堂外へ移り、雪の田んぼの中まで続く。将棋倒しになったまま空の麻袋の締め口をしっかと握っている人から順番に取り主(1人)、準取り主(若干人)及び参加賞が審判員によって判定され、各人の口の中に取札と呼ばれる木札が押し込まれる。

 激しいもみ合いの中でふんどしが外れ下半身があらわになる者もいる。争奪戦の最中は、裸男たちは寒さを感じることはないが、戦いが終わると熱気も醒め、急に寒くなり、全身に震えが来るという。

 午前7時ころから警備本部において、取札と交換に取主、準取主の表彰、参加賞(紙のお札とお守り、蘇民袋を裁断した布切れなど)の授与が住職などにより行われ、祭りが終了する。小間木を取った人や蘇民袋の切れはしを持っている者は、災厄をまぬがれると信じられている。

   
   
 深夜、徹夜で長時間厳寒の雪中で繰り広げられる裸の夜祭り・・・蘇民祭。これは大変な祭りである。見物するだけでも容易なことではない。この奇祭は、長い間素裸で行われてきたが、最近は警察の指導で、堂外では褌着用が義務づけられている。奇祭中の奇祭である。
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