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黒石寺蘇民祭 |
国指定無形民俗文化財 日本三大奇祭 |
岩手県奥州市水沢区 妙見山(みょうけんざん)黒石寺(こくせきじ) 2007年2月24・25日 |
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岡山「西大寺会陽」と大阪「四天王寺どやどや」と共に日本三大奇祭のひとつに数えられる「黒石寺蘇民祭」のスライドショーCDが完成しました。奇しくも取材した平成19年(2007)が素っ裸の参加者が見られる最後の年で、翌2008年からは、警察当局の介入により、一般参加者は褌を外すことが禁止されました。賛否両論がありますが、江戸時代から続く裸祭の伝統がゆがめられたと思うのが筆者らの立場です。藤波洋香住職の苦渋の決断でしたが、その後も親方の全裸だけは続けられています。 |
黒石寺蘇民祭は、薬師信仰千古の歴史にのっとり、五穀豊穣と災厄祓いを願って、裸参り、柴燈木登(ひたきのぼり)、別当登(べっとうのぼり)、鬼子登(おにごのぼり)と続き、祭りのクライマックス・蘇民袋争奪戦に至る水と炎の織りなす勇壮な裸祭りです。江戸時代後期に傑出した紀行文を多数残した旅行家・菅江真澄(すがえますみ)は、蘇民祭を見て「世に珍しきあらがい祭りなり」と記しています。現在、国から記録保存すべき無形民俗文化財に指定され、黒石寺・藤波洋香(ふじなみようこう)住職の指揮のもと、黒石寺蘇民祭保存協力会青年部が祭りを取り仕切っています。 |
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▲▼ スライドショーCD「黒石寺蘇民祭」は、黒石寺蘇民祭が先祖代々受け継いできた古き良き時代の裸文化を完全記録した最後の写真集で、原画を紐解いて再編集した貴重な作品です。後世に真実を伝えたいという思いで全力を注いで作成しました。 |
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現在、internetにアップしている画像は140枚ほどしかありませんが、未発表画像と解説画像をあわせて389枚の感動巨編となりました。山伏、山内節、鬼太鼓などのBGMが流れるなか、高精細画像がディスプレー一杯に展開し、5秒ごと切り替わるスライドショーとなっており、上映時間は33分です。画像の合間にホームページに掲載している解説画像を挿入していますので、そこで停止し、祭の内容を把握しながら観賞できるようになっています。 |
付録として、翌年の2008年に発生した「蘇民祭セクハラポスター騒動」の顛末を掲載していますので、裸祭ファンにとって絶対に外せない愛蔵版となりました。個人で楽しむ限り、自由にプリントアウトして構いません。最大A4サイズ程度までプリントできます。(1枚2000円
リピーター価格:1枚1500円) 日本の祭りCD・DVD写真集 |
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YouTube 黒石寺蘇民祭(抜粋縮小版) |
↓画像をクリックするとスライドショー動画が始まります。 |
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平成19年(2007)2月24日(土)、東京駅で目黒区にお住いの山本啓一さん(69歳)と合流、新幹線を利用し、水沢江刺(みずさわえさし)駅まで2時間、タクシーで15分で岩手県奥州市にある天台宗(てんだいしゅう)妙見山(みょうけんざん)黒石寺(こくせきじ)に行き、蘇民祭(そみんさい)を徹夜で激写した。 |
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黒石寺入口の石碑 |
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岩手県奥州市水沢区黒石町(くろいしちょう)にある黒石寺(こくせきじ)は天台宗の古刹(こさつ)で、山号は妙見山(みょうけんざん)。北上川(きたかみがわ)東岸の仏教文化発祥の地である。 |
天平元年(729)奈良法相宗(なら・ほっそうしゅう)薬師寺五代行基(ぎょうぎ)和尚(菩薩)の開基で、当初は東光山薬師寺と称したが、延暦年間の蝦夷征伐の戦火に遭って寺は焼失した。 黒石寺公式ホームページ |
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マウスカーソルで画面のどこかをポイントすると説明が現れます。
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パノラマ写真(1600x780)453KB |
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大同2年(807)将軍の命を受けて飛騨(ひだ)(岐阜県)の匠(たくみ)が方七間の薬師堂を再建。嘉祥2年(849)慈覚大師(じかくだいし)円仁(えんにん)が天台宗として復興し、妙見山黒石寺と改名した。 |
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黒石寺の門前を流れる |
瑠璃壺川 |
の |
水垢離場 |
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妙見山黒石寺は、行基による開山以来、今日まで、静かな集落の杉木立の中で、1278年のときを刻んできた。 |
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瑠璃壺川を土嚢でせき止めた水垢離場 |
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現在の本堂(薬師堂)は、庫裏(くり)とともに明治17年(1884)に再建されたもので、参道を進むと正面南向きに建つ。寄棟造で、円柱の柱は太くて豪壮。内部は外陣(げじん)と内陣(ないじん)に別れ、内陣の東西に隣接して内御堂(うちみどう)がある。 |
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黒石寺本堂(薬師堂) |
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今回、山本啓一さん率いる通称「山本グループ」の密着取材を行い、黒石寺蘇民祭の最新の状況を切り取ってきた。今年山本グループは、約10人が参加し、本堂(薬師堂)に向かって右の一番便利な精進小屋の最奥地が本拠地として青年部から割り与えられたので、私も彼らの一員として起居を共にした。 |
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鉄製の狛犬 |
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「山さん」と愛称される山本さんは、部外者として参加する中では蘇民祭の第一人者であるといっても過言ではなく、今年の蘇民祭で28回目となる超ベテランである。山さんは黒石寺の藤波洋香(ふじなみ・ようこう)住職とも親しく、自宅から電話でやりとりする間柄である。 |
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二代目高橋勘次郎作の彫刻 |
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山さんは、蘇民祭を取り仕切る黒石寺蘇民祭保存協力会青年部(阿部新治部長、部員40人)の部長以下の幹部とも長年の付き合いがあり、地元民と同じような扱いを受けている。 |
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山さんとともに今年26回目の参加となった「昇(しょう)ちゃん」こと長谷川昇司さん(56歳)(八王子市)と、10回目の「KUMAちゃん」(39歳)(東京浅草)のお二人にも密着取材のご了解をいただいた。 |
山さんと昇ちゃんは、蘇民祭のポスターにも登場しており、蘇民祭の関係者で知らない人はいないほど有名。
KUMAちゃんは、私のホームページの裸祭りに登場頂いている方で、今回、初めて親しく歓談することができた。 |
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黒石寺の本尊は、桂材の一木造り(いちぼくづくり)の薬師如来坐像で、像高126cm。胎内に貞観4年(862)に作成された造像記があり、古代東北の仏教信仰を伝える貴重な作例となっている。昭和32年(1957)国の重要文化財に指定された。 |
薬師如来座像は、管理保存に万全を期すため、本堂の西側に建つ鉄筋コンクリート製の三宝殿(さんぽうでん)に国指定重要文化財の慈覚大師像(じかくだいしぞう)とともに安置されている。 |
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本堂西方の |
三宝殿 |
に安置された本尊・薬師如来座像(国指定重要文化財) |
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薬師如来は菩薩の時に十二の願いをたて、それらすべてを達成して悟りを得ることができたので、仏となって薬師如来を名乗り、はるか東方の瑠璃光世界の教主となった。脇侍(わきじ)として日光・月光菩薩を従え、十二神将を一族とする。薬壺を持ち、衆生の病苦を除き、安楽を与えるなど、現世利益(げんせりやく)をもたらす仏である。 |
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薬師如来像の光背に小さな薬師如来がついている。これは七仏薬師を示すもので、七つの仏国土の教主としてそれぞれの人々の救済と教化を行う。瑠璃光世界の薬師如来を代表にして他の薬師を化仏(げぶつ)として光背に表わしている。当時の光背は元禄時代に新しくされたが、化仏は薬師如来造像時のものといわれている。 |
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光背と薬師如来 |
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東奥 |
の奇祭「 |
黒石寺蘇民祭 |
」 |
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旧正月7日夜半から8日早暁にかけて行われる「黒石寺蘇民祭」は、裸の男と炎の奇祭として千年余りの歴史を誇る夜祭りで、東奥の奇祭ともいわれる。 |
岡山の「西大寺会陽」と大阪の「四天王寺どやどや」と共に日本三大奇祭の一つに数えられる蘇民祭は、古代の祭りの姿を今に伝える貴重な裸祭りで、国より「記録保存すべき無形民俗文化財」の指定を受けている。 |
*日本三大奇祭:岡山市西大寺支所の説明 日本三大奇祭の一つ、西大寺会陽(えよう) による。 |
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本堂(薬師堂)前から見た参道 |
マウスカーソルで画面のどこかをポイントすると説明が現れます。
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天下一の奇祭 |
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蘇民祭は冬季積雪の中で行われる裸の夜祭りで、修験道(しゅげんどう)の性格をもった寺のなごりを残している。平成19年(2007)は2月24日(土)〜25日(日)に開催され、午後10時から翌朝午前7時頃まで、裸参り、柴燈木登(ひたきのぼり)、別当登(べっとうのぼり)、鬼子登(おにごのぼり)、蘇民袋争奪戦の五つの行事が夜を徹して行われた。 |
暖冬の影響で、雪が殆どないが、外気温-8℃の屋外で行われる徹夜の裸祭りは、日本三大奇祭の中で最も難易度の高いもので、天下一の奇祭といっても過言ではない。
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警備本部のある鐘楼堂 |
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蘇民祭を取り仕切る青年部 |
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蘇民祭の運営を取り仕切るのが昭和52年(1977)に創設された黒石寺蘇民祭保存協力会青年部40名の人たちで、そのトップが阿部新治さん。昭和40年代前半から途絶えていた蘇民祭を復活させるために尽力した一人で、千年余の伝統文化の保持発展に寄与してきた。 |
境内に設けられる精進小屋は、祭りの見学者や参拝者、参加者らのための無料休憩所で、祭りの行事の合間に飲食したり、暖を取ったりするスペース。約30棟に500〜600人を収容できるが、この小屋掛けや水垢離場の整備など、青年部の労働奉仕がなければ、蘇民祭は催行できない。 |
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黒石寺の住職は、39世 藤波洋香さん(52歳)で、女性の和尚さんである。二男一女の母でもある。人望が篤く、幅広い活動のなかで岩手県教育委員会委員をつとめ、蘇民祭では別当(べっとう)として祭りを主催する。 |
住職は北上川東岸の仏教文化と黒石寺 というタイトルで黒石寺と蘇民祭を紹介している。その中で、蘇民祭を次のように概説されている。 |
・・・蘇民信仰とは“蘇民将来の子孫である”というしるしの護符を持つことによって災厄を免れるという信仰である。蘇民信仰はほぼ全国に分布しているが、特に岩手県内にはこの信仰を伝える寺社が多く、廃絶したものも含めるとその数は20近くにのぼっている。 |
しかもその大半が蘇民将来の護符を奪い合う(争奪戦)という形態をとっており、他府県のものが護符の頒布という形をとることが多いのとは大きく様相を異にしている。そして数ある岩手の蘇民祭の中でも最も規模が大きく歴史も古いと言われているのが黒石寺の蘇民祭である。・・・(抜粋) |
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